今戸焼・今戸の土人形の歴史や招き猫の発祥について、これを抜いては語れない人形のひとつだと思います。古くは戦前の有坂与太郎さんの著作の中で招き猫の最も古い作例だとか、発祥とか元祖として嘉永5年の丸〆猫が採り上げられています。丸〆猫という名前を知ったのは小学生の頃、学校の図書室にあった「保育社カラーブックス」という文庫版サイズのシリーズの中で「日本の郷土玩具」という本の後ろのほうに県別郷土玩具一覧というのがあって、名前だけが記されていたのでした。何のことか全くわからず、今戸焼の人形であることすら知りませんでした。
時は流れて、土をいじるようになってから、実物を持っている人から、お手本を見せてもらうことができ、作ったのが写真の丸〆猫です。今から15年くらい前のことでした。はじめて見たときは、不気味な愛想のない招き猫、人面猫のようだと思いました。TV番組「東京生活」でも採り上げていただきました。その頃から戦前に発行された文献などにも目を通すようになりました。有坂与太郎さんによる著述がそのひとつです。
丸〆猫についての記事は、現在いろいろな本で紹介されているわけですが、その内容は有坂さんの記述に基づいているわけです。
また、描かれた図としては更に遡ること明治時代に大人を対象として、各地に残る土俗玩具を採り上げた清水晴風さんの「うなゐの友第2編」に描かれた丸〆猫が当時としてもっとも古い図のようでした。配色や表情の違いはあるものの、お手本となった丸〆猫と構図といい意匠といいよく似たものです。
最近目にした本などで、「まるじめねこ」とルビの振ってある記事があったかと思いますが、江戸東京のものである以上、濁らすに「まるしめ」ではないでしょうか?たとえば芥川龍之助は「駒形」は「こまかた」と濁らないのが正しいと何かに書いていますし、「鳥越」は地方の地名では濁るけれど、浅草の「鳥越」は「とりこえ」であるという話を聞いたことがあります。江戸東京の人形問屋の総元締でいらっしゃる吉徳さんでは「まるしめのねこ」と呼んでいらっしゃたので私もそれに従っています。しかし「今戸」は「いまど」なんですね。昔は「今津」という地名だったそうですが、、。
丸〆猫に関する記事は①から⑭まであります。お時間ありましたら通してご覧くださると幸いです。
丸〆猫作りについて採り上げられたTV番組についての記事はこちらです。
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