子どもに読ませる工夫が不足
2021年5月5日
日経を除く新聞が5日、社説でこどもの日の問題を一斉に扱っていました。毎年のことで、社説を比較するいい機会になっています。
私なら子どもも読んでくれる社説を書きます。書き出しは、小学生のお孫さんとその友達の会話の紹介から入ります。
知人が聞いたお孫さんたちの会話です。「おとなになったら何になろうか」「日本はだめな国になっていく。いい仕事はない」「僕は医者になってニューヨークで開業する」。
おとなが「まさか」と思う話を小学生がしているのです。いつまでも子ども扱いしてはいけない。
コロナ危機下のニューヨークで活躍する日本人医師の姿をテレビで見て、そう思ったのでしょう。「おとなが信じられないほど、視野が広く、将来を考えている」。その芽を伸ばしてあげたい。
導入部はそんな感じです。
昨年から続くコロナ危機による学校の変則授業、子どもの数が過去最少、子ども庁の創設、子ども世代の負担増をもたらす財政赤字など、今年は例年と違う視点や論点が盛りたくさんです。
子どもの時から活字文化にした親しんでもらい、将来の新聞読者になってもらうことを各紙は願っているはずです。
私は以前から、こどもの日の社説は、子どもにも読んでもらう工夫をほとんどしていないと、思ってきました。
そのためには、「おとなに読ませるのでなく、子どもにも読んでもらう日にする」「活字は大きく、文章は漢字を減らし、やさしく」「子どもの目線で書く」などを心掛けることです。
「大きな活字、やさしい文章」という点では、産経だけが合格です。他紙は「いかにも社説という硬直した文体」「おとなを読者対象にした書き方」です。この日くらい、がらりと印象を変えてみましょう。
社説を読み比べてみると、朝日が最も劣ります。
朝日は「こどもの日に校則見直しが問うもの」という見出しで、現在の校則の多くは、頭髪、服装、下着の色まで細かく定めており、その見直しが裁判にもなっている高校がある」と、書いています。
「靴下の色、スマホの持ち込み関する決まりを改めた高校もある」「学校運営に子どもを積極的に関与させる動きがある。主権者教育を重視する文科省も異論はなかろう」と。硬い話です。
こどもというと、せいぜい中学生まで、14歳以下までです。高校生まで子供に含める朝日に違和感がある。「校則見直し」「主権者教育」を論じたいために、高校生まで広げても子どもとして扱った。
総務省は4日「15歳未満の子どもの数が前年より19万人少ない1493万人。40年連続の減少で過去最少を更新」と、発表しました。「中学生にあたる12~14歳は324万人」などとし、高校生を含んでいません。
読売は「本に親しみ語り合う機会に」の見出しです。「コロナ禍で親子で本に親しむ一日としたい」はともかく、「作品を読み、自分と同じ、あるいは異なる価値観があることを学ぶ」は、おとなの視点です。
毎日は「大人がもっと耳を澄まそう」が見出しです。「学校活動が制限され、子どもたちの心身への影響が懸念される。不登校や体調不良を訴える子が増えている」と。これも社説特有のおとな目線です。
おとな目線で書くなら、祝日を決めている祝日法2条の問題です。子どもの日については「こどもの人格を重んじ、子どもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」と定義しています。これはおかしい。
子育てはもっぱら母親の役目だった時代の表現です。子育てに父親が参加するように求める時代になったのですから、せめて「父母に感謝する」と法改正する必要があります。
今年の特徴は「子ども庁」の創設でしょう。「保育所は厚労省、幼稚園は文科省、こども園は内閣府」というように、ばらばらになっている所管を一本化することなどが目的です。
こどもの日に合わせて、「子ども庁」創設のグランドデザインを総理談話で発表して欲しかった。菅首相はコロナ対策以外に頭が回らない。総務省発表の「子どもの数が最小」と合わせれば、反響はあったはずです。
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