ふろしき王子のブログ◎
出前講座開催☆
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雨のふる前、あまがえるがクワックワッと鳴く。
また、雨上がって日の射したころにも、同様に奏でる。
ざあざあ降りしきる折には黙っている。

アマガエルは、雨というより湿度が高まるのに歓喜しているようだ。

アマガエルの天敵はシマヘビ。
どちらも、水田の周囲など湿り氣をこのむ。

比較的乾いた、人家や畑の周りにいる蛇は青大将で、
樹のぼりも上手く、ねずみや鳥の卵を飲む。

鶏はかつて、庭に放し飼いされ、狐などが来たら
樹の上に避難したり
ときに雄鶏が勇敢に立ち向かっていた。
暗くなると、小屋代わりの縁の下に入って寝る。
床下から這い上がるムカデ対策も兼ねていた。

台所のある土間は粘土と貝灰(石灰)とにがり(海塩)をたたき
固めてあるので、衛生的で、
油がはねても酸化する前に灰と反応して変化する。

油が酸化してしまうと、それを食べる微生物が湧く。
さらにそれを食べにごきぶりが集まる。

ごきぶりを食べることでキトサンを得て体を浄化するのがねずみ。

ねずみを食うのが蛇。

こういう生態系を、僕は神と呼びたい。

ごきぶりは非常に嫌われ者であるが、
とても賢くて、人間に嫌がられてるのも自覚し、
夜間に隅っこで、なるべく目立たないように生きている。
それでも、そこに腐敗しかけの食べかすなどがあれば、
掃除して環境を浄化するのが使命だから、
命がけで突入する。

ですから、人がごきぶりを優しく迎え入れると、
感激のダンスやポーズをとるという。

だとしても、やはりゴキブリは無理な人が大半でしょう。
こまめに整理、片付けをして空氣をよどませない、
小さいうちにヤモリに食べてもらう、
それでも難しければ、ホウ酸団子が効果あります。

みな、自分に合った環境で使命を全うしているに過ぎない。
トカゲ型では、
水中にイモリ、やや湿地にとかげ、
やや乾燥地にかなへび、暗がりにヤモリ。

乾湿と明暗の組み合わせ、大きく4種類に環境は分けられて、
それぞれに、持ち場とする動植物が在る。

生きものは適した環境にだけ発生するが、
人は今与えられた環境を識ることで、
住みよく工夫して変えることができる。
日本は主に湿度対策で、風通しを優先する。

そうなると、床下は神社のごとく筒抜けにすべき。
タタミのカビも抑制できるし、
そう、小屋を建てずとも鶏が飼えます。
身元の知れた新鮮な卵を得ることができる。

星空を仰いで歌うんだ♪
「にわとりかいたぁーいっ!」
僕のDNAが、RNAが、シュガーチェーン(糖鎖)が、そう希んでいる。
鶏と青大将の、目くらめく駆け引きがはじまろう。

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ジュウシマツを飼っていた時、

一般的に、カゴの底の引き出しには新聞紙を敷き、
小鳥が直接下りないように金網のスノコが乗せてありますが、

うちでは、スノコは取り去り、引き出しに砂を入れて
ことりが砂の上を歩けるようしていました。

掃除時に引き出しを抜くと逃げみちができてしまうため、
何か適当なものをはめておく。

砂を敷くのは、降りたときの衝撃緩和、
糞が砂で固まり掃除が楽、乾きやすくて衛生的。
鳥自身も砂を食べますが、

面白いのは、砂に混じっている小石をついばんでは
ころころとくちばしの中で転がしています。
そのうちにそれを水入れの中に落とすので、
氣がつくと水の底に小石が数粒沈んでいる。

これは何の為か。ただのいたずらっ子なのか。
詳しい人に尋ねてみると、
「水に石を入れると水がきれいになるのは、自然界では常識」

えっ!なんと  ジュウシマツはそれを本能でしていたのか。

水に小石が数粒入ると、石の種類でも働きは異なるだろうけど、
酸を中和してPHを安定させる。すると、水を浄化する微生物が
棲みやすくなるし、水に溶けたミネラルが、酵素の働きを助ける
(ミネラルは補酵素ともいわれる)。
また、2種以上のミネラルがあると電位差で電子が呼び込まれるために
酸化しづらくなることで、清水(せいすい)に調えられる。
僕の足りない知識ではそういう仕組みかと考えますが、

ともあれ、確かに大自然では石と清水はセットだ。

石に機能があるならば、それが細かくなって表面積が増えている
砂の状態は、効能も大きいに違いないと思うのだが、
砂が身近で当たり前(公園や砂浜など)すぎて意識していないだけかも。

先日、田んぼからプラ舟に移したメダカとエビの池の底には
ちょっと泥が沈んでいるくらいなので、ぜひともここに砂を敷きたいと。
大きめの小石よりは、細かいほどバクテリアの棲み家もふえて
浄化力が上がると思うし、メダカやヌカエビは、川でいえば下流域を
生息場とするから、川底は砂になる。

きょうの夕方、メインはホームセンターで ヨシを植え替える
丈夫なバケツ(工事でセメントを混ぜたりする、深緑色の)を
買う予定だったが、思ったより容器が小さかったのでやめて、
砂だけ買って帰ることに。

モルタルやコンクリート用の砂は20kgもあって使いきらないので、
園芸用の2kgの川砂を選ぶ。
明朝、よく洗ってから、手のひらでつかんだ砂を池の底でひらいて入れます。

