「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

「エフゲニー・キーシン」のピアノ・リサイタル

2014年04月29日 | 音楽談義

先週の土曜日(26日)、「エフゲニー・キーシン」のピアノ・リサイタル(福岡アクロスホール)に行ってきた。

福岡に単身赴任中の娘が招待してくれたもので「いつも母親には宝塚観劇でサービスしているのでたまには父親も」ということらしい。そこそこの演奏者なら自宅のシステムできいていた方がマシだと思っているが、キーシンともなると話はまったく別で、喜び勇んで出かけた。

ちょっと“おもはゆい”が証拠写真ということでパチリ。家族の写真は昨年(2013)の7月14日付でupして以来9か月ぶり。

      

午後3時からの開演でプログラムは第一部がシューベルトの「ピアノ・ソナタ17番」、第二部がスクリャービンの「ピアノ・ソナタ2番」と練習曲集だった。

いずれも馴染みのない曲目だが中央15列目という比較的ピアノに近い場所だったので日頃滅多に聴けない生の音に大きな期待を寄せた。

ほぼ満席の中、定刻5分遅れで比較的小柄なキーシンのご登場。

ところが、どうもピアノの響きが思っていたほどではない。辺りを睥睨するようなグ~ンと伸びた豊かな低音域がきこえてこない。“こんなものかな”と幾分ガッカリしたが、演奏のほうはさすがにキーシン、十分堪能できるもので、とりわけ抒情性豊かな4楽章にはついウットリさせられた。

第一部(およそ50分)が済んで20分間の休憩となったところ、年配の調律士さんとおぼしき方が舞台に登場してピアノに歩み寄り、やおら調律を始めた。アレッ、普通、幕間に調律なんてやるのかな?憶測だがもしかしてキーシンがピアノの響きに違和感を覚えて注文を付けたのかもしれない。

はたして、第二部になったところピアノの響きが圧倒的に違うのである。オーケストラに匹敵するといっても過言ではないほどの、これぞグランド・ピアノの音!スクリャービンの音楽にはあまり馴染めなかったものの圧巻はアンコールの3曲。

                   

盛大な拍手に迎えられての1曲目のバッハ「シチリアーノ」はたしか手持ちのCDの中にも収録されている曲目でおそらくご本人のお気に入りなのだろう。

最後のリストの曲目が終わると、圧倒的なテクニックの前に観衆が総立ちになってブラボー。自分も思わず立ち上がって、拍手しながら「やっぱりキーシンは凄い」と唸った。いやあ、満足、満足。今日は記憶に残る貴重な一日となった。

娘が顛末を「フェイスブック」に載せたところ、長兄の甥っ子から「おじさんには最高の贈り物ですね」とコメントが寄せられたそうでやはり分かっている(笑)。

興奮冷めやらぬままに、市内の実姉の所に行っていた家内と落ち合って娘のマンションで一泊し、翌日の昼ごろに自宅に到着。急いでキーシンのCDをかき集めてみた。

ボックス型のCD全集が4巻(全16枚)。

          

ブログを作りながらの“ながらきき”もこの1か月ほどで「バッロク全集」(60枚)、「ドビュッシー、ラヴェル全集」(8枚組)が済んだところなので、これからはキーシンをきくことにしよう。

それにしても、以前から待望しているのだがキーシンほどのピアニストがなぜモーツァルトの「ピアノ・ソナタ全曲」を録音しないのだろうか。もしかするとテクニックに加えて何らかのサムシングを要するモーツァルトの演奏に逡巡しているのではあるまいか。

先日の「ブログを作りながらの音楽鑑賞」(4月22日付)の中で触れたが「吉田秀和 全集第5巻」の中でカール・ベーム(指揮者)が、いみじくも次のように述懐していた。

「年をとればとるほど、モーツァルトは難しくなる。フィガロのあの音、魔笛のこの音がどうしてこうであってああでないのかと考え出すと、ますますわからなくなる。モーツァルトの演奏は本当に大変なんだ」(395頁)。

若いときに(といってもキーシンは当年43歳だが)アッケラカンと勢いに任せて(モーツァルトを)弾くのも一興だと思うがいかが。

それにベートーヴェンのピアノ・ソナタの中でもっとも深遠とされる「第32番:作品111」にもぜひ挑戦してもらいたい。ショパンなんぞは、もう弾かなくていいから(笑)。
 


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