「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

テスト盤とオーディオレベル

2021年02月21日 | オーディオ談義

ずっと以前の話だが、当時のオーディオ仲間がいみじくも仰るのには「システムの一部をいじったり、真空管やアンプの交換をしたときには自分が気に入ったテスト盤を試聴しますが、どういう盤を使うかでその人のおおよそのレベルが分かりますね。」

たしかに、テスト盤やお客さんが見えたときにどういう愛聴盤を使うかによって、その人の好きな音の傾向ひいてはレベルを推し量る尺度の一つになるのは疑いない。

そこでだが、自分が現在使用しているテスト盤について、このところ歌謡曲やポピュラーがやたらに多くなってきているのはいったいどうしたことだろう(笑)。

歳を取るにつれ段々と気忙しくなり、手っ取り早く短時間での決着を好む傾向があることを自覚しているし、さらにCDよりも幾分か音質が落ちる「ブルーレイレコーダー」に取り込んだ曲目でテスト(DACはエルガー・プラスを使用)
することが多くなった。

なにしろリモコン一つで次から次にサーフィンしていけるので、音質の欠点を補って余りあるほどの便利さを優先している。

一例を挙げると、

 ポピュラーの「エンヤ」の「Caribbean Blue」では奥行き感、ハーモニー、音響空間の中で微かに消えていく残響音をどのくらいまで拾えるかを試す。

 歌謡曲の「ちあき なおみ大全集」の中の「夜霧よ今夜もありがとう」では切々と訴えかけてくる情感がどのくらい胸に沁み込んでくるかがポイントだし、

 そして「小椋 佳」のアルバム「彷徨」の中から「雨が降り時が流れて」では「スッキリとした爽やかな声」と「伴奏のベースの低音域の広がり具合」がお目当てで、これら3曲を聴くと入れ替えた真空管やシステムの出来不出来がおおよそわかる。

そして、ここまでが共通一次テストみたいなものでおおよその実力を把握してから本番となる二次テストに移る。

19日(金)はプリアンプ3台の比較試聴をしたがその時のテスト盤を記録しておこう。

✰ 「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K364」(モーツァルト)



ヴァイオリン(五島みどり)とヴィオラ(今井信子)の音色の違いがどれだけ鮮明に出せるかをチェックする。

ご存知のようにヴィオラはヴァイオリンと同じ弦楽器に属するがより低音域が出るように一回り大きく作られている。

つまり、コントラバスに象徴されるように楽器は低音域の量に比例して大きくなるが、これをオーディオにたとえるとスピーカー・エンクロージャーの大きさは低音量の関係と見事に符合する。

量感たっぷりの低音を出そうと思ったらエンクロージャーも「大きさと重さ」が必要だ。

つまり、スピーカーも楽器と同じということですね!

オッと、話がつい横道に逸れてしまいそう。

テスト盤の話でしたね(笑)。

ヴァイオリンとヴィオラの比較が済んだら次はワーグナーへ。


☆ 「ワルキューレ」(ワーグナー作曲、ショルティ指揮)

ワーグナーといえばどっしりと大地に根を生やしたような低弦楽器のうねるような響きと大きなスケール感が出てこないと、鑑賞できない音楽といっていい。

それに冒頭のティンパニーの連打は低音域の分解能を推し量るテスト項目のひとつでシステム泣かせの1枚だが、このところ100%ではないにしてもようやく満足感に浸れるようになった。


☆ 「ピアノ・ソナタ」(モーツァルト作曲、グールド演奏)

自分にとって音楽とは何かと問われれば、「それはグールドが演奏するモーツァルトのピアノ・ソナタです」と即座に回答できるほど、いつも心の準備が出来ている。

モーツァルトの天才とグールドの天才がぶつかり合った空前絶後の音楽は独特で他の演奏者を寄せ付けない。

「スピーカーの存在をすっかり忘れて、ただひたすら音楽に没入できるかどうか」がテスト盤としての存在意義だが、システムのテストをするのに、音質を忘れられるかなんて何だか矛盾した話!?

こうして、ああでもない、こうでもないと「音楽&オーディオ」三昧の中で巣ごもりの日々が慌ただしく過ぎていく(笑)。



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