ふろしき王子のブログ◎
出前講座開催☆
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メール isamix@gmail.com
 




(一橋学園町にあるおむすびカフェ「まのめ」は本日5/31で閉店です。)

アンテナたる髪は、なるべく切らないほうがよいと
前々から書いていますが、男性は伸ばし放して結い上げるのは
職業によっては現状難しいとしても、
女性は比較的容易であろう。

特に長髪をおすすめするのは
目が小さめで、体格が太めの女性。
上記2条件を備えた女性は非常に行動的でありますが
その上に髪まで短いと、過剰な行動力が
不安定を呼びます(的外れやおせっかい等)。
逆に、少しばかり髪が短めでもバランスを崩さないのは
目が大きめでやせ型の女性。
彼女らは行動力は少ない代わりにたくさんの
インスピレーションを得ている、空想・ロマン・アイデア系なので
既にアンテナの性質があるから、多少髪を切っても
かえって行動力が増して、素適なアイデアを
誰かに披露するきっかけをつくりやすくなるかも。



ともあれ、脳を守るが為にも一定以上の髪は望ましい。

洗い髪のまま寝ると体が冷えてよくない、というのは、
髪全体は表面積が大きいため
乾くときに奪われる氣化熱が馬鹿にならない。
だから、頭に汗をかいたときは、坊主頭よりも
髪のあるほうが涼しい。
ブックマークにある野人さんのエッセイにもありましたが、
汗で濡れた髪に風が通って体温を下げるため、
坊主頭の上に帽子をかぶる野球選手が
最も熱中症の件数が多い。

髪にシャンプー、顔や体に石けんを使わずに
水やぬるま湯で洗っていれば、
アカは流れ、湧いた老廃物は
皮膚の常在菌が四六時中食べて清浄を保ち、
そして必要な皮脂は残るために
紫外線と乾燥から守って
シミやシワもできにくくなる。
そういう皮膚の状態ならば、常々帽子で
日をよけることもなく
世界各地の頭覆いも
元々は砂よけか雨よけです。

本当の麦で編んだむぎわら帽や大麻または亜麻(リネン)の
帽子ならば、通氣性と速乾により蒸れることなく
清涼を保つ機能があると僕は思っていますが、
綿の帽子は汗を吸うが乾きにくいため
吸いきれずに蒸れて高温になるし
たいていみっしり織られた生地で、風が通らない。
化繊は言うまでもなく。

ゴーヤ、朝顔、へちまなどの緑のカーテンが
すだれよりも涼しくなるのは
水分の蒸散によりますが、
髪の毛も汗を吸い、それを氣化して体温を調整する
植物のような機能があります。

だから、髪は短くすれば涼しい、のではなく
汗を吸わせて、そこに風が通ると涼しい。
短髪よりも、髪をすくだけにすればよく、
髪を結わないならば、前髪だけは
目にかからない長さにする。

髪のかかっていない首を日差しが直撃すると熱いので、
暑い日は濡れ手ぬぐいを巻くのはおすすめです。



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近隣の小学校で、忍者教室をすることになりました。
生来の運動神経や体格によらない、実地的な身のこなしを
体験いただき、今後の人生の、何か足しになればと思います。

私めは、本業不明のフリーエージェント、というとカッコよいかもしれませんが
流れ者、与太郎にござんす。
否、本職は絵カキのはずが、絵はそれほど仕事になっておらず
風呂敷のほうが、首の皮一枚(丈夫?)の暮らしを助けている。
むしろ、絵は自分自身の癒しであろう。