何種類ものパワーストーンが細かくミックスされている奇跡の存在  すな。

よい池になって、トンボをやかえるを呼んで、我が家の憩いの水場になるでしょう。


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蛇を想う。

穏やかなアオダイショウ。
やんちゃな縞蛇。

まずは青大将がお庭にいらしてほしい。

その為に必要なセッティングは、
1.水場を増やす(ヨシ池)
2.鶏を飼う
3.裏庭に石を積む
4.裏庭に樫の樹などふえてうっそうとする。
と、まだ少し先になりそうだけど、一歩いっぽ。

ある 雨の夜、いっぴきの大きなひきがえるが
うっとこへ、のっそりやってきた。
彼/女?の辿ってきた道は、もともと
カナヘビが表庭と裏庭を安全に行き来できるよう、
路地に鉢植えをぽこぽこと並べた「カナヘビロード」だった。
結果、カナヘビも確かに使ってるだろうが、

こおろぎが隠れ住み、
蟻がつたい、
アマガエルが居着き、
そしてヒキガエルをひきこんだ。

だから今度は、あえてひきがえるのために
路地や裏庭に造作を加えてみよう。
ともすれば、蛙はもとより、予期せぬ誰かの
通りみちや住み家になるかもって。

だけどさ、これらみんな、けっきょく薬局
僕自身の居場所なのだね。

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晴れ。

今日は日帰りの長野へ。

電車内には色んな人がた。
部活に向かう、凛と初々しい高校生。
着物のおばあちゃん。
インド人。
朝帰りの若者。
日曜出勤のお父さん。
付箋いっぱいの参考書を見つめる予備校生。

日本は朝日が似合う。
カラカラの陽射しではなく、
雨あがりの朝に差し込む、青くてきよらな光。

多摩川は嵩が増してうぉううぉうと流れている。
雨後で濁りながらもエメラルド色を覗かせていて、
問題山積みの時代だけれども、
未来の明るさをおしえてくれた。

(帰り道)

長野でたのしく交流をして日帰り中。
行きは、完全燃焼により
有害排出ガスの出ない車に乗せてもらいました
(その分燃費もよくなる)。

お昼はざるそばをたぐって、
夕飯はおすすめのラーメン屋に。
周りからおすそわけいただいて結構食べたが、
使っている水やお店の志しがよいようで
お腹のもたれ感もなく旅の疲れは感じず。

長野のお百姓さんがたに交じって、
農業関係の講義を聴きました。

稲の葉色が濃いのは、やはり肥料入れすぎ(効きすぎ)の窒素過多。

うちの庭の稲葉はうすい黄緑いろでしたが
問題なさそうです。
たまに氣になって、野菜くずの堆肥やとぎ汁を入れてはいたが
メダカやエビ、貝、藻が食することで
肥料が効きすぎることなく、バランスが保たれたかもしれない。

田んぼに使う土は、その前が小麦畑のため
(麦はよく肥料を食う)
それほど養分が残ってはいないでしょう。

しかし、微生物の棲みついた表土の構造が
せっかく調ってきても
二毛作によって乾湿と天地をひっくり返して壊している。

来月小麦を蒔いて初夏に収穫後も
もうそこを水田に替えずに、大豆やイモに伸びてもらおう。
プラ舟の田んぼは、永久水はりにする。

浅草実家の屋上時代から毎年繰り返していることでも、
こうして少しずつ自分なりの改良がなされていく。
満を持して、いよいよでっか~く規模を広げたし。

イモ畑、なす畑、と区切らずに
みなみなフルーツポンチのように混ざり合って、
何だかんだ協力しあって生き生き精一杯のびる、
そんな畑、というか素適な大庭がいい。
果樹やドングリの木も混生。
バッタも蝶もかえるも、へびも野ねずみもキジも、
にわとりもトカゲも狐もそれぞれに居場所がある御庭。

畑であって、畑でない
林のようで、林じゃない
庭だけど、ただじゃない

ヒトコトで表せない、日々動いている非結晶たる仕組み。
それがいのち。

理想主義にみえるかもしれないが、
本来地球てそうだったでしょ(そうさ)。

小規模でも、みんなが各自で取り組めばでっかい。
一個の超ド級サイズの餃子よりも、
普通の餃子がたくさんのほうが小回りが効く。

自分をころすことなく、人を、誰かをしあわせにする。
それが自らをたすけることになる。

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雨です。

今日は13時から、立川の着物屋さんでふろしき講座があります。
会場は、きものりさいくる工房五箇谷さん。
(まだ参加受付中 メール isamix@gmail.com まで 2時間 3150円。お土産風呂敷つき)

出発するころには雨がやんでいるとよいですが、
雨じたいは結構好き  あ、先日電車に傘を忘れてきたのだった。
(まだ忘れ物センターから連絡は来ない。高級な傘ではないけれど)

ちなみに高級な傘とは、骨の数が多くて、雨の滴で太鼓のようにぽんぽんとよい音が鳴る。
福井洋傘などおすすめ。
そういうの使いたいけれど、傘は忘れっぽいなあ。
女子中学生のように、手の甲に「傘!」と書いておけばよいかな。
それと、傘には名前と、住所を(途中まででよいから)記しておきましょう。
赤い傘をさす女性は、頬に紅色が映えて愛らしい。

着物屋の五箇谷さんは立川駅南口ですが、北口のビックカメラのビルの上階には
ユザワヤがあるので、ミシン糸数色と、似顔絵用の紙を買う予定。

今度、11/2(土)は小田急線柿生駅から徒歩10分の麻生環境センターの
イベントで、墨をすって似顔絵を描きます。11/4(月)は相模原公園のイベントで似顔絵。
どこかであえたら、逢いましょう。

