昨日は夜のみ一食でしたが、
今日は朝から、おむすびと手ごねパーン。
極端なことをしても、こうしてバランスがとられるから
目指すはイツモ、中庸がいい。
さて、毎度の思いつきながらもタンタンと続けているラッキーアイテム。
お蔭さまで訪問者数がチョコッと増えたような。
ちなみに、バレンタインチョコを少ししかもらえないことを
「ちょっとレート」と云い、自分にあげることを「セルフチョコ」と呼ぼう。
ただし、ジュウシマツの羽模様の種類にも「セルフチョコレート」があります。
閑話休題。
今日は、
色が白 物 家にない 外にある
見るもの ・・・雲ですって。
雲か。雲を観たり、雲の絵を描いたりするとよい。写真を見るのは駄目。
なぜなら、形が不定な経験が必要だから。
移ろいゆく雲のかたち、指から描き生まれる新しいクモの形、それが大事。
表現や見た目が変わっても、芯なる思いは変わらない。
いま、自分が行なっている様々な表現のかたちがあって、
それはもはや自分色に染まっているけれど、
たまにはそれを模様替えしてはいかがかしら、というメッセージかも。
同じ目的でも、手段はいろいろ。
しかし、人はだいたい、その手段自体が目的となる傾向。
そして、目的の方が変わることによって、手段が進化する。
いつか、病氣などによるエポックメイキング的なさとりによって
初心に還り、大本の目的に戻るが、
いままで切磋琢磨してきた手段が、晴れて本意に沿って活躍をはじめる。
それが人生・・・ 何だか分かりづらくなってそうですが、
要するに、京都に行くことが本来の目的として、
たまたま選んだ馬の、魅力にはまって、
京都を忘れて馬の探究にのめりこみ、逆に馬の産地を訪ねて
京都とは逆方向へ進んでしまっても、
いつか京都を思い出したときは、達者な馬乗りとして
たのしいたのしい東海道の旅ができる、ということです。
だから、どんな方向や表現、生き方、ライフスタイルに進んで
かたちが変わっても、いつか、本来の目的に還って
今までの経験を生かせるということですが、
ただし
そう悠長なこといってられない、というならば
目的は変えず、かたちは柔軟に変えて京都に向かうほうが素直かな。
馬に乗ったり、徒歩にしたり、おぶってもらったり、駕籠に座ったり
人力車を利用したり、舟を漕いだりと、方法は変えながらも
一歩一歩京都に近づく。
雲を見上げ、かたちや色が変わっても、変わらないものがある
自分にとってそれは何か、
くもが変わっても、空はひとつ。
中身が変わっても、器は普遍。
まるで、いちまいの風呂敷が、結びによって形や機能を変えても
一枚のふろしきには変わりないように。
たまたま自分が表現している、一つの形にしばられないで
別の形を探ることによって、それでも変わらない
自分の中心を見つけることができる。
あえて表面を変えることによって中心を揺ぎないものにする。
ということで、長文失礼しましたが
今までやってこなかった、新しい世界に飛び出そう!
雲に国境はなく、大きな空をどこへでも飛んでいける。
行ったところが自分に合わなくても、
嫌いなことを知ることで好きが分かる。
雲のように、飛んでっちゃえ、今思いついた、あの街へ。
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