ただ、近ころはイベントなどで似顔絵を描くことが増え、
マイペースながらも、つづけていれば
ちょっとした変化がつくづく噴き上がるものと感ず。

幼いころより慣れ親しんだ、絵を描くことは、僕の人生の「骨」のようなもので、
出し抜けにあれこれと支えたり、きっかけを作ってくれる風呂敷は
「筋肉」です。
 
絵が血液ならば、風呂敷はリンパ液。

実際に、風呂敷を背負うのは、絶え間なきリンパマッサージとなって
心身の疲れを流すのにひと役買っています。

リンパは、筋肉の収縮など、ほどよき締め付けによって巡りがようなる。
パンツなどのゴムは、いつまでも締まり続けるためリンパが滞りやすいというが、
ちょうどよく着付けたきものの帯やヒモで締められるのは
ホースをつまんで水を飛ばすが如く、老廃物などスムーズに流れるためか
生まれたままの姿よりも心地よし。
風呂敷を背負うのも、きつすぎても駄目だが、ぶらぶら揺れないように
背中にフィットする感じがよく、こういうのはリンパマッサージに相当して、
でっかい荷物を負ぶって街道をひた歩けども、あんまり疲れを残さないことに
役立っているように感じる。

現在住んでいる多摩平台地は、故郷浅草より標高もずっと高く、
浅草が元々堆積土の湿地とすれば、こちとらは
火山灰の台地であり、下町よりも乾燥している。

毎日、風呂の残り湯をじょうろで浴びせてても、すぐに乾いていく。
武蔵野台地は、乾燥への対応として樹を植えて雑木林を生成し、
保水力を高めて、畑ができるように変えていったという。
それでも、水田は川のまわりに集まり、他は野菜や小麦(陸稲もあり)で、
今でもうどん屋が多い。

これから雨が増え、小麦を収穫し田植えを終えれば、
夏に向かってぐんぐんと、べらぼうなほどに
緑は生い茂るだろう。
乾燥系の多摩・武蔵野台地にとって貴重な
しっとりシーズンだす。



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ふろしき講座で行なっているからだ使いをメインとした
忍者教室を出張しております。



『からだを取りもどす忍者教室』

内容は、
1.にんじゃ体操。
2.基本のふろしき結び。
3.変装(覆面、手甲、ウエストポーチ)
4.ぶれない歩き方。
5.手を使える走り方。
6.飛び道具のよけ方。


風呂敷を上手く活用して、忍者の術を身につけます。

にんじゃ体操は、重心を下げて足腰をととのえ
バランスのよい体をつくる一連の動き。

























歩き方は、コップを載せたお盆を
ぶらさずに運ぶという実習。

走り方は、腕を降らないということで、
おもちゃの刀2本を両手で振り上げたまま走る練習。
盛り上がります。

飛び道具は、小風呂敷を結んでつくるお手玉を
下から投げてもらうのを、
腰をひねらず前を見たまま
水平に避けるという、安全な危険回避を体験。

最後に、当日の講習のエッセンスのような
忍者のポーズを学びます。
単に面白おかしいコスプレ的なものでななく、
その後の人生で実地に役立つ技や体づかい、
物の考え方を身につけるきっかけになればと考えています。

忍者教室受講のメリットは、
・重心が低く安定し、足腰が鍛えられて引き締まる(インナーマッスル)。
・ふろしきの結び方の基本も覚える。
・忍者じゃなくても役立つ、非常時、防災的な使い方が身につく。
・疲れにくく、着物は着くずれせず、足腰が丈夫になる歩き方。動画撮影もぶれない。
・前を見たまま危険を回避できるので、腰をひねって目をそらさずに安全。
・コスプレではなく、生きた忍術を身につける、はじまりの基本です。
・運動が苦手な方でも、筋肉によらない、一生役立つきびきびした身のこなしになります。

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故郷 上野不忍池  だい好きなヨシを背に。

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活力を失うと、目がしぼんできて、みなぎると、目がぱちっとひらく。
これは鶏も同じで、ニワトリはトサカの色も紫ぽくなり、へなっと張りがなくなる。

逆に、活力を持続させるためには、意識して目を見ひらいているとよい。
そうすると、活力を奪うものに引きこまれづらくなり、結果的にエネルギーを保つことになる。
かたちから入る方法。

活力には、からだを構成するたんぱく質が関与するが、そのたんぱく質をきちんと
消化するためにも亜鉛が必要。
亜鉛というミネラルは、貝や肉、ゴマにも含まれる。
精を漏らしてたんぱく質を抜きながらも、良質(吸収できるかたち)の亜鉛は不足がちだから、
そういう、日々イキまくってる男は、目がしぼんで、垂れ目がちになるともいう。
(もともと目尻が下がっている人相とはまた、雰囲氣が違う)。

