今日も暑いですね。王子の役所まで自転車で往復しましたが、バケツを被ったような汗だくです。
帰り際、新幹線の高架横の住宅地の一軒が取り壊され、更地になっているところを通り過ぎたところ、表土の感じが気になって自転車を止め地面を物色していたらありました。「つぶつぶ」と呼ばれている素焼きの碁石状のものです。この更地はJRの線路を挟んで王子稲荷や名主の滝のほぼ向い。「江戸名所図会」をはじめ江戸から明治の錦絵に描かれた風景としては西に王子稲荷の山を見上げる一面田圃だったところではなかったかと思います。錦絵で芸者さんやお酌さんに化けた狐たちが往来するおじさんたちを田圃の真ん中で馬糞や尿を振舞っている図柄がありますが、まさにその風景だったところと言ってもいいでしょう。
京都の伏見人形に関するいくつかの文献などひもとくと、稲荷山の土を丸めたものを求めて持ち帰り、田畑に蒔いて豊作を祈ったという「つぶつぶ」の話が出てきます。こちら関東地方の場合ははっきり記されている文献が不勉強ながらわかりませんが、近郊の畑からつぶつぶやガラスのおはじき、ガラスの石蹴り、ガラスの独楽など時代の幅がありそうですが、それらが染付の破片(初期伊万里っぽいものから明治の印版手のものまで)や「どろめん」に混ざって畑の表土に表れているというケースがよく観られました。
伏見のように豊作を祈って畑に播くという話もあれば、近郊の農家が江戸市中へ肥を集めにやってきて野菜と交換していた。肥の中に器の破片やら子供が遊んだ「どろめん」や「土人形」の破片が混ざったものが畑に残ったのだという話もあります。王子も当時は江戸のはずれ。王子のお稲荷様は関八州の総元締めと呼ばれたくらい信仰厚く、お参りの人々を集めたといい、飛鳥山や王子権現を見上げる音無川(石神井川)の渓谷沿いに料理屋が軒を並べた土地ではありますが、その周りは田畑ばかりだったので、個人的にはこうした「つぶつぶ」は豊作を願って蒔いたものではないかと思っています。形状的に、碁石として使うこともおはじきとしても、また「十六むさし」の駒としても代用できる形状です。同じ形状であっても求める人によってそれぞれの使い道があったのではないかと思っています。
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