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しとしと雨の降りはじめ、どこかで誰が鳴いている?
クワックワッと高めの声、鳥みたいだけど、おそらく主はあまがえる。

秋雨時に周囲のどこぞの樹から響くこの声は、楽器のギロのようで歯切れがよい。

一方、梅雨どきの田んぼでは、げこげこと低めでBGMのように流れる。


しかしこの辺りは田んぼもないし、数十年来アマガエルは
いなかったものと思われる。
そう、今年の初夏、坂の下にわずかに残る田んぼで
息子が捕ってきたおたまじゃくしが
うちの庭の池から巣立ち、今も健氣に生きているのだ。

夏前までは路地の鉢植えを縄張りにしていたが、
暑くなると姿を消した。
ここいらは天敵のヘビはいそうにないが、
住宅地の真ん中で生きていくのは難しかったかと
半分受け入れつつも、野性の生き抜く力に希望はあった。

ヒキガエルは地を這って暮らすが、あまがえるは英語で
tree frog(樹のカエル)と呼ぶように、低木も含めた樹上で暮らす。
真夏は日蔭の葉っぱのすき間などでじっと昼寝したり、虫を飲んだり。
ヒキガエル(がまがえる)よりも乾燥には弱いから、
そりゃ雨が降ればうれしくて鳴くのも分かる。

裏庭かどこかの土にもぐって上手に冬眠できれば、
また来年の春にもぞもぞ起きて、運がよければ
(そしてうちがまだ引っ越していなければ)
庭の田んぼに訪ね来て、卵まで産んじゃうかも!?
したらばこの上なく感激です。

アマガエルの前に巣立ったヒキガエルの小っちゃいのも、
庭のどこかでたくましく過ごしているとよいが。

うちの庭のように、狭かろうが、雑草や隠れ場がほどよく残されて
生きものの居場所がある庭が、町にもっともっと増えれば、
そのネットワークで町の生態系を保つことができる。
何かあったときに逃げのびる場所が重要。

風呂敷も、多くの人が携帯していれば、非常時に助け合うことができる。
ちょっとしたことでも、仲間がふえれば、量が質を変える。

エサと棲み家があれば生きものが召還される。
餌は草や虫。虫は野菜の皮でも片隅に放っておけばよい(よしずなどを立てて目隠し)。
水が溜まらなければ腐敗しづらい。埋めなければ、すぐに虫に食われてなくなる。
アリ、団子虫、なめくじなど集結し、かえって鉢植えが守られる。
我が家では、わざわざ家の中には1匹も侵入してこない。

生きものは、自分を守ってくれるものを守る。
庭に住むものはその家を護る天使になる。
害虫として困ることになるのは、その庭が不自然ということ
雑草や隠れ場があれば天敵も共存できる。
殺虫剤で殺すと、強い虫だけが残ってかえって悪さをする。

豊かな庭の指標
レベル
1:季節の雑草を楽しめる
2:バッタが跳び、夏の夜に虫が鳴く
3:トンボの来る水場がある(東側にプラのトロ舟を置いてメダカを飼ったり、水田をしよう)
4:ヒキガエルが棲んでいる
5:ヘビが棲んでいる
6:フクロウが棲んでいる(小型のアオバズクなどは都会にも棲む)

僕はいま、蛇の庭をめざしているが、今のアパートでは難しいかな。
やはり、周りの家の庭にもそれなりの草木が繁っていて、有機的な繋がりがほしい。
湿った岩場を好むので、裏庭に石や瓦を積んでおくとよいかも。
餌も含めて、蛇の暮らせる環境になったとき、
ある晩時元の扉が開いて、ヘビがワープして来るよ。

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11/3の新月に、樫や夏みかんの苗木を大きめの鉢に植え替えるのを心待ちにしている。

その日はヨシも、より大きい容器に植え替える。
それで適度な水深を得られれば、ヨシの下でメダカも泳げる。
うう(感動)、稲よりも前からの、日本の原風景なり。

あとは、青しその種を採る。

今年の春に咲き誇った花大根の種を、先日、野菜くず置き場に捨ててしまった!
べ、別に 土中に大根ができないから、食べられない植物は植えない、なんてわけでは。。。
ちょうど過去の写真を見ていたら、花大根のある安寧な庭が。



あああ、、ちょっとは種を蒔いておけばよかった。って。

でも保険というか、野菜くず置き場に撒き捨てた種は、きっと自然に発芽するだろう。
その芽を採って植えれば、来春に麗しさを添えることができる。

そうやって衝動に任せて、ああだこうだと思い図るのもまた、人の自然でがんす。

しかし、先の写真は今年の春なのに、ずうっと昔に感じる。
この間(かん)に赤ちゃんがやってきたからか。
確かに月日の過ぎ往ぬるのは年ごとに早く感じるけれど、
下の写真なんて、いつの時代かって思うし、





顔まで違って感じるけど、たぶんどちらも日野に来てからで、2年以内。

やっぱり人はナァ、季節ごとに、風邪から蘇生する度に、旅のたびに、心身生まれ変わる。
芯は変わらない。むしろ芯に近づいてく。赤ちゃんから大人にかけて自我に覆われてきて、
そこからまた自我をはずしながら、大自然の自分を識る。
○(まる:赤ちゃんの自由)から、六角形の大人の自由を培っていく。