動物的には、精を放つのは次代へ命をつなぎ、自分自身は死に至る道。
目がしぼんで活力を失っている者ほど、実際には違っても体は
死を感じるから、余計に最後の使命として精を放出したくなり、
悪循環ともいえる。亜鉛の不足がちな現在は、生命力の衰退につながる。
貝塚に見られるように、縄文時代などは、良質の貝を
だだっ広い江戸前の干潟で無限に拾得できたが(それは埋め立てるまでずっと)、
昨今は、貝もまた、生息地によっては汚染されているので、難しい時代ではある。

とにかく、無闇にたんぱく質を消費しないためにも、男は目をひらいて生きよう。

それと、唾液では分解できないといっても、肉や魚を食うならよく噛んだほうがよい。
唾液のぬるぬるが腸の滑りをよくして、便秘を防ぐ。
特に、腸の長い日本人は、動物たんぱくが腐敗しやすいため
早食いなどして唾液不足で便秘すると、そこから腸も酸化して腫れ、
ますます便が通りづらくなる。
直腸に滞留すると、肛門が腫れて痔になる。
便が出ればよいが、溜まったままではいくら薬を塗っても無意味。

歯茎が腫れるのも、歯のすき間に魚の食べかすなどが挟まって腐敗している
場合は、取り除きさえすれば腫れがひく。

そんなわけで、歯はぶくぶくと歯みがき粉を使う必要はなく、
歯のすき間に歯ブラシを差し込んで、カスを除くことが肝要。
そして、早食いは唾液不足を招くので、よく噛むか、
食べる前によくカミカミして唾液を出して飲み込んでおくと
ぬるぬるの道を準備してくれる、という考え方がある。

まとめると、
目を見ひらいて、いつも爽やかな風の道をえらび、
食べる前には唾液を飲み込んでおき、
歯のすき間はいつもスッキリさせておきませう。

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これが、鉢植えの表土を覆うのにイカした、スナゴケ(かな?)です。



実家から持ち帰る予定でしたが、昨日友達家にあったのをもらいました。
そのうち根付き(浅い)、広がって前面を覆い、乾燥を防ぎます。
ワラや落ち葉のように風で飛ばなくて便利。
アスファルトの隙間でも育つように、肥料を食うものでもありません。
半日蔭を好むようです。まさに、草木の根元がぴったり。

タネから勝手に出てきた(うれしいこと)夏ミカンを
植え直したところに、毎年恒例のアゲハの幼虫。
苗木のように小さいため、アゲハがサナギになる前に
餌の葉が足りなくなり、痩せしぼんで死に至るという
かわいそうなパターンも多いですが、
今年はミカンもちょっと大きくなってきていて、
ぎりぎり足りるかな?という感じです。



息子は、アゲハの幼虫を「みどりの新幹線」と呼ぶ。



乾いた路地に開通させた、カナヘビの通りみち。
南の庭と、北の裏庭をつなぐ。
多摩平台地ながら、下町風が吹いております。

このみちの植物は、
・シラカシ 26鉢(どんぐりを蒔いたもの)
・夏みかん 4(しぜん発芽)
・くぬぎ 1(しぜん発芽)
・ヨシ 1(川原から)
・さわら 1(いただきもの)
・なつめやし 1(しぜん発芽)
・イベリス 1(いただきもの)
・不明 3(しぜん発芽)

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恒例の、一橋学園(国分寺から西武多摩湖線で1駅)ハコギャラリーでの講座。
お絵描き教室と風呂敷講座です。それぞれの講座の後には、似顔絵ブースも開催。

6/8(土) 11:00~12:30 誰でも、楽しく絵を描けるようになる講座 参加費2000円(画材込み)
      13:00~14:00 出張似顔絵ブース 白黒500円 カラー1000円

ハコギャラリーは、西武多摩湖線「一橋学園駅」南口改札口正面のクリーニング店の
右の路地の先です。改札口から徒歩20秒。
参加申し込みは、メール isamix@gmail.com よこやまいさお まで。

