西国分寺駅で武蔵野線を待つ。
日野の自宅からだと、北へは大宮から新幹線に乗る。
お昼用にパンを携えてきたので、座れたらスーパーエクスプレス
「とき」の中でほおばろう。
今晩のパーティーは着物を着る予定だったが、
帰りの新幹線がぎりぎりなので、ジャケットとネクタイで
出発した。
いつもの書生風の絣の着物とハカマなら、終日着ていられるが
会場がホテルなので、相応の着物となると
田舎道から着ていくわけにも行かず、帰りの着替えの時間は惜しい。
ともあれ、ネクタイ姿もまれなので、新潟の友達には新鮮だろう。
手土産に、瓦せんべいと、あとは合羽橋の実家で売られている
シリコン製のソフトスプーンを。
お皿に残ったカレーなり、瓶に付いてるジャムなどを
きれいにすくえる逸品なのだ。
実家のお店「ヨコヤマ」では、身内は
1割引で売ってくれるけど、
江戸っ子だからか僕は、わざわざ自分のために割り引くひと手間も
しゃらくさいので、たいてい売り値のまま買う。
実家の売り上げにも貢献できる。
だから、まして友達が何かを販売していたら、こちらから
勉強をほのめかすことはまずしない。
友達だからこそ定価で買う、という考えだ。
それでも、自分が何かを売るときは、友達割り引きはする。
結局、割り引くかどうかは売り手が選択することだ。
逆に、何かの協力をボランティアで行なうようなときは、手伝う本人の
提案することであり、頼む側が「ボランティアでお願いします」などと
言うべきではない。
お金は、その人の生命に関わってくる大切な要素なのだ。
人件費を削るとスタッフのやる氣も責任感も減少し、
ことごとくぐたぐたになる。
使わないものや余計な手間を整理、お掃除して経費を減らし、
それでも足りなければ、いざというときの保険として
貯めてある分を、ぱあっと使えばよい。
今日は昨日を引きずるから、今日がよければ明日も照らされる。
今ここにいる人への投資が、限りなく大切。
あれこれ吝嗇しながら、人心を失い、成り立たなくなって、
結果的に繰越金をのこしたまま潰えてしまう事業も少なくない。
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