平行線たどる文明観の相違
2015年5月21日
たかがイルカと思ってはいけないのですね。人気あるキャロライン米大使までが「日本のイルカ追い込み漁は非人道的」と非難してきました。こうなると、イルカは複雑な国際紛争の教材です。日本動物園水族館協会は上部団体の国際組織に迫られ、この方式で捕獲されたイルカを、飼育・展示のためには入手しないことにしました。
この問題めぐり、「禁止派がいうイルカ漁の非人道性とは何なの」、「動物福祉の観点からみた倫理規定違反とは何なの」と、不思議なことばかりでしたね。和歌山県太地町でやっている昔からの伝統的漁法が、欧米などの海外文明圏からみると、残酷であり、禁止しないと、国際組織から除名するぞ、という騒ぎになっていました。除名されると、稀少動物を動物園、水族館で輸入できなくなるので、日本は譲歩せざるをえなかったのです。
割り切るしかないのか
人間の生命さえ、残酷に扱われ、奪われるこの時代に、人間に対する「人道性」、「倫理規定」こそ優先すべきなのに、と多くの日本人は思いますよね。どうもそういう考え方は通用しないのです。日本人がいくら抗議しても、多勢に無勢で勝ち目はありません。国際社会というか人類の文明とはそういうものだと、割り切るしかないのでしょう。
イルカ問題に納得がいかない日本にも、動物愛護法があります。動物の虐待、不適切な飼育を防止し、飼い主やペット業者に責任・義務を課しています。法律の目的は「動物愛護を通じて、生命の尊重、友愛、情操の涵養に資する」ことです。なかなか立派な精神です。動物を残虐に扱って心に痛みを覚えないひとは、人間も大切に扱えるはずはないという考え方には一理あります。
動物愛護法も身勝手な側面
問題は対象になる動物の範囲です。人間が身近と感じる動物、家畜、ペットなどを除くと、「生命尊重、友愛」などは不問ですね。食用になる家畜、野生動物は、目的が正しければ、殺生は当然視されています。人間側が持つ親近感次第で、愛護すべきかどうか決まるのですから、身勝手といえば身勝手なものです。
ですから、欧米などの文明圏の主張である「クジラは哺乳類で人間の仲間であり、殺して食べてはいけない」、「イルカは小型クジラで、クジラ同様の扱いをする」、「狭い湾内にイルカを追い込み、殺傷する漁法は残酷(水族館用は生け捕り)である」を必ずしも身勝手な要求とは片付けられません。
「昔は米国もクジラを捕獲していたではないか」、「最近なってクジラやイルカが大切といいだすのはおかしくないのか」などを考えるより、「歩み寄りができない文明観の違いはあちこちにある、こんなところにもある」、そのことを、かれらが教材になって教えてくれていると考えたほうが有益のようですね。もっとも学問的な考察、国際交渉での駆け引き、国内の業界対策などは無用というわけではありません、念のため。
一寸視点の違ったところから自分の考えをアップしました。
時間が有る時に覗いて見て頂ければ幸いです。