ネット情報時代の落とし穴
2016年1月17日
スキーバスの転落事故で14人の学生さんが命を落としました。笑顔の希望に満ちた顔写真、人物紹介の一覧表を見つめていて、どこで待ち構えているか分らない死の崖ぷちに暗転する人生の怖さを知らされました。「なんでこんな目に」という怒りの中で、印象に残った一言があります。
事故死した学生さんの父親が遺体を自宅で迎えた様子を、テレビが放映していました。「格安のスキーバスで行くと知っていたら、止めた」というのです。個人として身を守ることの大切さを教えているのです。報道はバス会社が安全管理の無視、軽視や被害者を襲った悲劇を集中的に扱っています。そればかりではいけません。メディアとして、焦点をもうひとつ持たなければならないのです。個人としてできる命の守り方を父親が示唆しているのです。
不足するリスク情報
メディアの報道は被害者の悲劇にどうしても、傾斜してしまいます。被害者による選択に間違いはなかったのかは、敬遠しがちです。情報があふれるほど氾濫するなかで、リスク情報は不足しているし、その見つけ方のノウハウはさらに不足しています。
企業のルール違反、企業犯罪が日常的に起きています。摘発し、規制を強化し、処罰・処分をするのは当然です。それをいくら繰り返しても、抜け道を見つけて新たな違反が起き、大事故につながります。それを前提にして、個人は身を守って行かなければならないのです。
価格検索ばかりに熱中する若者
事故死した20歳前後の学生さんたちは、ネット検索で格安料金を調べていたのでしょう。ネットショッピングの時代ですからね。価格の安さばかりに目がいっていたのと違いますか。安全性のチェックはしていたのでしょうか。恐らくしていますまい。長距離バスが引き起こす料金競争から事故が多発していることなど、ネットをみれば、情報を見つけられます。2,3千円程度を節約して、命を落としたら、釣り合いがまったく取れません。
多少なりとも、ふところに余裕があれば、異常な格安料金バスは敬遠するのが普通です。とくに零細バス会社の格安料金は要注意ですね。この父親の指摘通りです。ゼミで担当していた学生をバス事故で3人も亡くした教授がぼう然としていました。教育評論家として著名な尾木直樹氏(69)です。キャリアデザイン学部のゼミといいます。ネット時代の落とし穴というようなことの、初歩の初歩を教えていなかったのですかね。
1億総活躍社会のひずみ
過酷な市場競争の中でとにかく利益を生み出さざるえないため、承知の上でか、止むに止まれぬためか、ルール違反が常態化する時代になっています。スキーバス事故の記事の横では連日、有名カレーチェーン店が廃棄した冷凍食品を横流し、転売していた業者の事件が報道されていました。企業、会社を疑ってかかるべきなのです。超一流のはずの東芝で、3代の社長が続けて粉飾決算を部下に強要していたほどですからね。
ついでに。事故を起した運転手(65)は大型の経験がなく、昨年12月に契約社員として入社したそうです。契約社員、それも高齢者ですから安く使えます。1億総活躍社会とかいって、高齢者の働き手を奨励する時代です。まったく不慣れな大型バス、それも夜間の長距離ツアーと、不運が重なりました。これが1億総活躍社会の一コマなのですね。
事件が起きてからまだ数日ですよ。
あなたに記事にされなくても、
日本国民の多くが今回の事故で、
口に出さなくとも心のどこかでこの記事のようなことを思っています。
ただ、この時期に記事にするのは、
おかしいです。
この記事をみた事件の関係者がどう
いう気持ちになるか分かりますか。
今の情報社会では簡単に目に入ってしまいます。
バス会社を疑うことよりももっと大切なことです。人の気持ちを考えるということです。
あなたは今まで誰からもそれを教わって
こなかったんでしょうね。
不幸せな人生ですね。
亡くなった尾木先生のゼミ生は、
その大切なことを教わっていたと思いますよ。
人を疑うことよりも、人を思いやる大切さを。
ツアー企画会社が使っている下請けバス会社のことなんか、消費者がどうやって調べろと言うのですか?
最安価格の会社さえ避ければ確実に事故に遭わずに済むのですか? 違うでしょう。
ネットショッピングが云々とか書いてますが、ネットは関係ありません。ネットが無かった時代は事故がゼロだったのですか? 違うでしょう。
さももっともらしいことをドヤ顔で書く前に、具体的な対策法を提示すべきですよ。
責任を問うのなら、むしろ、噂を信じて、採用を見送った会社の責任を問うべきでは?
噂一つで解雇する会社が成功する社会。噂を否定しても再起できない社会。
社会全体の問題を、目立った会社の責任にしわ寄せするのは問題だ。
自由を制限する方法で、目的を果たそうとする姿勢は危険だ。
何もしないことが、最良となる、超保守的な社会では良くない。
新聞・雑誌でも、記事を検閲で封じるのではなく、
論と反論を誌上で戦わせて判断は読者に委ねるのを基本とするべきだ。
検索エンジンの検索結果も検閲で刈り取るのではなく、
最多リンクより、論も反論もできるだけ多様な意見が表示されるように工夫して、乗り越えるべきだ。
その情報で大きな不利益を受ける少数の人々がいる一方で、
その情報によって受ける一人当たりの利益は小さいが、
その検索を求めている多くの人々の、合計では大きな利益を
検索サービスは代表している。
「検閲しやすいから」といって安易に介入すべきではない。
「無難」という検閲基準は、批判を封じ込めて、保守を支援する。
言論を名誉棄損訴訟などによる威嚇で、自己規制に追い込む。
羹に懲りて膾を吹くようになった情報集積・整理サイトは
「誹謗中傷は禁止」として、
優等生的な何の足しにもならないような無難な提灯記事、多数派の見解ばかりになってゆく。
反論する機会を与えて意見の多様性を確保することで、中立的とみなす考え方が消えてゆく。
権威に媚び諂って迎合し、
権威による検閲で権力のお墨付きをもらうことによって
万一の訴訟攻撃の時は権威によって守ってもらえる保証を確保することで、
中立とみなす考え方ばかりになってゆく。
危険を知って、身を守りたくとも
危険性にかかわる情報は検閲されていて入手できないし、発信もできない。
例えば、病院の口コミに書き込もうとしてみると良い。
マイナス情報を書き込めるところはほとんどない。
書き込んだとしても、病院から苦情が来ればすぐに削除されるし、
書き込んだ者が特定されれば、名誉棄損、営業妨害、威力業務妨害で訴えられる危険もあるし、
治療を断られるなど不利な扱いを受ける。
更に、ほとんどのサイトが、誹謗中傷など不愉快な書き込みを禁止している。
争いに巻き込まれるのを嫌って、疑いがあるだけで言論の自由を奪い、
検閲を容認している。