またも首盗り物語で幕引き
2017年4月27日
「東北でよかった」という軽率な発言で、今村復興相が更迭されました。この人物の軽薄さはさんざん批判されていますので、ここでは任命権者の責任とは何かを考えてみました。安倍首相は「任命責任は私にある。心から国民の皆様にお詫びする」と、発言しました。何度、この言葉を聞かされたことでしょうか。
憲法第8条には「内閣総理大臣は国務大臣を任命する」とあります。首相が「任命責任は私にある」と述べたのは、この条文から由来します。厳密に言えば、言えるのは「任命権は私に」までで、「任命責任」とは別ものです。首相が好む「任命責任」とはなんでしょう。任命権の意味ははっきりしていても、任命責任とは何を指すのか聞いたことはありません。
ついでに言うと、憲法第68条には「総理大臣は国務大臣を罷免することができる」とあります。大臣の任命権、罷免権は首相の専権事項(形式的には天皇の認証を経る)です。ですから、「不祥事や舌禍事件を起こした大臣を罷免することで、任命責任を果たす」との主張が聞かれます。政界もそう考えているようです。本当にそんな程度の話で済むのですかね。
朝日も問題意識が足りない
いつも首相に厳しい朝日新聞は、「首相即決、深くお詫び」(27日朝刊)と書き、首相の行動を評価しているような記事を載せました。日経も「辞めさせる、首相即断」と、これまた似た解釈です。「罷免すれば、任命責任を果たしたことになる」という判断なのでしょう。甘いのではないですか。少なくとも辞表を受理せずに、いきなり罷免が正しい選択です。つまり大臣が先に辞表を出してしまうと、罷免できないはずです。
実態は、更迭しようと首相側が先に決めたのでしょう。それでは、本人にメンツの問題が生じるので、自主的に辞める道を選ばせた形をとったのでしょう。大臣を罷免して任命責任を果たそうとするなら、少なくとも辞表を受け取ってはいけません。任命責任を果たすとは、どういうことなのか。
この最も本質的な点について、朝日は「首相はお詫びを口にしても、具体的な行動には出ようとはしない」(社説)と、意味不明の批判をしています。読売新聞はどうかというと、「態勢の立て直しに全力を挙げる必要がある。首相自らが指導力を発揮すべきだ」(社説)です。当然すぎる指摘であり、わざわざ書く必要がないのほどの主張です。朝日も読売も「任命責任」の意味をどう考えているのか、そこを空白にしています。
不祥事に厳しい民間、甘い政界
こういうメディアの態度は、多くの読者の不満を招きます。民法715条には「使用者責任」の規定があり、他人(役員や部下)を使用する者にも、部下らの不法行為の責任が及ぶことになっています。配下の役員、社員が大きな不祥事を起こしたら厳しい処分が不可避だし、社長も退任、減俸、降格などを受けます。社長を含め、責任者は10秒も20秒も、深々と頭を下げて謝罪です。首相はあっさりと「任命責任は私に。お詫びする」で、終わりです。
政治と民間は法体系が違うし、今回の場合、大臣の不法行為ではなく、道義的な問題です。同列に比べられないにしても、政治のトップの責任の取り方は甘いですね。度重なる失言、暴言、政治資金規正法違反と同然の事件が起きても、首相が「任命責任は私に」といって終わりです。当人は閣僚をはずされるけれども、議員の身分は安泰、けん責処分もないのです。民間に比べ、政界では責任をあまりにも軽く考えています。
能力に関係なく、次々に閣僚待機組から優先的に人選したり、世論受けを狙って未熟な議員を起用することなどは改めるべきでしょう。離党ないし議員辞職を迫ることも必要です。政治メディアも、任命責任という言葉が安易に使われている現状を批判し、首相が任命責任を認めれば、問題が解決するかのような錯覚を持つべきではありません。
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