このブログ、時おり風呂敷の話題を上げこそすれ、
動植物その他いろいろで、直接ふろしきに言及する記述は多くはない。
その原因は、僕にとって風呂敷が非常に身近で、
暮らしや身体の一部となってて距離感が無いためでもある。
たとえば
「右手ってとても便利なんですよ」と書く人は
あまりいないように。
それと、18年前の在学中から愛用をはじめ、ただ暮らしの必然必要の
中で、様々な結び方を発見(発明ではない)した。
やがていつしか、結び方を教えてほしいとお呼びいただくようになったので、
「風呂敷を仕事にしよう!」というはじまりではなかった。
自然に仕事になり、みなの応援と紹介で広がったので、
僕はとにかく一つ一つの講座に心を尽くすのみで、
ばんばんと宣伝してアピールする、という道程ではなかった。
だからこのブログも、風呂敷と一見無関係な記述が多い。
だけど地下の根っこはつながっている。
風呂敷をはじめたきっかけが、豊かな自然環境の再生をめざし、
使い捨てのごみを減らし、物との付き合い方、意識を変えるためだったから、
いきものや環境の話題は本意本願として湧いてくる。
風呂敷は永遠たる手段(道具)であり、目的に終わらない。
ただ、これほどに便利有用かつ愛の深い道具に
まだ出逢っていない。
手足の次に位置する、みっつめの手であり、足といえよう。
(追伸)
お蔭さまで、さいたま市の小学校の土曜教室の
ふろしき授業は無事に完了しました。
むすびの輪が広がり、誰もが当たり前に風呂敷を生かし、
人生の緒場面を楽しく彩ってほしく思います。
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