庭の2つの水槽の泥のなかには、それぞれ
クサガメとスッポンの小さいのが冬眠中。
明日、水の量を確認しよう。
凍らないように、ひと回り大きい水槽の中に水槽を入れて、
すき間に落ち葉を詰めています。
僕にとって、落ち葉は大切な生きもののすみ家かつ
土の素なので、掃き集めたのをごみ袋に入れて
収集に出すというのは、特に庭のある場合は、考えられない。
まして、日野市はごみ袋が有料でもあります。
土がむき出しの大地は不自然であるという感覚は、
多くの方は欠如している。
たえず変化をつづけて循環しているのは、人の暮らしや
仕事だってそうなのだけど、
仕事とプライベート、会社と家庭、
本業と副業、客と友達などを
分けて考えているから、本音と建前の分裂が起こる。
仕事とプライベートを分けている人こそ、
意識している時点で、もっともプライベートに引きづられている。
そんな切り替えをしてしまうと、
キャラのように極端になり、
そしていちいち切り替えてる間(ま)によって、
すべてが手遅れとなる。
酔っぱらったサムライに不意に敵が現れたとき、
「ちょいと呼吸を戦闘モードに切り替えるから待って」
なんて言っちまうようなものだ。
仕事の顔にも、プライベートの顔にも
それぞれよさがあって、上手にミックスすることで
仕事もプライベートもニュートラルのつよさを発揮できる。
切り替えてしまうと、ツンデレのように記号的で、
本音のコミュニケーションはしづらい。
どんなときも、
素直にぜんぶいえたら、もっとはやく前へすすめると思うのに。
サプライズが無くなる淋しさはあるけれど、
期待に応える愛情を超えて、
共にまだ見ぬ新しい世界を創りだすのであれば、
さらけ出しあうしかないのかも。
でも、そうするにはまだ、人は
傷つきやすいし、
よい所よりも悪口を探そうとしてしまう癖がのこっているかも
しれないから、
まずは理想として、こう在りたい世界をイメージ。
見透しをよくする。
目の前のコミュニケーションに最善をつくすことで、
次に吹く風がかわる。
いつまでも、うじうじと過去に絡むことはやめたい。
余りある、新しい輝きが、
いつもずっと待っている。
| Trackback ( 0 )
|