ふろしき王子のブログ◎
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なんか色々と人形を座らせる所がほしいということで、
初めはホームセンターで板とL字の金具を買ってこさえる予定が、
タイミングが無かったので、家であるものでやってみる。

庭の隅に捨ておかれた板、横幅が足りないので3枚をつなげる。

くすんでいたので、拭いてからカマで削って適当に整えて、
今回はネジを使わず、ひもで結びとめた。
壁に取り付けるのも、両端にひもを付けて、ブランコのようにして
フックに引っかけて提げる。

こういう、間に合わせの手仕事が好きだ。
素材そのものの組み合わせ。
紙やすりでなくカンナのように刃で削っているので
木のたたずまいが違う。

ひもさえほどけば元の材料にもどるのは、
風呂敷に似ている。

クギで打ちつける(一方的な攻め)ではなく、
ひもで巻いて包みこむ(第三者による懐柔)。
理想は、板同士を組む(お互いの協力)のが最も手堅い。



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息子撮。日野市の新撰組まつりの外国人枠でインドの方と出る予定が、彼が風邪で欠席し、僕ひとりで「カレー王国」の団体名で出場。役人の衣装。

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今日は用事で、大田区の蒲田からちょいっと入ったところ、
矢口の渡界隈を訪れました。
乗り換えも多かったし、偶然下りることはなさそうな駅と
思ったけれど、だからこそか、宝ものに出逢った。


武蔵新田の商店街で、懐かしいたたずまいの金魚やさん。
キンギョやメダカはきっと寒くて、水槽の底に集まってました。



矢口付近、ここは確かタイル屋さんだったかな。
カメのタイルもクールプリティー!
中で亀を飼っているかは未確認。

多摩川や東京湾も遠くなくて、水生のご縁に潤いたる
街と感じました。打ち合わせながらお昼したカフェK3は、
寒いので開店前に入れてくださった。ホーミーでいて品があり、
カレーも美味しかったです。

初見ながら、全体的に昭和の匂いの残る街と感じましたが、
平成になってもう28年。昭和も平成もなくて、よいものはいいな。


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こんどのおうちは、台所にダイニングテーブルを置くだけのスペースがある。

居間の食事でよいし、そのほうがみなで正座できてリンとするのだけど、

通称「ギャイちゃん」と呼ばれるようになってしまった11ヶ月の娘の
亜依が、げんきで食いしん坊で、座卓の上に這い上り、
ことごとくひっくり返したり食べ散らかすのを
他の家族全員で食い止めつづけるという日々も大変なので、

やっぱりダイニングテーブルを置くことにしました。
近所に、シルバー人財の方々が修理などして販売する
リサイクルセンターがあり、その中から、無垢の(集成材ではない)
1万円のテーブルを選びました。台車を借りて家までがたごと運ぶ。

しかし、まだ椅子がありません。元々我が家は床の暮らしだったので
以前古道具屋で購入した、味のある椅子が1台のみ。
リサイクルセンターのイスは、つきづきしう感ずるものが無かったので

現在、椅子を求め中です。

それで、近隣のリサイクル屋など調べて自転車を飛ばしても、
小物ばかりの店だったりと、なかなか見つからない。
こうしてからだを使って探しつづけるうち、イスに対する思いは
おのずと強くなる。そうして足を運びつづけ、それでも出逢いがないと、
つよい思いは体にしみてさらっと風が吹き、いったん頭からイスが外れる。

こうなったら、特段イス目当てに動かなくても、細胞のアンテナが
無意識でもイスに向いていて、何とはない場面で
ふさわしい椅子に遭遇しやすくなる。
どんなのがうちに来るかわくわくしています。

結局、帰りに建材店に寄って、庭で育てているヨシを植え替えるための
こね樽(セメントなどを混ぜる丈夫なバケツ型容器)を買いました。
店のおじさんは、自転車の荷台にひもで結ぼうかと仰ってくださいましたが、
小風呂敷を斜めに折りたたんだ帯を2本つなげたのを
樽の取っ手に通して、端同士を結んでできた輪っかを2重に折り、
頭と腕一本通して背負いました。

あとは、ヨシを植えるための泥が必要です。
庭は小石で覆われているし、あまり土を掘り出したくもないので、
駅前の花屋で持ち帰り自由の土(植え替え時の古い土など)をもらったりして
何とか調えたい。きっと根っ子でひしめいているヨシが、のびのび育っていくのは
うれしいこと。