そうやって人は変化するけれど、足跡、自分の歩いてきた道はのこって、
行く末に影響を持ちつづける。今この一瞬の行動、選択は未来への種になるから、
ぶう垂れて自棄にならずに、何かしんどい時であれ、タンタンと、すべきことを
繰っていくことが大事だ。やる氣に関わらず、掃除をすれば部屋は綺麗になるのだから。

残り稲穂の曲線の佇みが感動的に愛おしい。
本物と、自然を模倣した作品とは、レベルとラベルの差がある。
願うらくは、作品とは、人の自然にあらむことを。

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うさぎパン。

北海道小麦の地粉「道産粉」を近所の製粉所で買い
(5kgで1000円ちょっと。安いし挽きたて!)、
天然酵母を混ぜて手ごねし、室内の自然発酵で膨らませた生地で
息子が手作り。寝起きのままで、はだかです。

ちょっとしゃれたパン屋で3つも買えばすぐに1000円近くなるけど、
子どもと手作りでぱくぱくするなら、1000円分の粉でこういうのが150個は作れる。

さて、庭でブッシュ(藪)化したミニトマトは、
もう涼しくなって赤く熟れないので、
キッチンバサミで刈り落としました。
それをさらに細かく切って、来月小麦を蒔く畑に撒いておいた。



追って報告しますが、きっとここには
団子虫などが来て分解し、フンを落としていくだろう。
そのフンをさらに微生物が分解するとき、小麦の栄養にもなる。

こういう剪定枝葉は、細かくして放置がよい。
埋めてしまうのは自然の循環から見て不自然であり、分解も遅い。

おっと、さっそくペンライトを持って、当日の夜の状態を観察してみよう。

(結果)
なめくじはちらほら。おそらく通常の巡回。
まだ葉っぱが緑々と生きているので、団子虫は集まっていなかった。

葉の表面の天然酵母が働きはじめると、
小虫たちも集まってくるだろう。
まだ元氣な葉は虫は食わず、ピークを過ぎたものを
土に還す役割がある。一方、まだ若い葉でも、増えすぎた葉を
間引きしてバランスをとるために食うことはある。
害虫、害獣なんて本当はいない。
崩れたバランスを修復するための極端さが目立って、かたきと見なされてしまうが、
植物と動物は助け合って生きています。

炭材などを採るための雑木林も、人が手入れしなければ維持できないし、
人の入らない山奥の森も、動物が枝を折ったり葉を食べたり、糞をしたり
風の通るけもの道を作ることで、保全されている。

下町の植木鉢なんて、おばちゃんが水をやらなければ
アロエやローズマリー、セダムや季節の雑草を残してみな枯れてしまう。
人が水を与えるのも、町の自然だ。
放置だけが自然ではない。あなたの、やること為すことみんな自然なのだから、
間を置いて考えすぎず、その衝動のままに、リアルな今だけを進もう。
はじめは失敗も多いかもしれないが、自然体が身をもって失敗すると、
その自然体じたいが進化する。やっつけ仕事でも体がよきに計らうようになる。

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昨日は3つ重なって、風邪氣味になった。

そのみっつとは、
・ご飯を食べている割に、子どもたちと留守番であまり体を動かしていない。
・オイルヒーターの掃除でホコリを吸い込む。
・急に寒くなっても、夏の服装。



そこで、庭にもはや自生している(こぼれ種から生長)辛苦いルッコラを
お昼に生でパリパリと食べて、
夜は先日酢漬けした新生姜をしゃくしゃく。
疲れたときは、酵素の多い生ものを摂り入れ、暖かくして寝るのが一番。

それでも今日は用事が重なっていて、午前中は自転車に息子を乗せて八王子で買い物。
午後は家で染め物をしてから、また自転車で息子と、稲刈りの手伝いへ。
鼻水を拭きながら、坂道をキコキコ。

先ほど、風邪の原因を3つ書きましたが、それらは最後の呼び水に過ぎず、
内実は、夏の疲れ、本やふろしき作り、テレビ撮影完了の安堵などで
目に見えないでっかいものがあって、それが台風のスイッチで
しゅるしゅると溶けている表れでしょう。
さあ、日本人は季節のたびに生まれ変わる。
(稲刈り時にもらった長ねぎを翌朝刻んで味噌汁に入れて飲み、体調も落ち着く)

そんな折、新しい本の表紙が送られてきました。



『毎日カワイイふろしき』(玄光社)11月27日(水曜日)に発売の予定です。

風呂敷とおなじく、ほぼ正方形の本です。
いろんな色柄が登場し、眺めてるだけでも可愛く、
ふだんでも非常時でも役立つ内容が揃い踏みです。
様々なテーマのコラムも挿入。
世代を超えて、たくさんの人たちに愛される本になるように願っています。


今日の稲刈りで、田んぼの雑草「コナギ」をもらってきました。
蛙系男子?の僕はこの、つるんと広がった葉のコナギや水アオイが大好き。
帰宅してさっそく、年中水を張ったままの田んぼに植えておいた。


(中央の、先の細いのがこなぎ。周りの円いのは姫睡蓮のアサザ。こまいのは浮草)

ヨシとコナギ、水辺の役者が揃ってきました。
そのうち建てたい家の周りに、生活廃水を流しつつヨシで浄化する堀を
作りたいのですが、ヨシの下草としてコナギがぴったり。
東京だるまがえるとヌマエビとドジョウの天国にしたい。

家の周りにぐるりと堀を掘って、少し粘土で踏み固めた後に
砂じゃりを敷き、そこに台所排水を配管から注ぐようにするだけで、
とっても簡単な工事なんだけど、やっている人はまだ聞いたことがない。

