昨夜から、つよい雨。
降りはじめの雨は、空気中の汚れ(煤塵や窒素酸化物、水銀等)を
取り込んで落ちるので汚れているが、2時間ほど降りつづけば
水質はやや安定する。とはいえ、蒸発して空へ昇って雲になる過程でも
大気汚染物質を取り込むから、さすがに現代の雨水をそのまま飲むことは難しい。
動植物は栄養も情報もことごとく水で運んでいる(体液)ため、
特に植物は雨が降りつづいている間は生長も進んで、雨上がりは
びっくりするほど伸びていることもある。
畑はいつもしっとりしているとよく育つ。カラカラの土では微生物も住みにくく
乏しき生態系とならむ。
乾かさない工夫は、ビニルや藁によるマルチもあるが、
自然と生えたる雑草と共存できれば、
保湿の他に生き物の居場所、棲み分け、有機物分解、
窒素養分の供給(マメ科の草)等メリットが多い。
伸びすぎて野菜の日当たりを妨げることが問題なので、
作物の周囲の草は適度な丈でカットしておけばよい。
草が生えていれば、雨や風による畑土の流失も防げる。
うちの庭の水槽には小鮒とどぜうが生きているが、雨で水かさが
増すと、後者が外へ跳び出て命を失うおそれがあるから、木ふたを乗せている。
天然ならばドジョウが田から畦に跳び出たとて
またにょろにょろと水に戻られるが。
人の関与は、予期せぬ犠牲を生まぬよう
全方向にアンテナを巡らせてものす必要がある。
川辺の原っぱは、増水時に小魚たちの避難場所になる。
しかし、ことごとくコンクリート護岸で固めてしまえば
魚たちは濁流と石とともに海まで流され、
その道程で多くの者たちが死するだろう。
人の手は、かしこく入れば生態系がむしろ豊かになる。
放っておいても自然な状態にはならないほどに
複合汚染された現在、ただ引き算(無農薬や省エネ)だけでは
過去の汚染の解決は希み難く、100年先の子どもたちに
安心して遊べる当たり前の環境をのこすことはできない。
根拠と効率を得た科学的な手段でもって、割り算で素に還すこと。
切迫も感じるけれど、できることは毎日の一つ一つを丁寧に、
無理せず素直に生きる中での選択と出逢による変容しかない。
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