東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

今戸焼(52)角火鉢

2016-01-22 17:31:59 | 今戸焼(浅草 隅田川)

 「何お峯が来たかと安兵衛が起あがれば、女房は内職の仕立物に余念なかりし手を止めて、まあまあこれは珍しいと手を取らぬ斗に喜ばれ、見れば六畳一間に一間の戸棚只一つ、箪笥長持は元来あるべき家ならねど、見し長火鉢のかげもなく、今戸焼の四角なるを、同じ形の箱に入れて、此品がそもそも此家の道具らしき物、聞けば米櫃もなきよしさりとは悲しき成行、、、、」

 樋口一葉 明治27年初出「大つごもり」、はじめから71行目からのさわり。裕福な山村家の下女として辛い奉公をしているお峯が父母亡き後只ひとりの大切な伯父の病を見舞いに小石川初音町に訪ねる場面です。

 「今戸焼の四角なるを」というのが、画像のようなものであったのではないかと思っていますがどうでしょうか。形状としては行火に入れる火鉢にもこうした四角いものがありますが(丸いのが多いですが)、この大きさ(25㎝×25㎝×11㎝)だと櫓コタツに入れるか、または先の本文のようにひとまわり大きな木箱に入れて小さな五徳を置くことはできるのではないかと思います。

広義の「今戸焼」というイメージに含まれるものだと思います。いわゆる「今戸焼」の「黒物」と呼ばれるもの。瓦質です。昔、今戸町内で燃料屋を営んでいらっしゃったお爺さんに聞いた話で、こうした黒物は、その昔松の枝を途中から窯の炉内に投げ込んで、密封させ燻して焼いたもので、松の枝は利根川流域の茨城県岩井辺りから船で運ばれてきて、今戸の河岸で荷揚げされたらしい、、ということでした。また、戦後、葛飾宝町に移住された「白井本家」の「白井和夫」さんから聞いた話では「黒物」は昔、今戸町内に「松本三兄弟」という「みがき」の名人がいた、そうで、木地を那智石とか加茂川石で磨いて黒鉛を塗って焼くのだ、とか仰ってました。

 

 

 

 画像のものは側面に「コロ」で凸凹の装飾がされていて、部分的に白黒のムラのようなものが見られますが、意図的な加飾なのか、単なる焼きムラなのか、、。「橋本」姓の今戸焼屋さんたちが作ったものの中に「村雲焼」と呼ばれる白黒の模様のついた作品があります。一般に「雲華」(うんげ)と呼ばれる加飾にも似ています。この火鉢は近所の古道具屋さん(骨董屋さんではなく)から出たもので小台(荒川区)辺りの旧家から出たものとか聞きました。

 こうした日常づかいの器物が「今戸焼」の製品のひとつで、他にも菊鉢(菊専用の黒い鉢)なんかも「黒もの」のひとつでしょうか。昔の今戸焼屋さんは日常づかいの器物に「今戸焼」というロゴを入れることはありません。一部「茶道具」などに「窯印」、「雅号」「屋号」を入れる例は見られます。例えば「半七」「對鷗斎 橋本三治郎」などです。今川焼に「今川焼」というロゴを入れることもないですね。そんな昔らしい「今戸焼」の器物にはダイレクトなロゴは入っていないのでわかりにくいかもしれません。むしろ六古窯をはじめとして各地の歴史ある焼き物の古いものにロゴが入っているということ自体少ないと思いますし、もし歴史あるものに「信楽焼」、「瀬戸焼」、「越前焼」、「丹波焼」、「備前焼」なんてロゴが入っていたら却って胡散くさいような感じではないでしょうか。

 最近忙しくて昔の「今戸焼」本流のかつての作例を採りあげる機会がなかったので久しぶりですが、興味をお持ちの方は是非この「今戸焼」のカテゴリーの過去の画像もご覧ください。

 

 

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