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毎朝、メダカや小エビへの餌やりが日課でしたが、
数日前から、エサ袋を開封する必要がなくなりました。

メダカの卵つきの藻を移し、稚魚を育むための容器では
捕食者がいないために、ミジンコが無数に繁栄し、
コップですくえば、愛らしいミクロの宇宙船がいっぱい遊泳してる。

これたちを親メダカの池に注ぐと、メダカは張り切ってついばむのに大騒ぎ。
生きた餌でますます元氣になるだろうし、ミジンコはすぐに増える。
稚魚が育ったその日まで。

生もんは酵素があるからよいというが、よそ者の酵素を摂取してもそのままは使えない。
でも材料になって、自分の酵素に再構成できる。
発酵食品は、微生物の酵素によって栄養が消化されやすくなっているのもあるが、
酵素そのものを摂り入れて自分酵素の材料にできるという利点がある。

さて、表と裏の庭を行き来するカナヘビ(トカゲ)のための
鉢植えロード造りですが、本日だいたい完了しました。
鉢の下には角材を重ねた土台があり、これはコンクリート地面の熱を緩和する機能とともに、
周囲に散った落ち葉を掃くとき、その土台の下のすき間にホウキでさっさかと入れるだけで
簡単に掃除が済むのと、その落ち葉がまた生き物の餌や棲みかになるし、
飛んできた種が発芽する地になる。

植木鉢そのものは、売っているものは素焼きのもの、釉薬の塗られたもの、最近は
プラスティクス製が主流のように見えますが、いちばんのおすすめは素焼き。
夏場などに触ると分かりますが、素焼きの鉢だけひんやりとしています。

これは、水分を通すために氣化熱が奪われていて、そのお蔭で
土の中がサウナ状態になるのを防ぎ、微生物を守ります。
夏場は早朝と夕暮れに水をやり、昼間はやらない方がよいのもこのためですが、
素焼きの鉢ならば、中が蒸し風呂状になるのは防げるでしょう。
同じ原理で、水がめにする焼き物も、釉薬で覆わず、
備前焼のように高温で焼き締めることで水分が微々と氣化して、
中の水を涼しい状態で安定させる機能を備えていますが、
それでも素焼きに比べれば少ないので、はじめから日蔭に置くことが肝心です。

鉢植えの中の水分は、地面と違って限りがあるので
乾かさない工夫がより必要となります。
ワラや落ち葉を敷いても風で飛びやすいので、生えてくる雑草(地下茎をつくらないもの)を
抜かずに、ハサミで適度に調えておくとよいです。
小さめの星型の、コケみたいな植物(スナゴケ?万年草??)も保湿に最適であるし、
表面だけに生えて、肥料も食わず、糞で窒素を供給する虫たちの棲み家になります。
たまに、誰かの家の周りなどに生えているので、分けてもらうとよいです。
ちょっと乗せておけば、どんどん増えて土の表面を覆ってくれます。
黄緑~緑色ですが、オレンジ色で冬も越します。
好きなんだけど、いまだ名前がはっきりしない~。

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6/8(土)に小平市でお絵描き教室を行ないます。
11:00~12:30 参加費2000円 画材込み
会場 一橋学園駅前ハコギャラリー(駅南口改札正面)

描けるようになりたいものの写真(実物)があれば、お持ちください。
無くても結構です。

絵を描くことに苦手意識を持っている方は
お裁縫以上に多いように見えますが、
絵を描くのは、自転車にのったり、目玉焼きを焼くのと同じで
そもそもそれほど難儀したり構えたりするものではなく、
ごく日常のひとコマとして、身近であってもらいたいもの。

見ないで描くと記号になり、見ながら描くと、自分のタッチや物の見方が
反映されないという二極化も含めて、現在の美術教育には前々から
疑問を持っていました。何しろ、絵が好きな子が美術大学に入ると、
絵を描かなくなるというパターンは、もはや普通のことになっています。

また、子どものころは天使のように自由に描いていたものが、
絵画教室や美術の予備校でデッサンを練習するほどに、
以前のように思うママに描けなくなり、
見れば写実的に描けるけど、見たまんましか描けない、という、
周りからは(写実的であるという観点で)賞賛を得ようとも
描いている本人が心から生き生きしていないという問題も感じます。

