ふろしき王子のブログ◎
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おもちゃ箱がふえました。

春から夏の、葛の葉はウサギの大好物です。
竹害のように葛も現代では嫌われているが、
家畜の餌、葛粉、生活材料としてもっと
生かせば、頼もしいサポーターになり得る。

堅いのにしなやか、木であり草である
葛は、宇宙からの贈りものだろう。
竹、麻、きのこ等と同様、生長の速さが時を超えている。

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街路樹やツツジ等の灌木の下の草取りを
有志で集まってされている方々がいましたが、
濃厚民族の血であるのか、畑を耕すごとく
徹底的にほじくり返していた。

根を残さずに枯れる一年草であるから、ここまでする必要は無いのだが、
土をむき出しに耕さずにはいられないトライブなのか。

多年草でない代わりに種を残すから、むしろ耕すほどに
その種は混ぜられて、鳥にも食べられず
今後また発芽しやすくなるのかも。

だけど、土が見えていることは自然界にはほぼ存在しない。
地滑りの跡とか、干上がった沼くらいだ。

普通は草や枯れ草や落ち葉に覆われていて、
雨水をしみこませ、乾燥から守るバリヤとなっている。

草取りで掘り起こした後は乾きやすく、風が吹けば
土ぼこりが舞い飛び流出する。

耕された土を見慣れているから違和感がないだけで、
他の世界に生きる人から見たら、異常な状態である。

イモ虫や甲虫を食べることに日本人は躊躇するだろうが、
幼少時から当たり前に食べてきた民族にとっては普通であり、
もし鳥を食べない世界の人からしたら、
フサフサの羽毛に覆われ、クチバシを持つ奇妙な存在のトリを
食べる日本人を異様に感じるだろう。

そんな風に、自分らが当たり前のことでも、外からは
おったまげーしょんな事がある。

誰しも、ローカルを生きているから。

必然の理由のあるものもあれば、ただの慣習や惰性や右にならえ
ということもあるだろう。
そうなった理由や経緯、事情を知ることで、
改良や応用、継承、発展へとつながる。

(写真は、水に浸した葛を干している所)

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かご  




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半枯れの季節、そして水分の少ない新月前後がよかろうと、
今こそ葛(クズ)のつるの採り時と考えてる。
それで、今日は遠出が無かったので、再び川原で
葛をほどいてた。

というのも、笹のような小さめの竹に葛ががっちりと
からんでいて、外すのがひと手間なのだ。

くるくる巻いてたから、ほどけた葛もくりんくりんしている。

まっすぐのほうが編みやすいが、素材の癖のまま、
手のままに編み、出来上がった形を見てから
用途を考えるのもありだ。

目的を決めずに作ったものでも、ひと手間ごとに丁寧に
ものした物であれば、逆に何にでも生かせる懐を備えたりする。

もちろん、単一の目的を定めて作ったものでも
ブリコラージュ(見立て)が可能であるが。

縦横無尽に自在に生きられるから、素材自体が汎用性にすぐれ、
作るときも同じように思うままに形づくれる。

昨日は採ってきたのを一度水に浸してから
乾かしたが、吊るすためのロープも、同じ葛を使った。

身近にあり、いともたやすく無から有を生み出す材料として、
葛も竹もふろしきも、僕の情況と響きあう。

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葛で編んだカゴがかなり丈夫なので、本当に自転車のカゴ用に
こさえてみようと考えている。

昨日は午前中、息子と共に近所の友達の畑に行った。
自家菜園があるってやっぱりよいなあ。
プランタだけでなく、同じ土に足を着けて
作物と共に成長したい。

写真は、さつまいもの茎で編んだカゴ。

強い思いは現実につながりやすいから、いずれきっと、
地球から畑を借りるときが来るだろう。

内なる乙女ごころを胸に秘めつつ、ここ1年ばかり
「女子会に行きたい」と思ったり、つぶやいたりしていたら、
果たせるかな、誘われて、一昨日女子会に参加した。
本当に男1人だったら、ハシビロコウのようにじっとしとる
予定だったが、最終的に男子が4人となった。それでも
女子会?だからして、昨日の夢は今日叶うものだね。