エコのためっていう精神的な満足以上に、
そこで浄化された水を二次利用できるし
(用水路がなくても、台所を水源に水田ができる)、
エビや蛙やどじょうを、食糧とさえ考えている。

路地の植木鉢のふちにはミノムシの蓑が下がっていた(みの虫は昨今激減している)。





裏庭の本さかきの鉢の根元には、ジグモの巣が伸びている。

ペットショップや園芸コーナーには置かれない、身近な虫や草。
突飛なもの、目新しさ、妙竹林なものばかり迎合するのではなく、
こういう当たり前のはず存在が、土台としてあることを大切に思っています。

テレビも新聞も、基本的には極端な案件を発信しますが、
誰々さん家のチャボのひよこがかえった、おめでとう!とか、
○○さん家の次女が、おむすびを上手に結べるようになった、
そんなニュースにも逢いたいな!

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オイルヒーターをばらして、すき間などに溜まっているホコリをどっさりと取った。
これで冬は快適。電気代が増えるのでコタツは用いず、エアコンは主に来客時。
本当は火鉢がよいけれど(お湯を沸かして加湿器にもなる)、子どもが小さいのでいつかまた。

それにしては軽装で、室内ではまだ夏と変わらない服装であるし、息子も裸が多い。
たくさん着こむのも暖かいが、一日の中で、ある程度体を動かしていればそこまで冷えないし、
寝る前に湯舟に温まれば大丈夫。

きょうは雨。
雨上がりは、池や田んぼにある緑の糸のような藻がうんと増えている。
雨が空氣中の窒素をとりこんで落とし、肥料になっているのか。
(この藻、もずくみたいで食べられそう。さっと湯通しして酢をかけて)
ただ、現代の雨水は残念ながら汚れていて、酸性度も高い。
先日、親戚にあげた小エビは、雨を溜めた水で飼ったところ、全滅したようです。
エビの体が酸で溶けてしまったのだろう。
雨水が入る池などには、貝や卵の殻を沈めておくとよいでしょう。

酸性雨の影響は植物も受ける。根の周りに共生している微生物が死んで植物も弱り病気になりやすい。
なるべく細かくした貝や卵の殻、木炭の粉を根元や周囲に撒いておくのも効果的。
石灰は土を固くするので使わないほうがよい。
森や林では、落ち葉や枯れ草の層やそれを食べるダンゴ虫の死骸などが雨を中和して樹を守っている。

土壌は性質が変化するのに3年かかるという。
たとえば何か肥料を与えても、そのミネラルが水に溶ける細かさになって(イオン化)
はじめて根から吸収できる。また、ミネラルの組成によって定着する微生物の種類も決まる。
そうなるまでに3年。すると、原発事故によって大地に積もった放射性物質も、3年もたてば
大地に溶けこんで、植物が根から体内に吸収する。
チェルノブイリの影響も、事故3年後から小児がんが急増している。
これまでのように、野菜の皮をむけばベクレルが大幅に下がるというわけにはいかない。

イオンテスターなどで自ら土壌を測定しながら、これからは自分の食べ物は
できるだけ自分で作るという意識が、放射能に限らず、必要悪な単一規格栽培による
作物に頼り過ぎず、健全に暮らすことにつながる。

有機栽培だから安全とはいえない。
成長ホルモンや抗生物質入りの餌の牛や鶏の糞、下水処理による汚泥も有機肥料。
未熟を埋め込めば窒素過多、完熟は養分0のカス。
現代農法は、必要な虫も農薬で殺し、役割のある草も除草剤で枯らし、
石の粉で嵩増ししている化学肥料で土を固める。燃料を注いで重機で耕さなければならない。

自分で小規模にやるなら、もっと生態系に沿ったかたちでできます。

植物が育つための栄養は、表土の微生物が産出するので、
発酵しやすい環境が希ましい。状態のよいぬか床のようなもの。

栄養の元となる有機物と、発酵に適した土壌環境(温度、保湿、水はけ)が必要。

有機物は、虫の糞や死骸、鳥の糞が自然に落ちればよい。
生き物は餌のある所に集まるので、虫の餌の雑草、鳥のついばむ果樹が
畑と一緒にあるとよい。温度は日あたり。保湿は雑草とその枯れ草、樹による半日蔭。
水はけは、はじめに畝状に盛り上げておく。

もっと多く収穫したければ、有機物を土の上に置く。
野菜や果物の皮、落ち葉、米ぬかなど。埋めはせず、虫に餌をやる感じ。
地表は乾かないように、草や枯れ草に覆われているのが自然。
ヨモギ、バジル、ミントなど多年草はつよい根で占領するので抜くが、雑草は抜かずに
日を遮る部分をハサミで調えるだけ。そうすれば土を乾燥から守れるし、虫の居場所が残る。

健康な畑には、様々な小動物が自然と集まってくる。
野菜=畑を作ろう、という観念を超えて、多様な生き物の棲める庭を作り、
そこに野菜も共存させるのが理想。畑でありながら、石積みや小丘、
樹や水の流れがあってもよい。本来は、そこの生き物を食したほうが効率はよい。
僕にとって、動物と植物に境はない。草が動いてるのがバッタです。

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・10/26(土)13時~15時 立川で風呂敷講座あります。
 参加費3150円。お土産風呂敷と復習用プリント付き。
 参加ご希望の方は、メール isamix@gmail.com までお願いします。
 希望者には、講座後に簡単な似顔絵を無料でお描きいたします。


