「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

内田光子さん、二度目のグラミー賞受賞

2017年02月16日 | 音楽談義

去る13日(月)の早朝のことだった。

「グーブログ」では「リアルタイム解析」という便利な機能があって、読者からの瞬間的なアクセスの状況が分かるようになっているが、ずっと昔に登載した記事「ピアニスト 内田光子さんの魅力」がいきなり爆発的なアクセス数となっていた。

「これは内田さんに何かあったな」と思っていたら、14日付の日経の記事を見てようやくその理由が判明した。

          

「日本発の世界的芸術家の栄えある受賞、まことにおめでとうございます」と、いったところだが、グラミー賞(アメリカ)ってのはクラシック界においてどういう位置づけなんだろう?

けっして水を差すわけではないが内田光子さんの実力と名声からすると「Little」という気がしないでもない(笑)。

ここで丁度いい機会だから該当する5年前の過去記事を要約して掲載しておこう。興味のある方だけご一読ください。

クラシック音楽にとってピアノとヴァイオリンというのは数ある楽器の中でも双璧といっていいくらいの存在だが、前者の場合表現力が多彩なのでたった1台でオーケストラの代役だって務まるのが凄いところ。

音楽鑑賞にも周期があって最近では、不思議とピアノのCD盤に手が伸びることが多い。

しかし、聴くのはどうしてもバックハウス、リパッティやルービンシュタインなど往年の大家といわれるピアニストに偏りがちで”古くて進歩がない”と言われそうだが不思議とこれらの演奏の方が心が落ち着く、ただし惜しむらくは昔のアナログ録音をCDに焼き直したものばかりなので音質(録音)にいまひとつ不満があってもっと鮮度が欲しいところ。

それかといって、音質はいい代わりにいまいちの感がある近年のピアニストの演奏を聴く気には”さらさら”ならない。

そこで出てくるのがいささか贅沢な注文になるが、現役として活躍しており、芸格があって、演奏がうまくて、音質(録音)もいいピアニストがどこかにいないかという話になるが、それが実際に居るのである。これらの条件にピッタリと適うピアニストが~。

それは女流ピアニストの内田光子さん。

いまさら言うまでもなく国際的なピアニストとして功なり名を遂げたといってもいい大ピアニストである。しかも日本人としてこのくらい傑出した芸術家もいないのではあるまいか。

聞くところによると彼女が弾いている愛器「スタンウェイ」(一説によると4千万円で購入?)は特別につくりがよくて抜群の響きだそうだし、しかもフェリップス・レーベルでCDを輩出しているので録音もいいとなると、まさに芸術家としての資質と周辺のテクノロジーが両立した近年稀にみる演奏家だといえそう。

彼女のモーツァルト・ピアノ・ソナタ全集(5枚組)はまさに絶品。→ 

とにかく彼女のCD盤はまずハズレが無い。あのとびっきり難しいベートーヴェンのピアノ・ソナタ32番だってバックハウスに迫る勢いだし、録音がいいだけにむしろ総合力ではこちらの方が上かもしれない。

彼女の根強いファンの一人として改めてこの際いろんな情報を整理してみたが、調べていくうちに演奏家としての活動のほかにいろんな人たち、たとえば音楽評論家などとの対談が非常に多く、これらを通じて音楽への造詣がことのほか深いのに驚かされた。

それでは、まずネット情報から。

「ウィキペディア」によると、1948年静岡県生まれとある。ということは当年とって60歳前後。ずっとロンドン住まいで2001年、英国エリザベス女王より「サー」に続くCBE勲章(大英帝国勲章)を授与されている。

また、音楽評論家濱田滋郎氏との対談「内田光子の指揮者論」によるといろんな音楽を相当深く聴きこんでおり特に指揮者フルトヴェングラーへの傾倒が目を引いた。これだけでも音楽への接し方におよそ見当がつこうというもの。

次に、文献として次の本から。

「ピアノとピアノ音楽」(2008年7月10日、音楽之友社刊) → 

著者の藤田晴子さんは1918年生まれ、昭和13年に日本音楽コンクールピアノ部門の第一位。昭和21年に東京大学法学部の女子第一期生として入学した才媛。

本書の268頁~275頁にかけて、内田光子さんに関する詳しい記述があったので箇条書き風に引用させてもらった。

 ドイツやオーストリアの大使を務めた外交官「内田藤雄」氏のご息女であり、12歳で渡欧、ウィーン音大を最優秀で卒業し、1970年ショパン国際コンクールの第二位という今でも日本人としては最高位の入賞を果たした。

 佐々木喜久氏によると内田光子さんが一気に「世界的」となった契機は1982年6月のロンドンのウィグモア・ホールにおけるモーツァルト・ピアノ・ソナタ全曲演奏だった。このときはリサイタルを5回に分けて火曜日ごとに開き「ウチダの火曜日」(ファイナンシャル・タイムズ)という今や伝説的にさえなった名コピーが生まれたほどの鮮烈なデヴューを果たした。

このときの演奏がもとで、メジャー・レーベル、フィリップスによりモーツァルのソナタと協奏曲の全曲録音という大事業に結びついた。

内田さんも後日、対談で「いろんな試行錯誤を繰り返して、完全に抜け切れたのは、やはり、モーツァルトのソナタを全曲演奏で弾いたとき(’82年)。突然、自分の音楽の形がスパッと見えちゃったんです。」

 次にアメリカでの好評。同じく佐々木氏によるとモーツァルト没後200年に湧くアメリカでの「内田のニューヨーク初のモーツァルト・ソナタ・シリーズは注目の演奏会だった。高名な音楽評論家が、内田さんの初日演奏のあと「モーツァルトを愛する人は、是非ウチダの演奏を聴きに行くべきだ」と批評の中に思わず書かずにいられなかった。」という。

 「この20年はロンドンでひとり住まい」に対して「私がつくっている西洋音楽の世界というものは、私程度の才能では日本に住んだら死んでしまいます。私が勉強したウィーンには伝統の良さと悪さの両方があってモーツァルトはこういうものというような押しつけがましい規則にあふれていました。英国の方が自由な空気があるはずだと本能的に思ったんです。実際にそうでした。ロンドンが私の家。ああ、帰ったなとほっとします。」これで彼女のロンドン好きの謎が解ける。

 本年4月30日の来日記念会見で内田さんは「1000回生まれ変わったら998回はピアニストに」と言っておられる。あと2回はヴァイオリニストにというのも面白い。

 今後「20世紀のものをどんどん取り上げたいですね。シェーンベルクとヴェーベルンを中心に、これを広げて「ウィーン派と新ウィーン派とその友人たち」とするとモーツァルトもシューベルトも入ればベートーヴェンもブラームスもバッハも入る。面白いプログラムをつくってみたいな、と。それと乗りかかった船でベートーヴェンの協奏曲集。シューベルトとシューマンとかドイツ語の世界にも気を引かれます。だから、もう人生短くて、短くて、アホなことやってられない」

※この「アホ」なことに因んで次のような言葉がある。「私は口紅1本持っていません。そんな時間が勿体ないから」

最後になるが、「80歳までピアノを弾き続ける」といわれる内田さん、日本と西洋の「文化と価値観」が合体しているといわれる独自の「内田節」が今後さらに完成度を高めて歴史に名を刻むピアニストにきっとなることだろう。
 


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