何もかも、見えないイメージが元にある。
それが濃くふくらんで、形にはじける。

もちろん、イメージ通りに行くわけではなく、
手足を動かさないと分からないことがあるが、

むしろ、全てを計画・設計そのままに進めるのはきもちわるい。

物真似の二番煎じとなる。
頭と手は違う存在で、実際つくるのは手であり、
大自然・宇宙の法則にも逆らえない。

されど、だからこそ理想のイメージは高いほうがよい。

万点を高らかに望みつつ、実際やってみたら紆余曲折し、
百分の一だに到達せずとも、百点は達成する。

無理と分かっていようが、最高の理想と具体的方法を描き、
それを北辰(北極星)として歩み進む。

そんな正道のあってこそ、脇道を楽しめるし、
遠回りしても近づいていく。

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川原で採った葛のつるを籠状に編み込み、ふろしきを添えて。





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代々木公園で、ジャンベ(アフリカの太鼓。セネガル?)に合わせて
踊り狂いすぎた。太鼓が止むまで意地でつづけたが、
息の切れるほどの運動は心臓に毒。

ギャラリーが見てるとついやり過ぎてしまう。

だけど、右足首の捻挫から2ヶ月以上経て、
はじめての大?踊りで、何の痛みも無かったので、
祝回復じゃ。

アラフォーだから無茶せぬようにしないと。
とはいえ、19才の頃より健康かも。

当時は、ファミレスのドリンクバーで、
深夜まで悪友と馬鹿話をしながら
アイスコーヒーにシロップとフレッシュを何杯も入れて
飲みふけっていた。

また、タイ料理にするといい、ライスだけ頼んで、そこに
唐辛子とスティックシュガーとレモン汁かけて
わしわし混ぜて食べ、近くの欧米人が目をまるくしてた。

思えば中高時代、定期試験は一夜漬けで丸暗記して臨み、終了後、即忘却。
改めて、学校や教育について考えさせられる。

人は本来、子ども時代から自発的に大人のマネをし、
その上で自分なりに変化を取り入れながら、自立していくもの。

自分で憧れの大人を見つけ、真似たくなって、
やがて自分のリズムを得ていく。

そういう教育や成長のシステムは、現在の学校では
なかなか見出だせない。
生徒当人の意思に関わらず、受講すべき時間割が
カチコチに決まっている。

私にとって真の学びは、風呂敷で旅をはじめてからの、
20代まるまる、まるっと10年間。

さなる自発的なマナビを、10代のうちからやれていたら、
もっと早く大人になれていたろう。

如何なる巡りも、愛すべき人生であるが、
子どもたちには、自分で決めて動くような教育をさせたい。
否、僕自身の日々の背中が問われるのみだ。

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女子力とは、
氣が利いて、こまめにお茶を入れるとか
料理を取り分ける能力ではない。
それは甘え者の男に都合がよいかもしれないが、
ハイジに出るクララの家のお手伝いのチネッテが
女子力高いとは普通いわないので、
仕事でないのにやることが望まれているのか。

ともあれ、自分にとって女子力とは

特に何か動作をせずとも、いるだけで場が和んでやわらぎ、
ささやかでも空間がほんのり染めるような、女性的魅力であります。

それは観念的なものではなく、女性ホルモンの脂質に
満たされているゆえに曲線が多くてやわらかな、
体かたちから発現されるところのもの。
そして、その形につられた自然で必然な心持ちがあるわけで、
それら体(存在)から生じるこころ(意識)が、ありのままに
調和している人から
醸し出される、見えない雰囲氣こそが、
ちいさいけど大きなパワーとなる。

決して美形なわけではないが、なぜかモテて人氣ある子は
そんな骨のひびきを持っていて、
痩せても太っても、ドレスでもぼろでも、
寝癖でもつやつやでも、
影響なく魅力があるもの。

そうなるには、所作から紐とける。

たとえサラダを取り分けた結果、量や具のバランスがよかれども、
カツカツせわしなく音を立てていては周りを不快にさせよう。

取り分けが下手でも、
道具や食べものをやさしく扱えば、
余分な音は立たず、ひそやかに進んでいく。

丁寧に扱うから、物からの反作用も柔らかいものとなり、
それを受けて肌もこまやかになって、
その毛穴から出されるかすか過ぎる香りが、
その場に愛を授ける。

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こんどの新月前後に、川原で葛のつるを採って、
編んでみたいもの。
・鍋敷き
・みかん用のかご
・取っ手つきの買い物かご
・自転車用のかご
・うさぎの巣
・ボール