イスのミッションが、ヨシの器に変わって帰宅しましたが、
喜んだヨシによる応援で、椅子が見つかりやすくなる、きっとそういうことで。

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昨日の朝、ご近所に住む友達が車で
残りの鉢植えの全てを、新居に運んでくださった。
お礼というほどでもないけど、甘夏と
トリの砂肝を下処理して冷凍したものと、
ミニトマトの苗をお分けしました。

雨はありませんでしたが、湿度が高かったようで
どこかの樹からアマガエルが鳴いていた。
この町内は高台で、元々雨蛙はいなかったけど
去年息子が坂の下の田んぼで捕ったおたまじゃくしが
庭の池で巣立ったのが、真冬の大雪もどこかで生き抜き、
今もげんきにしている。

家の中にネズミは出ないけど、町内には居て
たまに道を横切る。都会のネズミは
体を浄化するために、キトサンの多いごきぶりを食べるので
ネズミの棲み家にはゴキブリの羽が溜まっていたりする。

うちのアパートのブロックのすき間にもネズミの
居場所があったが、そこにゴキブリの羽はなく
代わりに、カボチャの種の殻がたくさんあった。
南瓜の種は栄養豊富を物語っている。
野生の動物は、からだに必要なものを、必要なだけ食べて
食物連鎖を成す。

本来なら、ネズミはイタチやキツネ、青大将、ふくろうに
食べられるからこそ沢山殖える、比較的弱い立場にあるが
現代はそれら天敵の棲みかがない。

裏庭に石を積んでおけば、ヘビが現れるかもしれない(湿った岩場をこのむ)。
裏庭に常緑樹を植えておけば、いずれフクロウが来るかも
(樫、椎、くすのきなど常緑樹は、冬の北風や飛び火を防ぐため北側に植える)。
雑草も上手に共存し、様々な居場所があるいのちの庭、
そんな庭のある家が増えれば、いのちの道ができる。
こんどの庭は裏庭のほうが広い。
うら庭の生かし方を実践、探究していこう。

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朝から夜まで、水やり、染めもの、縫い物、買いもの、おむつ洗い、掃除、布団敷きなどなど
町や庭や家の中をすたすたパタパタ動きつづけています。
形にのこらない、同じような毎日でも、坦々とした繰り返しの中に
人それぞれの大切な思いをたたみ込んでいくことが、よりよい明日につながるでしょう。

とっとと逃げずに見返って停まってくれるカナヘビが、このごろの友達です。


庭のこむぎに七星テントウ。


近所のカフェで。

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日ごろ携帯しておくと、泰平時も非常時も役立つものとして、
風呂敷(大小)と手ぬぐいとひも、水筒と塩、シュシュと安全ピン、
ペンライトにレジ袋、なんて思っていましたが

針とイトもあると断然便利、というか普段から縫ってつくったり
直したりする習慣があると、物づくり、物直しの幅は格段に広がるでしょう。

くっつけるといえば、セロテープ、両面にガムテープ、
または接着剤、近ごろはグルーガンも流行りですが、
つよくてしなやかで、素材も安全な方法として
縫い付けるという選択肢がぽかりと抜け落ちていまいか。

ノッポさんのように紙にテープやボンドでてきぱき
こさえた所で、長き鑑賞や実用に耐えうるものは叶わず
子どもの工作教室の域を超えられないが、

ひもで結んだり縫い付けるという技術は
大人になってからも生活に役立つ生きた技となるから、
紙とセロテープが駄目とはいわないが、
子ども時分から、より根源の生き抜くための
知恵や術も学ぶべきと感じる。

生きもの採集は、食糧を得るための狩りに即するが、
ゲームの画面の中で動物やモンスターを捕まえていても
あまり実生活に役立ってこないし、役に立つたたないの
問題でなくとも、からだの五感による体験が柱でありたい。

話を戻すと、ともかく、針と糸(と少々の愛くるしいハギレ)を
携帯しておくことで、不意に服に穴が開いたり、何かを留めておいたりと
非常、防災用にも役立つし、自分本来のペースの呼吸へ調えるための
儀式として、縫うという行為を暮らしのなかに取り戻してほしい。