元来、日本画は動植物をモチーフとすることが多く
生きている動物は止まっててくれないために
見ながら描くことは困難でした。
そこで、対象をただ集中して観察し、
実際に描くときは見ないで描くという方法論が得られます。
ところが現在は、写真や死体を見ながらという
観察よりも見て写し取る描き方が主流になり、
本人の物の見方やタッチが生かされていない絵がほとんどという実情に思えます。

今回の絵画教室は、そのように失われている、伝統的な観察による画法を習います。
絵を描くのが苦手な方でも、一度知ってしまえば、生涯心のままに
描けるようになるという、とても有意義な講座と自負しております。

受講希望の方は、メール isamix@gmail.com までご連絡ください。

実習例(上が受講前 下が受講後)











講座では、色付きの作品を完成させます。
その後、受講生の展示会もギャラリーで開催予定。
思うママに絵を描きたい方には非常におすすめです。ご参加をお待ちしております。

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いつもながら、特にここ数日、植物や土壌のことばかり考えていて、
長文記事を3つほど、書いては消していた。

法則はシンプルなのだろうけど、実地にお働きするメンバーたちの挙動の
綿密なネットワークは、宇宙のように奥深いだろう。


(急な霧雨。ふろしき帽子に手ぬぐいマスク)

結局、ひと事で言い切るなら
生き物の棲みやすい環境が、植物にもよいということ。

植物の栄養は微生物の出す酵素によって合成されるが、
その元となるのは、虫や動物が食べてかき集めて出した、
糞に残る窒素分だ。草や落ち葉だけでは窒素が少ない。

元々そこにある落ち葉や枯れ草を食べた虫の糞であれば
合成発酵をする微生物が付くけれど、
現在の家畜の糞はミネラル不足で腐敗発酵を招く。
有害なガスを発して植物を弱らせる。
それで、生堆肥は「肥料やけ」するとして避けられ
完熟堆肥をよしとする風潮があるが、
そのほとんどは、腐敗発酵を終えたあとの、
養分のかけらもない残りかすである。

大自然では、虫や鳥や動物の糞が直接大地や根元に置かれるが、
それが悪臭と毒を生む腐敗をすることはない。
人の作った餌を食べている生き物の糞は腐敗しやすい傾向。
飼料となる穀物が化学肥料で作られているためのミネラル不足だが、
これがたとえ有機栽培であれ、腐敗の果ての完熟堆肥では同じくミネラル不足になる。

とにかく、理想は、有機無機を問わず人為で肥料を撒くよりも
いつでもそこに合った肥料が自然の生き物から供給されるシステムにある。


(小麦をついばみにきたキジバト)

そのためには、
草、枯草(保湿、虫や鳥の餌、棲み家)
樹、落ち葉(日蔭、保水、鳥の棲み家)
石や枝(隙間、小動物の棲みか)
小川、水たまり(飲み水、砂利の流れによる電子の供給)

このような、生き物の棲みやすい環境を用意し、
そこで米や野菜も一緒に育てればよい。

だんご虫の死骸は、酸性雨の中和にも貢献するだろう。

都会の長屋でできる、生き物の棲み家づくりによる園芸の例として
そのレベル別に挙げてみます。

Gランク:玄関の脇に鉢植えを置くだけ。ワラジ虫が生じる。
F:鉢植えの下に、木の板やブロックを置く。+ダンゴ虫、アリ
E:その後ろに、すだれを立てかけて、壁の熱を防ぎ、地面に蔭をつくる。+ナメクジ、ヤスデ
D:鉢植えを増やし、暗がりやすき間が増える。+ハサミ虫、ヤモリ
C:丈の低い雑草は残し、保湿と生き物の餌、棲み家に役立てる。+かまきり、カナヘビ
B:睡蓮鉢などの水場を用意。メダカや金魚を飼う。+蝶、小鳥
A:鉢の土台のすき間にほどよく石を詰めて、保湿と隠れ家にする。+ひきがえる