・11/18(月)~22(金)の5日間、テレビBS朝日の5分番組で
 僕の風呂敷の活動を紹介していただきます。
 20:54~21:00『アーシストCafe 緑のコトノハ』
 日ごとにテーマが変わります。短いのでお見逃しなく。
 (我が家にはテレビが無いため、後ほど録画などで拝見します)


・来月11月中に、2冊目となる新著が出版される予定。
 前著は親子向けのデザインでしたが、このたびは
 大人向けです。追って詳細を記しますが、
 生活習慣を揺るがす佳著(カチョ)になると確信しますので、
 どうぞよろしくお願い申し上げます。


(付録)「しあわせの時」
・お通じ後の腸すっきり空っぽ感
・寒い日の半身浴(休日の朝風呂、昼風呂もなかなか)
・隣の部屋で家族がすやすや眠っている
・庭にカナヘビがスイスイ、ちょうちょひらひら
・読む本や漫画が待っている
・来客にふるまうお酒がある
・髪を切った(セルフカット)後の入浴
・出かける前に、ひげを抜いてそり、鼻毛を調え、爪をきり、耳かきをする時間がある
・おうちでお肉(お肉はたまのごちそう)
・ご近所とおすそ分けの物々交換
・大仏ぶつぶつつぶつぶオレンジ(?)
・お弁当を持って遠出
・宝くじを買うという氣持ちの余裕。はずれても、まいっか

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風呂敷講座のために前橋へ向かい中。

今日は満月2日前で種まきによいというから、
朝、庭に水仙の球根を埋め、チンゲン菜とルッコラの種をまいた。

基本肥料は与えないが、枯れ草が乗っているし
精米で出た糠を撒くこともあるから、
地表にはいつも団子虫などがいて、
それを食べるトカゲや小鳥も来るから、糞が落ちる。
栄養の残った糞に微生物が酵素をかけて分解したとき、
抽出された養分を植物の根もおすそわけしてもらう。
肥料となる有機物は、土と混ぜずに表面に置かれるだけなので、
土中でガスを出して根腐れすることもない。

最後に分解してくれるのが微生物なので、
彼/女を保護するために、土が乾かぬようワラを置いたり
雑草の根を抜かずに葉の一部を切るだけにする。
微生物の体の蛋白質を溶かしてしまう
酸性雨の中和に、貝殻や卵のカラを細かくして撒いてある。
石灰は土を固めてしまうので使わない。

夏の庭の主役が稲ならば、冬は小麦。来月に蒔きます。
昨日のドイツ人の彼は、うちの前に残してあった刈る前の稲穂を見て、
はじめてみると感動されたので、1本引き抜いてプレゼント。
水を溜めたままなので、黄金色に充分に実っていても
葉っぱは緑色です。

今日の鉄道時のお供に、やや厚めの本1冊。
水筒は2本。おむすび3個。

昨日おやつに食べたドイツのお菓子がエネルギーいっぱいで、
夕飯はおむすび1個、今朝もちっとも腹が減らず。
さすが、寒い国の食糧じゃ。人は糖質と脂質で動く。
加熱加工が多いから、野菜や果物の酵素も利用して消化
(野菜の酵素が、自分の酵素をつくる材料になる)。

海からの贈り物、ミネラルは体の様々な働きを助ける。
食の土台に、おむすび(糖質)と漬物(酵素)と塩(ミネラル)があれば、
日本人は元氣に生きられる。

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ドイツから一時帰国の友達と、その彼氏さんが遊びに来てくださいました。

お土産に、ドイツのビールとクッキー、入浴剤、石けんをいただく。



どっしりがっしり系。うれし。
右のお菓子の中は、杏仁豆腐の香りのする、
向こうではマジパンと呼ぶ餡のようなものが入っていた。

墨で似顔絵を描いたり、頼まれていた浴衣を着てみてもらったり、風呂敷の結びの練習、
他、ドイツのこととか色々とお話できて、楽しく有意義なひと時でした。
ドイツ人の彼は日本の純米酒も美味しいと飲んでくれました。

いつかドイツにも行ってみようと。

風呂敷を教えるとき、彼は日本語分からないのに、
90%日本語と10%カタコトすぎる英語で、
後は実際見て、やりながらなので何とか通じました。
非言語コミュニケーション。

それでも、もうちょっと英語が分かれば伝えやすくなるので
ちょいとまた、勉強しようと思う。

以前、風呂敷の結びのプリントの英語版の自作にあたって
図書館で大きな英英辞典をめくりながら学んだときの名残りで、
少しだけ伝えやすくはなりましたが、

今度は、文章で書くプリントではなく
実際に直接口で会話して、ふろしきを伝えられるように勉強しよう。

結ぶ、は「タイ」で、ほどく、は「アンタイ」です。


さて、明日は前橋で風呂敷講座です。片道3時間。
今回は参加者がそれほど多くないので、交通費を引くと赤字でしょう。
それでも、全然構いません。
元々好きで使っていて、自然と呼ばれるようになったので
ビジネス先行ではなく、1人でも学びたい人がいるなら行きます。

もちろん、生きていくには(余計な出費も含めて)お金がかかるから、
ボランティアでは引き受けないし、黒字になったほうが
より、スケールを広げられるので大切なことですが、

まあ、そういう時もあるさ、でよいし、

本当に、どのご縁がどのように広がるかは分からない、
毎日未知曜日なので、参加者が少ないから中止、は基本ありません。
もっとも、主催側の都合には合わせますが。

赤字のときは、過去の悪事?の精算、という考えもあるにはありますが、

きっと、道中で何か得るすてきがある、と根拠のない確信があるからこその平氣なのでしょう。
要するに、判断はアタマでなく、からだがどう思うかなので
論理的、金銭的な損得とは別の視点をもつ。