その針を収めるケースですが、
たとえば針山を小びんの中に入れれば
安全に持ち運べます。乾燥剤も入れておきましょうか。
針山の素材が大切で、コットンのわたを木綿のカバーでくるんだものは
湿気を吸い、乾きは遅くて中の針が錆びやすい。

理想は長い髪の毛を巻いたものを絹の布でくるんだものですが、
染め髪やパーマの髪ではなく、白髪でも黒髪でもよいから
地の髪がよいです。
日々、くしで解いたときの抜け髪の長いのを
集めて、数年かけて作るのもあり。
昔の人は髪の毛は湯水で洗うか、木灰を水で溶いた上澄みの
灰汁(あく)で洗っていて適度な油分を保っていたり、
椿油を馴染ませていたため、ほどよく油のきいた
鉄分豊富な髪の毛の針山は、針にとって申し分のない
環境といえるのかもしれない。

とにかく、日本は湿度が高いので
いかに乾きやすく心を尽くすかが、物の長持ちや
からだの健康にも影響します。
床に直接物を置いておけば、だんだん底のほうが
湿気てきて、かびたり虫食いされるかもしれません。

もしも、バレー教室のごとく部屋に手すりがあれば、
棒の奥に風呂敷の2辺を通し、それぞれを手前側の
角と結べば、それだけで使い勝手のよいバッグになり
収納に便利ですし、もちろん床から浮いています。
ポリ袋と違って通気性があるため中も蒸れず、
風呂敷の素材が麻(リネンやタイマ)であればなおよいです。

口を寄せることはできますが、基本的に開いているので、
上からのホコリの降下を防ぐには、手ぬぐいでも
かけておけば大丈夫。
中身がぼこぼこする場合は、先にカゴを入れておく。

手すり自体も、竹の物干しのようにシンプルに設えておけば
あれこれと変更、模様替えにも対応できる。
そんな収納形態を、今後試してみたいと思います。
一本手すりがあればいくつも風呂敷バッグを吊るせるので
小分けができ、ひとつのでっかい家具が地震で倒れて危険
ということにもなりません。

木の家具もよいですが、草(布)のポテンシャルも
もっと取り入れていったら、世の中やさしくなるでしょう。

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庭にしゃがんでいると、どこからともなくブーーーンと細密な低音が鳴りひびく。
目の高さにヘリコプターが飛んできた。
みつばちに似てるけど、なにか違う。花ばちの仲間かな。

水やり後の植木鉢に高度を下げ、水滴を細長いストローで
吸っているようだ。着陸はせず、止まってみえるけど
超高速で羽ばたいている。

この羽音は希望である。環境から虫がいなくなれば、
鳥も去り、人も生きていけない。

こんな暖かかった日の夜は、庭にも何か出没していようか。
ちょっと見てきます。

(5分後)
夜はまだまだ涼しくて、なめくじしか見当たらない。
ナメクジは裸な印象なのに、寒さにつよいな。
あのぬめりが大事なのだろう。
日光は苦手とする。

先月は2度の大雪で庭が深く埋まったが、この先ちゃんと
カナヘビやひきがえるは現れるかな。
野生のいきものは、人間よりはるかに身体能力と勘がきれるから
ちゃんと居場所を見つけて移動しているだろうけど、

この先ますますの開発で棲めるところが無くなれば、
種によっては移星してしまうかもしれない。

駅からうちまでの途中には、広大な空き地がいくつもあって
草が生い繁り、閻魔さまの顔したコオロギも力強く飛んでいましたが、
ちょうど今、数ヶ所が同時に開発中で、
鉄筋コンクリートのマンションが土地ぎりぎりまで建てられ、
ショッピングモールも建設中です。

そういう敷地の植え込みスペースなどが、いきものの居場所となるよう
心尽くして工夫してほしいと思う。

・下草をむやみに抜かない。ハサミでそろえる。
・枝や石ごろ、貝殻などを積んで隠れ場を用意。
・植える樹は、その土地に元々生えている種類。
・落ち葉は捨てず、還元させる。
・消毒はしない。虫がつくのは、先に樹が弱っている証拠なので
 その原因を探って根本的に解決する。
・地面に凹凸、潅木の配置も直線的にしない。
・人手を入れないエリアもつくる。
・剪定や水やりをしなくても維持できるように始めから創る。
・日当たりや水はけにあった樹を選ぶ。
・心から動植物を愛する人たちが管理する。

