昔浅草仲見世で江戸小物玩具の老舗の看板を張る某店の旦那さんから拙作の人形について「なんで土鈴になっているのか」と聞かれたことがありました。「土鈴を作っているつもりではなくて昔風の今戸人形のように作りたい」由お答えしました。つまり、人形の中にガラ(土玉)が入っていて振るとカラカラ音がするので「土鈴じゃないか」と言われるのでしょう。
でも昔の土人形全てではないにしろガラを入れて作られていたところは少なくないはずです。
ガラの入った人形とそうでない人形。これはあてずっぽでしかないかもしれませんが、かつて各地で作られていた土人形は京都の伏見人形からの模倣から始まったか、模倣のまた模倣から芽生えたとかいうパターンだったりするのではないでしょうか。伏見人形から型抜きしたであろう伏見より小さめでおなじような人形があったり、ごく初期の人形の彩色パターンを踏襲していたりするのと同様、ガラを入れて作られていたをことは伏見人形のDNAを受け継いでいた証といっても過言ではないかと思います。
但し、いつの頃からか伏見の人形にガラが入らなくなり、伏見から遠く離れた東北の八橋人形や鶴岡の人形に残っていたのと同様に今戸人形の生粋の最後の作者であった尾張屋 金澤春吉翁(明治元年〜昭和19年)のお作りになられた人形にもDNAが受け継がれていた、ということでしよう。
さてガラ入りの土人形と土鈴との違いは何かといえば、土鈴には「鈴口」と「紐通し孔」があけられている、ということで、内部の土玉の転がる音色の響きをより積極的に奏でさせ、楽しむ、楽器的なところが重要になっている、だから鈴口があり、紐を通して掴みやすく、振りやすくしているということでしょうか。
これまで何度か、土鈴の愛好家の方たちから、土鈴仕立てに作って欲しい、というご依頼をいただいて挑戦したことがあり、今回もやっているところです。
頭では、土人形にガラを入れ、鈴口と紐通し孔をあければ土鈴仕立てになるように考えることができても、実際には人形の型全てを転用できるかといえばそうでもないように感じます。
基本的には鈴であれば土玉が内部で広い面積自由に自然に転がることのできる底と鈴口を持ち、重力で土玉が楽に転がることができるよう有効的に振る力の加わる位置に紐通しが来るようであるべきです。
そういう理由から人形の形がすべて土鈴に転用できるとは限らず、無理やり仕立ててみてもよい音色がしなければ、楽しくないです。もうひとつきにしてしまうのは、鈴としての機能を優先するばかり人形の姿に痛ましい思いをさせたくない、ということ。例えば人物でも動物の姿でも、頭やお腹に孔を貫通させるのは残酷な感じがします。重力とか力学的な機能性からいえば頭や首辺りを貫通させることで内部の玉や鈴口のバランスを安定させやすいことが少なくありませんが、痛ましいので背面に突起を作って孔を通すことにしますが、今度は突起が人形としてのモデリングのバランスを崩してしまう。
愛好家のご希望に添えることができれば嬉しいですし、そのための努力は惜しむことにはやぶさかではありませんが、どうしたらよろこんでもらえるか、というところです。
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