生き物の棲みよい状態になると、そこで育てる花や野菜にも
自然と虫がきて、弱った部分を食べたり、糞をして植物の生長を助ける。
虫などの糞は雑草の枯れ草のすき間をぬって土中へ落ち、その中で
微生物の酵素で栄養(イオン化)となり、水やりや雨でしみこんで根に吸収される。

生き物が多いと、せっかく育てている作物が食われてしまうと危惧されるかもしれないが、
食われてしまうような野菜は既に病氣(酸化=電子が足りない=土壌のミネラル不足)であり、
基本的に生物は、枯れ草やピークを過ぎた段階を食む。または多すぎるのを間引くことで、
むしろ植物を元氣にさせる消費をする。
丸坊主になる野菜は、人が食べては毒であるほど酸化している。


(特に肥料を買うこともなく、ぐんぐんと育つ鉢植えのクルミ)

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部屋の中で飼うよりも、外のお庭で飼う魚(メダカなど)のほうが
長生きしたり、水が汚れないのは
風のさざ波とか、月の光の何らかの好影響かと考えたりはしていたけど、
今日あらためて、直射日光が生育にとって必要なのではと実感してきた。

紫外線はよくないという観念はつよいが、全く浴びないのも不自然であるし、
紫外線には殺菌効果があって、水の浄化にも貢献しているだろう。

紫外線を浴びすぎると皮膚ガンのリスクが増すだろうが、浴びな過ぎると
ビタミンDの生成に支障が出るとか、皮膚以外のガンができやすいとも聞く。

外の水は腐りにくく、窓際の水が腐りやすいことからは、
ガラスを通した光と、直の日射は性質が異なるという推測はできる。

顔に陽差しを受けたくなければ、手の平で太陽を浴びるのも
効果があるという。
石けんや熱めの湯で顔を洗わなければ、必要な脂分が顔を乾燥と紫外線から
守り、必要な光線は選択的に吸収するだろう。

水に有機物(窒素を含む雨水でもよい)が混ざったところに
日光が差し込むと、水道水といえども多少ミネラルが解けているのと
直射による腐敗菌の殺菌効果で、合成発酵菌が有機物から栄養を取り出し、
まずそれを食べる植物プランクトン(飛来した者)が増える。

現在、庭に埋めてある、さほど大きくもない睡蓮鉢では
メダカが毎日たわわに卵を産み、ヌマエビも産卵して小エビが増えているようだ。
あきらかに定員オーバーに見えても、イオン化されたミネラルの多い
我が家の池は、水中の微生物も元氣に共存するかたがたで、
水中の窒素分(メダカの糞など)から合成発酵により栄養を生み出し、
藻や姫睡蓮が吸収して育つために、植物プランクトンは餌不足で消え、
水は透明になる。

昔よりきれいになったといっても、ひと目「うつくしい!っ」とはおせじにも
いえない都心の川は、下水処理水や大雨時の下水流入により窒素分を多く含むが
それを餌とする微生物の棲みやすい環境(浅瀬や川原がなく、塩素を含む、ミネラルを含んだ地下水が少ない)
がないのと、栄養をどんどん吸収するヨシなどの水生植物が乏しい。

ちょっとした、お金をかけない土木をはじめにするだけで
川を本来の美しさに近づけることができるでしょう。

眠くなってきたので、また続編を書きます。

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近所の製粉会社で買った北海道の小麦粉を手打ちしたうどん。

今日は、実家のある浅草ではお祭りなのですが
一日中、家に篭りて何かと動いておりました。
藍染と、新しい本に向けての作業ですが

もっぱら受身で、自ら乗り出して営業、外交しない性質だけど
何か引っ張ってくれたら、それ以上に飛んでみせたい
義理堅い部分もあり。

外出しないからと、髪がやや、わさっとしたままあれこれやっていたが、
やはり髪は大切なアンテナで、ラジオでお目当ての曲を聴くための
ダイヤルのように、一つの要でもあるから、改まった用事のある無しに関わらず、
朝起きたらきっぱりと髪を整えるべきかね~と思った。