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家族が増え、ぜひ家では円いちゃぶ台を使いたいと思っている。

物のよいのを古道具屋で購入してもよい。だいたい1万円くらいでしょうか。

僕は特別、古い感じが好きなわけではなく、しっかりしていて今後も長らく愛用できる質を
求めるので、灰色にすすけたものもキレイに拭いてしまうかもしれない。
いずれにせよ、今まで残っているということは元の造りがよい証明なので、
古道具屋や骨董市であれこれ物色するのが好きです。

円筒形の、塗りの大きなおひつを、以前 有楽町国際フォーラムの
大江戸骨董市で見かけたが、あれがあるといいな。
白木のおひつは日々きちんと陰干ししないと黒ずんでくるだろうし、
我が家では鉄釜で炊飯しているので、そのまま入れておくと錆びるために
何か移しておく器があるとよいのです。

そのおひつは本当に大きくて、大家族を目指したくなりそうでしたが、
今後は、シェアハウスという形態も増えてくるだろうから、
有用で味のあるものとして、おひつも生き直すかもしれない。

現在、食卓は正方形のこたつだったテーブル(友達からのお下がり)の
布団とストーブ部分を外したもので、
長男が正座したときに届くように、テーブルの脚も少し短く切ってある。
しかし、やっぱり円いということが、みなで和氣をもって囲むことができるので、
憧れを持っています。

子がもう少し大きくなったら火鉢も復活させて、部屋の中で
あれこれあぶって食べたいものです。

決して、昔はよかった、古きよき時代に還ろう、という意識ではなく、
停電したら何もできなくなる家よりも、こういう
シンプルで多機能なものを備えた方が未来志向に思う。

ただ、木を燃料にするのはもったいなく思ってしまう。
竹や枝やもみがらならよいけれど、
組み立てれば立派な家具や道具になり得る木を
燃やしたくないのと、今日本人みんながそれをやったら
木も足りなくなるだろう。

燃料は、廃棄物汚染を引き起こすソーラーパネルや燃料電池ではなく、
水や、そこに伴う水素による燃料を安全な仕組みに進化させて
使うのがのぞましい。現在では、電気分解で水素ガスを発生させても
爆発の危険がある。水素とは別ですが、テスラの外燃機関も
研究と参考にする価値があるでしょう。
ともかく、何をするにしても、それが100年先の子どもたちにとって、
生命、生態系にとってどうなのか、そして、世界60億人みなが
それをやったらどうなるのか、というまなざしをもって
社会や世の中を、大きな国から小さな家庭まで、築いていくべきと。

ただし、この不安定な時代の変わりめ、いつまた大きな災害が起こるとも
知れないので、原初的な暮らしや生命力を培うこともまた、
必要最低限な条件とならざるを得ないとも感じられます。

ふろしきもまた、昔ながらのものながら、シンプルで多機能で
用途を選ばない自在性をもつ、未来のひみつ道具の一つでしょう。
そして、風呂敷をきっかけに、自分でつくる意識、
身の回りにあるものを知恵と工夫で生かし、循環させる
ライフスタイルに時めく心を呼び覚ましていただければ、
徐々にきぼうの灯りでぽかぽかしてくる、そんな一歩を
みな様と共に進んでいきたいと思っています。

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床下からの昇る湿氣は、いくつか原因があるでしょうが、
路地に並ばった鉢植えへの水やりも、ひとつの源泉かもしれないということで
ずらり連なった通称「カナヘビロード」を、今朝さらっと片付けて、



鉢々は庭の中、裏庭、そして道路側の正面に
それぞれの希望に沿って移動しました。



実家のある浅草など下町は、庭のある家が少ないので
みな玄関前などにこうして植木を置いています。
それらがこんもり繁っているのを、僕は「鉢森」と呼んでいる。

そういえば、先ほどごみ捨て場に キジバトの遺体が横たわっていた。
外傷はなく、静かに目をとじて。

誰かが置いたのだろうが、収集車が持っていくかは別として、
よく庭にも遊びに来るなじみの鳥でもあるし、
庭の片隅に、小麦の粒とともに埋めておいた。



とっくに死んでいるとはいえ、12月の両手には
羽のぬくもりが感じられた。

きじばとの体に、ごくろうさま。

またきじばとになって、遊びにきてね~。

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今日は、小平市の公民館でのふろしき講座の2講目(最終回)でした。