僕個人のしあわせは、自分の視点が増えたり更新されて世界が一新するとか、
体が大氣や大地と一体に動ける感覚がより深く、より軽やかに
段階が上がったと感じることで、他人や世の中の尺度や評価とは異なもの。

また、現実的に考えても、赤字という現実を味わったほうが、
もっとこうしたらよいかな、と真面目に考えたり、リアルの中で
よいアイデアが湧きやすいもの。
自然体によって出た結果をまるごと受け入れることで、
自然体自体がしぜんに変わっていくことが、最も無理がなく揺ぎないものとなる。

演じたり、意識を切り替えたり、集中するというのは全て、余分な間(マ)であって、
自然界では1テンポ遅れて命とりになる。
以前も書いたが、草を食んでいるウサギが、突如現れたオオカミに
「逃げモードに呼吸を調えるんだから、一瞬待って!」なんて言ってられん。
ぱっと逃げる。
たとえ酔って寝ころんでいても、すばやく敵に反応できるのが本当の侍だ。

だから、等身大の、ありのママで当たって(もちろん自分なりに工夫や準備はするが)
それで得た結果を正面で受け入れることで、ありのママが自然に進化する、
という生き方をとっている。

目標が「たくさんの参加者を得る」だったら、少なければ中止するだろうけど、
僕にはひとことでいえる目標はない。

あるとするならば、ブログのタイトル「100年先の子どもたちのために」なので、
世の中のあらゆることの、ちょっとしたことに対する、愚直でタンタンとしたつよい思いがあって、
それは往復6時間電車に乗ったり、少人数に濃く深くふろしきを伝えることの中からも
見出せることだ。

自己プロデュースして、中身(実力)よりも器(肩書き)を先行させ、
名誉や利潤を得ることを目標にしている人間が増えているのは、
そうやって勝ち残らなければ困窮してしまうという、
現在の日本の不安定さを現している。
死にものぐるいであり、演じつづけるのは長つづきせず、
バランスを崩して本当に死ぬかもしれない。

はじめから、死んでもよいからただマイペースに歩いてるほうが、案外たのしいよ。

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今日はあめ。

この季節はひと雨ごとに涼しさを深めそうだが、
明日は台風到来か天候は荒れるという。

その、明日はドイツに留学中の友達と
我が家で数年ぶりの再会予定。
ドイツ人の彼もいらして、二人で浴衣を着たいというので
知り合いのリサイクル着物屋さんで浴衣は買いましたが、
帯のちょうどよいのが無かったので、
僕が持っている6尺(鯨尺、216cmくらい)の
長い絞り帯を半分の3尺に割いて作りました。
腰ひもと同じ2周分で、このくらいほうが結びやすいかと。

これによって、帯が2本できたので1本は自分用にし、
さっそく今日、青梅の小学校での風呂敷講座で
着物をきてこの帯を締め、ハカマをはきました。

体育館で、元氣な小学生とともに楽しく結びました。




明日はつよい台風の来(き)ぬべしという予報なりが、
ドイツからの2人はちゃんと来れるのだろうか。

友達の、女性の方の浴衣の帯も合うのがなく、
黄色いすてきな帯も、紺地にピンクの模様の浴衣に浮いてしまう。
イメージすると、緑系ならしっくりする。
そこで、今朝、この黄色の半幅の帯を藍染して緑色にしました。
まだ乾かし中ですが、浴衣に合うといいな。
帯の裏は元々薄ピンクでしたが、すこやかな青に染まったので
両面使えそう。

浴衣の季節は過ぎているが、彼/女たちはこの後沖縄へ行くというので、
おきなわで、外国人とのカップルで着るなら
この季節でも行けるかと。

探しても見つからなかった帯、結局2本とも、我が家に潜在していた。

お店で買う氣がしなかったのはこういうことか。

全てのことに意味があるというが、好きな意味を持たすことができるともいえる。

ただ、ちょっとしたトラブルが起きたり、重なるときは
何か不安定、氣がかりが存在するというサインの場合がある。

頭や足をぶつける、指をはさむ、皿やコップを落として割る、
ジュースやスープの器を倒してこぼす、というのは
その場所の不安定を表しているから、
そこを片付けて、掃除するとよい。
というよりも、割ったりこぼしたりすれば掃除せざるを得なくなるので、
だからそこで壊れた、という解釈もできる。

絶対的に汚いとか、散らかっているという状態は無く、
森の中のように循環していれば、ゴミというものは存在しない。
本人が氣にしているかどうかが問題で、いつもきにかかっているのに
掃除しないでいると、思いが臨界点を超えて、そこにコップが割れる。
逆に、本人が全く氣にならないならば、ゴミ部屋と化していても
思いの集積によるトラブルはない。しかし、疲れはとれにくくなるでしょう。

体をぶつけるのは、ちょっとたるんでるぞ、注意せよ、という
からだからのメッセージかな。
ぶつけることで毒が抜けて、凛とするので、事故が自己治癒でもある。

子どもがいたずらや粗相をしでかすのも、純粋な遊びもあるけど、
構ってほしくて、というのもあるでしょう。
コップのお水をこぼしたら、自分で拭かせるのと併せて、
もっと構ってあげたり、思うままに遊べる時間や環境を増やせば、
そのうち、倒さなくなってくる。


