手がぬかみそくさい。
在りし日の、祖母の手の香りだな。本日84才になりましたが、いまヌカミソはやっていない。
妻つわり中で家事全般手伝うが、匂いに敏感なため糠床もかきまわす。
家宝といえるもので、大切な乳酸菌の温床じゃ。息子が混ぜたほうが元氣になりそう。
ブログの更新遅れててごめんなさい。
手指がちょっとしもやけです。
凍った雪のまだまだ残る道、外はちべたい。
仙台から義母が遊びに来てくださり、息子と遊んでくれて助かる。
友達から「かまどの神様」と言われ、台所仕事は元々大好きなので
必要とあらば一日中いられる。要は、じっとしていられない性格。
食いしん坊だから、確かに、動いていないとバランスがよくない。
今年から、小まめにメモを取るのをやめましたが、別段困らない。
ちょっとしたことは、記憶する前にやっつけてしまう。
忘れること前提ゆえのメモであったが、何となく覚えていられるものだ。
誰かと逢う約束の日時は手帳に記している。
現在のテーマは、自主独立。何かを選択判断するときは、
その視点で観る。
昨夜の夢では、家を直したり、畑を手がけていたような。
家を建てて、名古屋コーチンを飼うのがリアルな夢です。
そのために、ささいな物事にもこのテーマで響かせて、
にわとりへ近づいていきたいが、
実は、人って・・・本氣で想ったことは一瞬で叶う。
では、そこに至るまでの道程は何なのかというと、
後づけされた記憶だ。
誰かに逢うために新幹線に乗ったとしても、
真実は、逢いたいと想った瞬間にふたり逢えていて、
新幹線にのった思い出は、後から捏造???されて刻まれた幻なのだ。
こういう考え方はすきです。
スケールでっかく、具体的に、あなたの理想をイメージしてみて!
明日は、一橋学園駅前ハコギャラリーの風呂敷講座ですが、
参加者がいなければ延期(よくあること)として、
午前中は妻が助産院、午後はまず母校 武蔵野美術大学デザイン情報学科(僕は一期生)の
卒業制作展を観てから、陶芸家のお宅へ、注文していた焼き物を受け取りに参る。
特別な(むしろ、本来の)お水でこねて安定化した粘土による陶器です。わくわく。
おやすみなさい。
と、改めて思い出す。
一ヶ月前に買った厚揚げが冷蔵庫に残っていたのですが、
すてきな豆腐屋のもので、持ちがよいとはいえ
さすがに、表面に青きカビのぽっぽと生じていた。
大変残念ながら、庭にぽいしようとするが
腐敗発酵ではなく、人にとって有用な合成発酵に進んでいれば
チーズのような味になっているのかと、試しにそのままかじってみたら、
臭いはないし、味も普通で問題ない。
このまま捨てるのはもったいないので、
カビの部分だけ取ってから厚揚げを六つ切りにして
熱湯で茹で、さらに細かく切ってから醤油と唐辛子で煮た。
辛いし、念のため僕専用のおかずにするが、
美味しくなったと思う。
こなな青かびなぞ、人類ずっと付き合ってきた隣人なれば、
問題あらへん。まず、匂いを嗅いで苦しゅうなければだいたいOK。
逆にチーズのごとき濃厚な酸味を期待したのだが、普通じゃった。
しかし、昨今の放射能となると、地球ができたころには凄かっただろうが
数回の氷河期を経て冷やされ、安定化した環境の現代に馴染んだ身にとっては
抵抗となってしまう。一万年もすれば、免疫がついて適応するのかもしれないが
それまでの変わり目の道程には犠牲も出る。
恐竜の絶滅の原因とされる天変地異とは違って、人間の科学で引き起こしたことなれば、
同じ科学で解決するしかない。
部屋を物で散らかしたら、同じ手によって片付けるように。
散らかった部屋でどんなに祈っても片付かない。
祈りは、手足でやるだけやった後の隠し味だ。
あえていおう。からだはこころよりすごい!体を大切に。体で感じることを思い切り慈しもう。
あらかしこ 忍者歩きに 雪のみち
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