参加者のみな様も結び慣れてきまして、お蔭さまで無事に、今後の暮らしに
上手に関わるべく有意義な教室になったと思います。

本日は、10:30~12:30 一橋学園駅前のはこギャラリーでお店番と似顔絵
13:30~15:30 公民館
16:30~17:00 国分寺の、自然育児友の会に用事
18:00 近所のギャラリーに挨拶

という感じで、風呂敷包みを背負って近隣を徒歩移動で巡り、
朝から何も食べずにいた半断食Dayでした。

晴天ながら寒い日でしたが、お腹が空っぽのために
血が防寒に機能してくれたのか、特に寒氣を感じずに
滑らかにすいすいと動けました。

昨晩、自宅で友達による持ち寄り会をしたので、
いっぱい食べた翌日はたくさん歩くことになる、という
自分なりの法則が作用したようです。

元来大食漢なので、たまにこういう内臓を休める日があることで、
何とかバランスが調えられる。

人が集まるイベントや旅先では、にぎやかさや新しさだけで
胸いっぱいで、特に空腹感を催しません。

残すのが嫌なので、片づけ屋としては相当量を食べられますが、
水だけの断食も5日間は問題ありません。
そういう極端なところがあるけれど、
20代の数々の修行(?)に比べると今は安定している。

ともかく、食べ過ぎないでよく歩くのが健康につながり、
よく食べてよく歩く、は普通、
いっぱい食べるけど歩かないというのは病氣になりそう。

それは、消化で得たエネルギーをすぐに使わないでいると
脂肪に転換されて蓄えられますが、その作業は内臓にとって
結構な負担となります。それが続くともう内臓が機能しなくなり
糖尿病になって、様々な不調につながる。

だけど、無理に体を動かそうとはじめ意気込んでも
単なるカロリー消費の運動を長続きさせるのは難しい人もいるから、
やはり日常生活や仕事の上で、体をある程度は使わざるを得ない
という仕組みがあるとよい。



僕は、荷物は自分で背負って運ぶというモットーがあるので、
多いときは小山たる荷を負って歩くから、足腰が自然と鍛えられる。
解放されるとまるで鳥の身軽さで、低空飛行する心地。
毎晩、畳の上をハイハイしながら小ぼうきで履き改め、
布団を引っ張りだして敷くのもなかなかの運動。
ご飯の後、すぐに眠らずにあれこれ動くのはよかれと思う。

それにしても、ペーパードライバーで全く運転せず、
自転車ばかり乗るのは、騎馬民族の血がそうさせるのか。
馬に乗って移動したい。

今度、息子をポニーに乗せるイベントに行こうと思っているが、
頭とお尻しかないポニーにはさすがに僕は乗れないから、
いつか、モンゴルに行って練習し、裸馬でも自由に乗れるようになりたい。

おすすめの運動はやっぱり、風呂敷背負って、腰に帯締めて
(ズボンの上からへこ帯でよい)、下駄を履いて
よくいっぱい歩くことです。夜よりは朝。冬の下駄は寒くても、
お風呂でしっかり温まればかえって免疫が正常化します。

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近所の浅川。朝に一番橋のたもとから撮影。
普段、小間物ばかりで風景はほとんど撮らないので、ちょっと新鮮です。



(甘栗むく人)

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昨日は3つ重なって、風邪氣味になった。

そのみっつとは、
・ご飯を食べている割に、子どもたちと留守番であまり体を動かしていない。
・オイルヒーターの掃除でホコリを吸い込む。
・急に寒くなっても、夏の服装。



そこで、庭にもはや自生している(こぼれ種から生長)辛苦いルッコラを
お昼に生でパリパリと食べて、
夜は先日酢漬けした新生姜をしゃくしゃく。
疲れたときは、酵素の多い生ものを摂り入れ、暖かくして寝るのが一番。

それでも今日は用事が重なっていて、午前中は自転車に息子を乗せて八王子で買い物。
午後は家で染め物をしてから、また自転車で息子と、稲刈りの手伝いへ。
鼻水を拭きながら、坂道をキコキコ。