葛は、あけびや山ぶどうに比べると柔らかいのかな。
だけど、どこでも身近な素材で、毎年いくらでも
伸びてくるから、暮らしに生かしてみたい。

葛のかごを風呂敷でくるむというコラボをしたい。

葛自体、確かつるの繊維での織り物もあるから、
葛の風呂敷も可能だ。

個人的にはラミー(苧麻・からむし)も好き。
多少産毛みたいのあるから、こすれる
風呂敷としてふさわしいかは分からないが、

ラミーの服を着て旅に出るってのも時を超えてて
かっこよい。

好きな繊維の順に、
ラミー(チョマ)
ヘンプ(タイマ)
リネン(アマ)
木綿

じゃの。

丈夫で乾きやすい麻系が好きだが、
女性には木綿を藍染で丈夫にしたものも、
肌触りはやさしい。

衣服は、動物のように毛皮のない人にとって、
調湿、防御、防寒、UVカットなど大切な機能を受け持つが、
素材や形や量の選択を間違えば、抵抗力を弱める毒にもなる。

加工し過ぎたものは、見えない機能を失っていることがあるから、
なるべく自然に近い状態がよく、

防寒なら、実際の大自然の寒さに耐えている北の植物等、
涼しくするなら暑さにつよい南国の植物の繊維を使えば、
既に半分は完成といえる。
あとは最小限仕立てて着るだけ。

服じゃなくて人が主役。その人を守り、引き立てる。
日本人の肌を美しく映えさせるなら、やはり藍染が好き。
色白い人ほど濃紺が似合う。

化学建てより発酵建ての色が綺麗だが、染める人の腕も重要。

それでも、植物の藍をつかうのが目的や前提ではなく、
人をよりすてきに見せることだから、
たとえ合成のケミカルでも、環境や健康への負荷がないものであれば
一向に構わないという考えだ。
元々はみんな地球の物質。
それを以下に安定的に使わせてもらうかが大事。

静かに優しく丁寧に、大切に扱えば、
人の手が入ることで、かえって環境が豊かになることだってある。

地球にとって最もよいのは、人類が絶滅すること、という意見もあるが、
人類がいてこその、より美しくて宇宙的に有意義なちきうに
するようにしなければね。

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早起き、雪、大荷物、長距離、長時間という
大変ごとな日のようで、でもよいこといっぱいあった。

1.数十年振りにユキ降った特別感
2.降りすぎず、電車止まらずに行かれた
3.いまの所、無事げんきに帰宅中
4.お昼の餃子美味しかった
5.グリコが、ショートニング等無添加のクッキー販売していて
 おやつに買うてみた。
6.実家の浄水器のカートリッジを交換し、祖母にも会えた
7.防災用ふろしき結びのレジュメをスキャンした
8.こうしてブログを書けて、読んでくださる方々がいること
9.本を買った
10.妻に、貼るホカロンを買った
11.ズボン下と長靴とマフラーを装備
12.今日から似顔絵講座の開始時刻が早まったので、
 以前より早く帰れる
13.弟が旅行へ行ったらしい。げんきなら何より
14.新潟のフロ友(風呂敷友達)と電話した
15.フリフリ付きの白い手提げを見かけたが、
 お昼の餃子のひだひだとシンクロ
16.お通じですっきりポン
17.ぽんちゃんという愛すべき人物が、同じ町に住んでいる
18.帰りの方が荷が軽く、雨もやんでる
19.夕飯がたのしみ

よし、最寄り駅に着いた。
寒いけれど、ももを上げてしっかりと歩いていこう。

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上野から常磐線という、ほのぼのラインで松戸へ。
そこから新京成線で八柱行きます。

さて、お昼は、浅草駅から実家までの道で
「餃子の王さま」へ。
このお店、いいんですよ。
スカイツリー建ってから浅草は毎日メチャ混みで疲れる。
出しゃばりなぽっと出の店もしゃらくさい。
浅草っ子は、シャイな世話好きが多い。
外見は品よくシンプルで、中身は味わい深い、そういう店が
好きだけど、今は外国人観光客向けに売らんかな、の落ち着かない
店もふえたのだ。

シャイだけどシャイニング、そんな浅草があらまほしい。

今日は雪の日で、混みすぎてない浅草が懐かしくて
じーんとした。
さらに、昭和29年創業の餃子屋さんで
王さまの餃子(野菜餃子)とライスにありついた。
うれしきかな。
浅草はユキの日がおすすめだね(?)

