この時期こそ昔は手あぶり火鉢の重宝する季節だったことでしょう。
画像の手あぶりの底には「對鷗斎」「橋本三治郎」の陶印がみられ、今戸神社(旧・今戸八幡)の狛犬の基壇や明治時代の記録に残る名工・橋本三治郎の作であることがわかります。(狛犬基壇には橋本三次郎とある。)
この人は、白井善次郎や白井半七とならぶ今戸焼の旧家で、また明治の上野の勧業博覧会に製品を出品して牌を受けています。
「東京名工鑑」という文献には、その製品の特徴として「村雲焼」という名前が挙げられています。それがどんなものであるかは記述されていませんが、この画像に見られるような雲海にも山並みにも、また波のようにも見える模様のことではないかと思うのですがどうでしょうか?
その製造方法については、素人の私にはよくわからないのですが、木地を素焼きしてから灯明油と那智石(または鴨川石)で表面を磨き木地の表面を滑らかにし、黒鉛を塗って再度焼きあげる。そして漆を施すということなのかどうか、、。しかし、この雲海にも見える模様はどのように出すのか、、???黒鉛の塗り方によるものか、あるいは漆の塗り方によるものか不思議です。
話が脱線しますが、大学時代にエッチングやリトグラフの実習をしましたが、先輩でリトグラフで版面にインクを濃淡滲ませて置いていき、その重なりによって不思議な濃淡を作りだす人がいました。
画像の手あぶり火鉢の雲海風の模様が何となくその効果に似ている感じがするのですが、膠か何かのメディウムで溶いた黒鉛の濃淡によって出せるものなのかあれこれ空想するばかりです。
うちにも子供の頃は火鉢や七輪など使っていましたよ。
お餅も焼きました。画像の火鉢は高さ30センチくらいのもので、わが家で実際使ったものはもっと大ぶりでルリなまこの釉薬がかかったものでした。付属品としてやかんや網を置く五徳(三つ足だったか四足だたか)が灰の上に乗っかっていて、火箸や灰ならし、炭を運ぶ十能などありましたね。実際使った火鉢は、ストーブを使うようになってから、水を張ってオタマジャクシや亀などを飼っていたこともありましたが、その後捨てた憶えはないので、まだどこかにしまってあると思います。室内で炭火を使うと独特な臭いがしませんでしたか?不快な臭いではなかったと思います。最近、七輪で焼き肉やホルモン焼きを焼く店がたくさんあるようですが、お酒を飲まないので行ったことはありません。七輪なども今は物騒な目的で使われたりするようですね。
画像の火鉢は、もっと小振りなものなのでしょうが、落ち着いていて品が良いですね。
身近に置いて毎日、使う物なので、良い物を選びたいというのが人情なのでしょうね~~