先ほど、風邪の原因を3つ書きましたが、それらは最後の呼び水に過ぎず、
内実は、夏の疲れ、本やふろしき作り、テレビ撮影完了の安堵などで
目に見えないでっかいものがあって、それが台風のスイッチで
しゅるしゅると溶けている表れでしょう。
さあ、日本人は季節のたびに生まれ変わる。
(稲刈り時にもらった長ねぎを翌朝刻んで味噌汁に入れて飲み、体調も落ち着く)

そんな折、新しい本の表紙が送られてきました。



『毎日カワイイふろしき』(玄光社)11月27日(水曜日)に発売の予定です。

風呂敷とおなじく、ほぼ正方形の本です。
いろんな色柄が登場し、眺めてるだけでも可愛く、
ふだんでも非常時でも役立つ内容が揃い踏みです。
様々なテーマのコラムも挿入。
世代を超えて、たくさんの人たちに愛される本になるように願っています。


今日の稲刈りで、田んぼの雑草「コナギ」をもらってきました。
蛙系男子?の僕はこの、つるんと広がった葉のコナギや水アオイが大好き。
帰宅してさっそく、年中水を張ったままの田んぼに植えておいた。


(中央の、先の細いのがこなぎ。周りの円いのは姫睡蓮のアサザ。こまいのは浮草)

ヨシとコナギ、水辺の役者が揃ってきました。
そのうち建てたい家の周りに、生活廃水を流しつつヨシで浄化する堀を
作りたいのですが、ヨシの下草としてコナギがぴったり。
東京だるまがえるとヌマエビとドジョウの天国にしたい。

家の周りにぐるりと堀を掘って、少し粘土で踏み固めた後に
砂じゃりを敷き、そこに台所排水を配管から注ぐようにするだけで、
とっても簡単な工事なんだけど、やっている人はまだ聞いたことがない。

エコのためっていう精神的な満足以上に、
そこで浄化された水を二次利用できるし
(用水路がなくても、台所を水源に水田ができる)、
エビや蛙やどじょうを、食糧とさえ考えている。

路地の植木鉢のふちにはミノムシの蓑が下がっていた(みの虫は昨今激減している)。





裏庭の本さかきの鉢の根元には、ジグモの巣が伸びている。

ペットショップや園芸コーナーには置かれない、身近な虫や草。
突飛なもの、目新しさ、妙竹林なものばかり迎合するのではなく、
こういう当たり前のはず存在が、土台としてあることを大切に思っています。

テレビも新聞も、基本的には極端な案件を発信しますが、
誰々さん家のチャボのひよこがかえった、おめでとう!とか、
○○さん家の次女が、おむすびを上手に結べるようになった、
そんなニュースにも逢いたいな!

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稲刈り後、発泡スチロール田んぼ(今シーズンで卒業。今後はプラのトロ舟を使う)から
エビとメダカをすくい出し、泥も庭に戻した。
来月、ここに小麦を蒔く。
土の表面は乾かさないように、切った雑草や初夏に収穫した小麦のわらを乗せています。



今週は水仙の球根を植えて、ルッコラとちんげん菜の種を蒔きます。

ルッコラはすでに、こぼれ種から生えていて(写真中央付近)、
使う機会もそう多いとはいえないが、なんか蒔きたくなる。
花大根の種は蒔かないことにして、野菜くず放ち場に投げてしまいましたが、
そこからまた伸びて広がる可能性もある。

そう、野菜や果物の皮や種を庭の片隅に放って(ヨシズを立てて目隠し)いるので、
そこから芽吹くものがあります。
夏みかんが多く、デーツ(なつめやし)まである。
見捨てられないものは鉢に植え替えます。



息子まで「うちはせまい」という言葉を覚えてしまったが、
「うちがすき」と言っているのでちょっとほっと。
んでも、もっと広いとこに移動する予定です。

僕は広い庭さえあればよいのだけど。

家そのものにさほど思い入れを持たない、遊牧民か。

こんな家に住みたい!はそれほど無いけど、
こんな家は住みたくない、はある。

・火事の煙を吸って倒れる家(化学建材と高気密)
・地震で崩れる家(水分が多くてもろい、コンクリート打ち放しなど)
・結露する家(呼吸、調湿する自然素材ではなく、コンパネや壁紙。)
・1~2月で完成するプラモデルのような家
・ピンハネ常道の会社(坪25万で2階建てが充分に立つ)
・3階以上の高さ(平屋風情が好み)
・土地ぎりぎりまで建てる家(庭ずき)
・骨組み、仕組みが見えない家(メンテナンスしづらい)
・触ってぬくもりを感じない建材の家
・コンクリートの土間(寒い)
・長持ちしない家(一世代使い捨て)

