「男の読書術」という本がある。
著者の「大岡 玲(あきら)」さんは過去に芥川賞を受賞された方だが、そんなことよりも以前NHKの釣り番組でフライ・フィッシングの見事な竿さばきを披露されていたので親しみを覚え、以後見かけた本はかならず手に取るようにしている。
本書は様々な作家の著作をアトランダムに取り上げて書評を行ったものだが、ネット上に読者から寄せられた感想文として「この本を読んでいるとどれもこれも読みたくなってくる。わくわくさせてくれるのだ。こんなレヴューが書ければ、と思わずうなってしまう。プロの凄さを思い知らされる、そんな一冊です。 」と、あったがたしかにこんなブログが恥ずかしくなるほどの熟達した表現力には参ってしまう。
つい一気読みしてしまったが、印象が散漫になると拙いので新年早々から縁起でもないが「死」についてテーマを絞ってみよう。
まずは、沢山の書評のうち「死を哲学する」(中島義道:岩波書店)というのがあって、その冒頭に掲げられた一節の紹介に思わず惹き込まれた。
「すべての人は生まれた瞬間に<百年のうちに死刑は執行される。しかし、その方法は伝えない>という残酷極まりない有罪判決を受けるのです。」
この世の中で「新しい生命の誕生」に喜ばない人はまずいないが、こういうネガティブな考え方もある。ただし、たしかに事実には違いないが何だか「身も蓋もない」話だなあ(笑)。
「死」については古来、いろんな識者が持論を展開している。
まずは、モーツァルトから。
☆ 「死は最上の真実な友達」
モーツァルトは手紙魔で後世に膨大な書簡を遺したが、父親あての手紙の中の一節にこうある。
「死は人間たちの最上の真実な友だという考えにすっかり慣れております。・・・僕はまだ若いが、恐らく明日はもうこの世にはいまいと考えずに床にはいったことはありませぬ。しかも、僕を知っているものは、誰も、僕が付き合いの上で、陰気だとか悲しげだとか言えるものはないはずです。僕は、この幸福を神に感謝しております」。
この文章は死期を目前にした手紙ではない。それどころか、まさにアブラの乗り切った円熟期に書かれたもので、こういう生死を超越した人間だからこそ、あの奇跡のような傑作群が完成したのかもしれませんね。
ただし・・、モーツァルトは「な~んちゃって・・」という、おふざけが好きだったので「どこまでが本気なのか」正体不明のところがあり、はたして文面通りに真に受けていいのかどうか、割り引いて考える必要があるかもしれませんね。
次に「兼好法師」のご登場である。
今から、700年も昔の鎌倉時代に「ものごと」の本質を鋭く抉(えぐ)った随筆集「徒然草」(つれづれぐさ)の著者だが、その中の一節にこうある。
☆ 「死は予期していないときに後ろから迫る」
「春が終わって夏になり、夏が終わって秋が来るというのではない。春は既に夏の気配を感じさせ、夏は既に秋へと通じており、秋はすぐに肌寒い天気となり・・・・、枯れ葉が落ちるというのも葉が落ちてから芽をつけるのではなく、木々で兆している新芽に堪えきれずに葉が落ちるのだ。 初春を迎える新芽の気を、内部に蓄えているが故に、枯れ葉はあっという間に落ちてしまう。
『生・老・病・死』が移り変わることも、この自然の推移と似ている。四季にはそれでも、定まった順序がある。だが、死期は順序を待つということもない。
死は、必ずしも前より来るのではなくて、いつも背後に迫っているのだ。人は皆、死ぬ事を知ってはいるが、死は急には来ないものと思い込んでいるものの、死はいつの間にか予期していない時に後ろから迫る。沖の干潟は遥か彼方にあるけれど、潮は磯のほうから満ちてくるのである。」
「死は予期していないときに後ろからやってくる」とはたいへん困った話だなあ。
そうだっ! 明日があるなんて思わない方がいい。今のうちに手に入れた稀少な真空管を苛めに苛め抜いて早くオシャカにしてしまおう…(笑)。
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