うちの息子が、優しくていじめられるかもしれないから、格闘技を
習わせたら?と親戚からちょいとすすめられました。
日常生活すべてに生かせる体づかいとして、相撲や合気道で心身を練りたいとは
考えています。
ただ、いじめに遭うのは、単に弱いとかおとなしいの表面的なものではなく、
醸し出される自信の無さ、というのもあるように見える。
だから、親がいつもがみがみと命令して、それに逆らうくらいならまだしも、
いつも顔色を伺ってびくびくしているようでは、外に出ていじめられる可能性が増す。

(後から読み返して、 家で抑圧されている子は、どちらかというと
 ストレス発散でいじめる側になりやすい。そして、あまり構ってもらえず
 寂しい思いをしている子の方がいじめられやすい。
 いじめによって構ってもらえるわけだが、もちろん本人の望む形とはかけ離れている。)


僕は、こう見えて いかづちを落としたり、ビン太を食らわせることもある。
そして、アフターケアのバランスを見極めなければならない。

いじめには、いじめられても本人が平氣な場合と、苦しい場合がある。
いじめ自体が無くなればよいけど、コミュニケーションにおける
線引きが難しいから、たとえいじめっぽい境遇におかれようが、
ちっとも歯牙にかからないような強い心であるように、
それは腰のつよさともつながりますが、日々の暮らしで
そうなるように鍛えているつもりです。

机に落書きされても、消さずに平然と授業を受けていけるし、
上履きを隠されたなら、裸足で教室に行く。
先生に問われたら、「何か無くなっていたので。別に裸足でも大丈夫ですが」と
本音からそう言える。
給食にごみを入れられたら、おかわり用がまだ入っている鍋にごみごと戻し、
図書室に行って普通に好きに本を読む。一食くらい抜いてもどうってこたない。
逆に問題をあからさまにして、はっきりさせる。
全員から無視されても、本当に全く氣にならない。
こころの中で「ばかじゃん」と笑える余裕がある。
そのくらいの、自治心を持てるように。

そのためには、自分でできることを増やして、自活の自信を増やすことか。
いつも誰かを頼りにしていると、味方がいなくなったときに絶望してしまう。

根本的な解決は、僕は、体をもっと動かし、日常的に他人とよく
触れ合って生きることで、他者感、そして自我さえも無くなるくらいに
大自然の風に乗ることだと思っている。

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稲刈り後、発泡スチロール田んぼ(今シーズンで卒業。今後はプラのトロ舟を使う)から
エビとメダカをすくい出し、泥も庭に戻した。
来月、ここに小麦を蒔く。
土の表面は乾かさないように、切った雑草や初夏に収穫した小麦のわらを乗せています。



今週は水仙の球根を植えて、ルッコラとちんげん菜の種を蒔きます。

ルッコラはすでに、こぼれ種から生えていて(写真中央付近)、
使う機会もそう多いとはいえないが、なんか蒔きたくなる。
花大根の種は蒔かないことにして、野菜くず放ち場に投げてしまいましたが、
そこからまた伸びて広がる可能性もある。

そう、野菜や果物の皮や種を庭の片隅に放って(ヨシズを立てて目隠し)いるので、
そこから芽吹くものがあります。
夏みかんが多く、デーツ(なつめやし)まである。
見捨てられないものは鉢に植え替えます。



息子まで「うちはせまい」という言葉を覚えてしまったが、
「うちがすき」と言っているのでちょっとほっと。
んでも、もっと広いとこに移動する予定です。

僕は広い庭さえあればよいのだけど。

家そのものにさほど思い入れを持たない、遊牧民か。

こんな家に住みたい!はそれほど無いけど、
こんな家は住みたくない、はある。

・火事の煙を吸って倒れる家(化学建材と高気密)
・地震で崩れる家(水分が多くてもろい、コンクリート打ち放しなど)
・結露する家(呼吸、調湿する自然素材ではなく、コンパネや壁紙。)
・1~2月で完成するプラモデルのような家
・ピンハネ常道の会社(坪25万で2階建てが充分に立つ)
・3階以上の高さ(平屋風情が好み)
・土地ぎりぎりまで建てる家(庭ずき)
・骨組み、仕組みが見えない家(メンテナンスしづらい)
・触ってぬくもりを感じない建材の家
・コンクリートの土間(寒い)
・長持ちしない家(一世代使い捨て)

からだ全体で泳ぐように暮らしていれば、ちょっとしたことこそ
大切になるけれど、頭で形づくるこだわりしか見えていない人間は、
優先順位の最低条件だけ満たしていれば、後は騙されていても知らぬが仏。
のんきでいけるのはよさそうだが、
知らずにストレスは積もるし、病気になっても運と片付けてしまい、
むしろ幻影の人生になってしまう。

からだが重力と手をつないで舞いを舞うように、
能動的に流されている感じが、最良と考えている。
そのためには、つよい下半身とやわらかな上半身が要る。

武道の場合、自分の流れで相手を飲み込むことができ、
反抗した相手の力の向きに沿ってまた、流れを合わせて
無力化できる、そこに抵抗はなく、不思議はあっても恨みは
湧きにくく、面白おかしく仲良くなる、そんな調和こそ最強だ。

それは家と人とのコミュニケーションや距離感にも当てはまること。

家は生き物。例えじゃなくて、本当に生きている。
しかし、ほとんどの家は、死ぬか眠るかしている。
家はここの住人を応援したいが、いのちの伝線が絶縁していて
アクションしようがない。

植物を育て、木を植えるように、家も造らなければならない。

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