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海上自衛隊司令官だった海将が明かす日本防衛の弱点

2023年01月09日 | 政治

 

戦うつもりなどなかった自衛隊

2023年1月9日

 毎年5兆円だった防衛予算が来年度、一気に6・8兆円(26%増)に増え、さらに5年間で43兆円を計上、単年度ではGDP比2%まで引き上げることになりました。安全保障面の国際情勢が急速に悪化しているためです。

 

 メディアは「自衛隊が装備を購入し、訓練するだけでなく『働く時代に』に入った」とか、「危機発生時には『戦える自衛隊』にすることを目指すものだ」(読売新聞、昨年12/22)などと解説しています。

 

 「なにそれ。毎年5兆円もかけながら、これまでは戦える自衛隊ではなかったの」と絶句します。どうもそうらしい。安倍・元首相も「機関銃の弾からミサイルにいたるまで継戦能力はない」と語っていました。ミサイルは必要量の6割、戦時になったら弾薬もすぐ底をつく。

 

 海上自衛隊の現場トップだった香田洋二海将は一言居士の硬骨漢です。同氏が書いた近刊「防衛省に告ぐ/防衛行政の失態」(中公新書ラクレ)は遠慮会釈なく、日本防衛の弱点を吐露しています。敵対国に読まれたら、手の内を明かすことになる。それを隠さずに書いています。

 

 防衛予算の急増について、「NATO並みのGDP比2%の防衛予算になるものの、金額先行で実態が伴っていない」との批判が強い。香田氏も「2%にしたところで、自衛隊は戦えない軍隊のままである」と。

 

 同氏は「政治家が軍事の現場を知ろうともしていない。また防衛省・自衛隊の内部では背広組の官僚が幅を利かせ、現場を預かる制服組の自衛官の意見が反映されない。そこにメスを入れなければならない」と、指摘します。

 

 「シビリアンコントロール(文民統制)は政治家(政権、国会)が軍を統制することを意味するのに、日本では、内局(法律、政策面で防衛相を補佐)の官僚が自衛官を統制することが文民統制になってしまっている」と。戦闘の現場、軍事技術の専門的知識を持つ自衛官の発言力が軽視されていることに警告を発します。

 

 「自衛隊が官邸に直接出向き、説明することも長く認められていなかった」、「国会答弁でも制服組(自衛官)が答弁できていない」、「米国議会では制服を着た軍幹部が答弁に立つ」、「予算査定の作業では、特に財務省との折衝では自衛官は排除される」など憤懣をぶちまけています。

 

 政治家のありようでも、直言が続きます。シビリアンコントロールのトップは内閣総理大臣です。2010年8月(民主党政権)、官邸で制服組首脳と菅直人首相との意見交換会があった。「菅首相が『改めて法律を調べてみたら、『内閣総理大臣は自衛隊の最高の指揮監督権を有する』と規定されていると発言した」と。

 

 「改めて法律を調べてみたら・・」は、自衛官を前にして総理が発する言葉ではない。「その程度の首相の命令にわれわれは従うのかと思うと頭を抱えた」と、愕然とした様子を同氏は回想しています。

 

 自民党側も最前線の軍事の常識が欠けた対応をする。南スーダンのPKO日報問題で稲田防衛相ら最高幹部が引責辞任しました(17年7月)。防衛省が「日報はすでに廃棄された」と回答していたのはウソで、電子データが残っていたからです。

 

 なぜ廃棄したのか。日報に「南スーダン政府と反政府軍の『戦闘』があった」という記述があったからでしょう。「戦闘」があればPKO参加原則が崩れ、部隊の撤収につながりかねない。そこを防衛省、自衛隊は恐れた。

 

 同氏は「『戦闘』といっても、幅広い内容を含みうる。日報が書いていた『戦闘』は、散発的な銃撃戦だった。これで停戦合意が崩れたことにならない。軍事的な常識があればすぐに理解できる」と。つまり隠す必要がないものを隠し、それが安全保障上の大問題に発展したのです。

 

 銃撃戦を「戦闘」と書いた日報が不正確だったとしても、それを削除、廃棄するのもおかしい。騒いだ野党もメディアもおかしい。防衛相らが辞任することもおかしい。

 

 さらに同氏は「12年当時のPKO派遣でも、当時の報告書には『戦闘』という記述があったのに、その時の民主党政権は部隊の撤収をしなかった」と書く。野党になったら騒ぐ。防衛問題では、些事が大事になる。これでは「戦える自衛隊」になれないというのは本当でしょう。

 

 「日本では、戦後長らく戦争などは起こらないという前提で防衛計画を立ててきた」とも、同氏は告白します。さらに「冷戦が終わってソ連という脅威が消滅したのだから、軍事費を減らし、社会保障費を増やすべきだとする『平和の配当』論が強まった。1993年には社会党を含む細川連立政権が発足し、防衛費の削減を求めた」と。

 

 野党ばかりでなく、「防衛省内局、政府自体も本音は、『戦争が起きる可能性が小さい』だった。自衛隊は『戦うつもりがない組織』が本音だった」と。だから今後は「戦える軍隊にする」という解説が登場するのでしょう。

 

 最近の動きとして、「海上自衛隊最大の艦艇である『いずも』の空母化(18年12月)は大失策だ」と、同氏は批判しています。「見た目が派手な『空母化』を追求している」とまで言い切っています。

 

 「もともとは中国海軍の潜水艦を探しだすために、哨戒ヘリコプターが同時に5機が同時に離着陸できるように導入された。それが戦闘機を搭載するため、『いづも』の改修が決まった。改修したいなら、その一方で対潜哨戒機や潜水艦を増やし、対潜能力を維持・強化する必要がある」と。それをしないで見た目が派手な『空母化』を急ぐ。

 

 「軍事的合理性を無視した『いづも』の空母化だ」とまで酷評しています。官房長、局長クラスに制服組を登用すべきだというのが同氏の主張です。「文官統制」がゆがんだ形で定着している。これでは「戦える自衛隊にならない。金額の規模だけを追うべきではないとの主張です。

 

 

 

 


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