僕は自分で髪を切っていますが、変てこになっても
ごまかせる?ように、脳天のある程度は
あらかじめゴムひもで束ねて、パインアップルのごときちょんまげにして
保険として取っておき、残りをスキばさみとハサミ(幼稚園時代のもの)で
切るという手法です。

その後、ゴムひもを解いて、頭頂部の長い髪をおろすと
レイヤーのようにかぶさります。これは逆に、いつでも
上を束ねれば忍者のようなちょんまげが結えるので、
ふさわしい(?)イベントなどでも役立ちます。

が、このちょんまげは、馬鹿に出来ない触角、アンテナという
思いが、何となくつよくなっているので、今後はいつでも
ちょんまげスタイルで行くかもしれません。
その折は、いつまでも締めつづけるゴムひもではなく、
手で三つ編みした草木染の麻ひもがよさそう。

既に、一般的に見たら変わった生き方であるのに
外見的にいっそう異なっていく。
ただし、よいものを吸収したいアンテナでもあるので、
何となくここはやばい、というような所では
ちょんまげをほどくこともあるでしょう。

しかしそれも手間だから、髪を結ぶひもの色によって
対応することもできよう。地元(日野市)では紅花のピンク、
浅草ではウコンの黄色、新宿では藍の青。
のように、何色か用意して、形はそのままに、
結び変えることで意識を切り替える儀式とする。

さて、氣分に過不足なく、調子よいときこそ素適な何かを生み出せると、
普通は考えがちであろうけど、
自分のやり慣れた、よく見知り馴染んだ物ごとは、たしかに
明るく楽しく朗らかにやれるだろう。しかし、それは言い方を帰れば惰性だ。
まだ顕在されてない、新しいものを生み出すのは変化であり、
化学的にも変化を起こすには不安定状態が要る。
それは、熱や圧力、PH、磁力など。

ふろしきの、新しい結び方が生まれるときも
何だか重だるいような雰囲氣であったり、
スマートな解決じゃなくて、愚直にたんたんと時間を浪費してる風になる。
その不安定さに慣れたころ(つまり、新たな安定に入った)、
今までにない視点で、新鮮な結びが突然変異のようにスパークする。

たとえば早寝早起きすれば、食べ過ぎなければ、よく歩けば、部屋をきれいに掃除すれば、
いつも笑顔でいれば、→色々とシンプルにことが運ぶ、かもしれないが、
なぜかしら、夜更かししたり、昼まで寝たり、過食したり、何事もやる氣が起きなかったり、
何かに怒りを感じるときもある。
一見マイナスもマイナスとは限らず、無理にプラスの振りをする必要もないのだが、
そういうママならぬ情況と、新たしき創造がセットであることは実際多いのだ。

いままでの安定を破って進化するためなのか、何でも知ってる「体」がすすんで
不安定に迷い入る。そうやって、いつものリズムが壊れた世界で、
それでも変わらない芯のエッセンスが、むしろ惰性や刷り込みに邪魔されずに
ぴちょんと芽吹くんだ。

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今日はこれから、高麗川にある
アリサンフードフェスティバルへ出かける予定です。

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めだかの稚魚が孵り、日々増えています。
産卵も7月までは続くでしょうから、
去年(約300匹)のように友達に分けることになるかも。

今朝は、家の前の都営住宅の周りで、農薬が撒かれていた。
殺虫剤らしい液体を、ツバキにシャーシャーかけていたので
チャドクガ除けと思われる。

下草や雑草が皆無なので、土壌のミネラルが不足すると
樹は病氣(酸化)となり、虫が付きやすくなる。

けれど、農薬の散布はチャドクガの実害のある無しに
関わらず、決まり事で行われているのだろう。
小学生の遊び歩く、裏道の通学路なので
あんまり撒かないでほしいが。

我が家では、野菜くずを庭の片隅に放っていて、
ヨシズを立てかけ目隠ししている。
肥料を作るというより、生ごみを団子虫たちに食わせて処理している。
団子虫はあっさりした落ち葉はよく食うが
くさい生ゴミは好まない。
元の野菜や水にミネラルが多いと、電位差で電子を呼び込むため
腐敗発酵しない。
ミネラル(ただし、水に溶けた状態)の有無によって
有機物を分解する微生物が異なる。