からだ全体で泳ぐように暮らしていれば、ちょっとしたことこそ
大切になるけれど、頭で形づくるこだわりしか見えていない人間は、
優先順位の最低条件だけ満たしていれば、後は騙されていても知らぬが仏。
のんきでいけるのはよさそうだが、
知らずにストレスは積もるし、病気になっても運と片付けてしまい、
むしろ幻影の人生になってしまう。

からだが重力と手をつないで舞いを舞うように、
能動的に流されている感じが、最良と考えている。
そのためには、つよい下半身とやわらかな上半身が要る。

武道の場合、自分の流れで相手を飲み込むことができ、
反抗した相手の力の向きに沿ってまた、流れを合わせて
無力化できる、そこに抵抗はなく、不思議はあっても恨みは
湧きにくく、面白おかしく仲良くなる、そんな調和こそ最強だ。

それは家と人とのコミュニケーションや距離感にも当てはまること。

家は生き物。例えじゃなくて、本当に生きている。
しかし、ほとんどの家は、死ぬか眠るかしている。
家はここの住人を応援したいが、いのちの伝線が絶縁していて
アクションしようがない。

植物を育て、木を植えるように、家も造らなければならない。

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ひと雨ごとに、秋の氣配。
部屋から庭へ見やれば、ヨシズの向こうに、ヨシの細長い茎葉が風に揺られていて、
まるで昔の水辺、海辺のような光景だ。

勝手口からそのまま、べかのような小舟に乗って
夕飯のおかずを採集にいくような、そういう風情が好きです。

そういえば、2020年に東京オリンピックが決まったようですね。

僕の生まれる15年前、1964年の東京オリンピックは
戦後の復興を果たした日本を世界に見てほしいという
多くの国民の乗り氣があっただろうが、今度のオリンピックは、
逆に、それまでにこの国をもっとすてきにする義務があるように感じる。

しかしいずれにしても、無理をせずありのままをさらせばよいと思うのだが、
いい振りこきな大義の元、必要以上の土建が幅を利かせる傾向がある。
前回の東京オリンピックの折は、首都高速の開通を急いで
日本橋と川の真上に沿うように建設し、光と風情を奪った。
また、当時は渋谷に幾筋も流れていた美しい小川も埋められている。

そのときだけええ格好見せようとして、風が過ぎればまた元に戻すことは
人間の性のようなものだけど、戻せないほど造り固めてしまうほどの
価値が、スポーツイベントにあるのだろうか。

もはや、上へ上への超高層化が進歩とは感じられない時代であるから、
東京でオリンピックをやるとなった以上、
1.福島の原発の事故状態の解決。
2.汚染された日本全土と海洋の浄化。
3.健康被害の回復。
4.世界各国の原発の、とりあえずの安全、安定的な対策。
5.世界各地の環境汚染の解決を担う高度な科学技術の、日本からの提供。
6.町並みの情緒、自然との調和を、住人主体ですすめていく。
7.高度な科学技術によって土台を安定させ、アメリカの傀儡政権としての日本ではなく
 自由意志を尊重できる、真の国になる。
8.それぞれの国ぐるみの洗脳、刷り込み教育を解き、人同士の友好を築くための
 サポートができる国へ。
9.敵味方の区別なく、全ての人の安全保障=生きがいある生活の邪魔をせず
 後押しできるように、国同士が手を結ぶ。

2020年までに完成といえなくても、具体的な道筋を決めて同意を得、
後片付け、道づくり、種まき、水やりを実地で進めて
ふくふくとつぼみが膨らんでいるくらいまでにはしておかなければ。

オリンピックなんてやってる場合じゃない!と今さら愚痴るのではなく、
せっかくオリンピックで世界中から人々が来るのだから、この機会に、
今までつい見過ごして腐らせてしまってた所を直視し、
ぴかぴかに蘇らせてしまおうじゃないか、と景氣つけて協力し合いたい。

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