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寒いね。雪ね。
まだセーター出してないので、
いつもの服装に長靴、ズボン下、マフラーを添えて出かける。
午前と夕方に、草加と松戸でカルチャーの似顔絵教室があり、
合間に浅草に寄る。

冬服は、比較的太めの女性のほうがしっくりして可愛く見える氣がする。
東洋の顔したフィンランドの女性のような。

痩せた方が厚着をすると、おしゃれであっても、まだ寒そうに見えちゃうので。

冬は皮下脂肪のバリアが増えるのが自然。
そのために秋のナッツ類がある。

女性ホルモンは脂質。痩せ過ぎぬように~。

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なんか色々と人形を座らせる所がほしいということで、
初めはホームセンターで板とL字の金具を買ってこさえる予定が、
タイミングが無かったので、家であるものでやってみる。

庭の隅に捨ておかれた板、横幅が足りないので3枚をつなげる。

くすんでいたので、拭いてからカマで削って適当に整えて、
今回はネジを使わず、ひもで結びとめた。
壁に取り付けるのも、両端にひもを付けて、ブランコのようにして
フックに引っかけて提げる。

こういう、間に合わせの手仕事が好きだ。
素材そのものの組み合わせ。
紙やすりでなくカンナのように刃で削っているので
木のたたずまいが違う。

ひもさえほどけば元の材料にもどるのは、
風呂敷に似ている。

クギで打ちつける(一方的な攻め)ではなく、
ひもで巻いて包みこむ(第三者による懐柔)。
理想は、板同士を組む(お互いの協力)のが最も手堅い。



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ソリッド(固体)でもリキッド(液体)でもある脳みそに、
この頃はいつでもナマズが悠々と泳いでいたが、
今日からは、ニワトリがつんつんつついてくる。
昨日、鶏の絵を何ジッ羽も描いたからかも。

頭に浮かぶ順に、ニワトリ、なまず、カメ、うさぎ、カニ、
えび、猫、犬、馬、牛、龍、魚、人とつづく。

もちろん、やっぱり人が一番好きではあるけど、
カエルやヘビたちの居場所を人が駆逐してきた過去があるから、
何とか生きものを助けたい思いがつよく、生きものが豊かな環境は
人にとっても、生きよいと考える。

前進もままならぬ原生林というより、田んぼで共存しているような、
大自然と人の自然がコラボ共栄している具合がよい。

人もやはり、自然の中や自然の素材と共にあってこそ、うつくしい。

100円ショップのタッパーに、キャンディーを入れて
持っている娘っちも愛らしくはあるが、

今頃採ってきた葛のつるを手で編んでみたカゴに、
栗など拾ってきた女性は、遺伝子レベル、皮膚感覚から
愛おしく感じる。

服もまた、ナイロン100%のテラテラした服も意外な魅力があるが、
一本ごとに紡がれた綿や麻の糸が、いちまいのきれに織られたのを
シンプルに仕立てた衣と、人。
植物に包まれた動物の、生(せい)のなまなましさ。
まるで血の色さえ伝わってくるような。

スマホにうつむき、人生の半分をバーチャルな世界で過ごす
現代。リアルをより豊かにさせる道具であればよいが、
実際に会わなくても、ふれあわなくても
目的を浅く達成させ、やり過ごしちゃうもったいなさがある。

生身の人の瞳に、宇宙を観る。
そこには、彼女が今まで食べてきた
幾千もの秋刀魚が泳いでる。

悲しかったこと、美味しかったこと、すべてが、
あらゆるはしばしから、何か出てくる。

見えない世界も、見える世界に顕れてくる。
目をつむっては、闇の中、自己完結の空想が広がるだけだ。

情報でも又聞きでも想像でもなく、
直接実物を見ることで、見えないものが見えてくる。

髪の毛や皮膚から感じとれることがいっぱい。

会わない人を好きになるのも、
会わない人を嫌うのも簡単だが、
空想の世界にとどまる。

インターネットも、希薄な事典に過ぎない。
例えば僕のおじいちゃんについて調べようと、
何も見つからない。
親戚の誰かに聞いたほうが百を知れる。

それでも又聞きだから、生きてるうちは本人に当たるほうがよい。

だけど、人は何かを質問された時、
相手からの期待を察して
答えたりするもの。
真実やいづこ?

いつだって、意味は変わるのだ。

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