水自体にイオン化されたミネラルが豊富だと、
湿った生ごみを積んでおいても臭わず、ゴキブリも来ない。
よく水を切らなくても臭わないのが、酸化しづらい水の1つの特徴。

団子虫やなめくじがこれら野菜くずを食べると
その分栄養が減る。
土と混ぜておけば、彼らが食べづらくなり
代わりに微生物が酵素を出して養分を抽出。
それをついでにおすそ分けいただくのが
発酵肥料のあり方。
放置しておくと微生物が完食し、完熟堆肥というカスになるので
途中で投入するか、はじめから生の有機質を根元に軽く埋めておく。
現代の環境は腐敗発酵しやすいため
直接生ごみなどをやると、腐敗菌の生成物により
肥料焼け、窒素過多になりやすいが
ミネラルの有無が微生物の種類を変えるので
一緒に薄めた海水を撒いたり、木灰、炭の粉、貝殻や卵の殻など
多種のミネラルが混ざることで
生堆肥として佳くはたらく。
微生物を溶かしてまう、酸性雨の中和材にもなる。

現在、焼畑について勉強中ですが、
大氣の窒素が溶けた雨水を、蒸し焼かれた草原の炭(灰になりきらなかったもの)が蓄え、
その溶解型窒素を作物が肥料として生かせるのではという
素人ながらの仮説を立てて、窒素循環、炭素循環の仕組みを
自分に分かりやすく解き、今後の土いじりに生かしたい。

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正面(南)と裏(北)の庭をつなぐ、東側の舗装された乾いた路地を
カナヘビが安全に渡れるよう、絶賛植木鉢を並べ中ですが、
ようやく道が整ってきたのか、今朝からそこに長いアリの行列。
裏庭の巣へと向かうアリたちは、ひとりずつ1つ、小さな白い粒を持っている。
これはおそらく、昨夜豆乳を絞ったさらしを洗ったときに出た
おからのカスで、正面の庭の野菜くず置き場に撒いたものかな。

家の周りに、こんなにたくさん生き物がいるけど、家の中には
ほとんど入ってこない。居場所が確保できれば、虫といえども
わざわざ危険を冒して人の領域に入らないものだな。





無意識に、裏庭を手前にして図を描くというのは、
裏庭こそが家を支える重心、土台ということなのか。

(改めて)、昨日 キジ夫婦を見た。

武州日野、多摩川の支流たる清流浅川にかかる
一番橋付近の河川敷は、こないだ迄一部護岸工事がなされていて
土手はコンクリートで覆われたるが、
いまだ着手されていない、夏草が育って処々に
小さな薮の如く灌木の茂れる土手を降りた辺りに

胴のふっくりした見慣れぬトリのつんてく歩いているのは、
まごうことなきキジの雌。

キジといえば夫婦一緒の多いことから、
きっと雄も近うにあらむと見れば、
すぐ後ろに、目にも鮮やかな紅い顔の雄キジ現れたり。

野生のきじをしかと目の当たりにしたのは初めてだす。
それも、息子と一緒。
33才のあたいと、3才の息子とも、初キジぢゃ。

その後 見失ってからも 感激は冷められず、つい 大きく
「キジに逢っちゃったあ~っ!」って叫んでしまった。

しかし、それほど珍しうなっている現状は淋しくもあり、
キジが国鳥として、いつでも見かけられる環境を
身近に再生、保護、創造して次世代につなぐのが
大人の基本的責任と感じる。

しかし、キジに意識を向けすぎるのではなく
人と町の健やかな経済活動とキジの居場所が
自然に巡り回っているあり方をよしとする。

外国人観光客をがっかりさせないような、
観光立国を支える田園風景。
風土に根ざした、町ごとに特色ある自然観察園。
ヨシをシンボルに、里川(里山と並ぶ)の積極的利用。

ホタルの棲めない庭に、その晩だけ放すのは虚しい。
糞があればハエが自らやって来るように、
自然とキジが現れちゃうような居場所を調えるんがよい。

近寄った結果、ヒカリ速度で駆け消えてったキジですが、
時速32kmで走れるようです。

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