言葉じり政治から卒業を
2013年12月3日
特定秘密保護法案の審議が微妙な局面を迎えているタイミングで、自民党の石破幹事長のデモに関する不用意な発言、失言が飛び出ました。タイミングといい、発言内容といい、ちょっと信じられないことです。
石破氏は、よい意味では、理詰めで丁寧で、噛み砕いた説明が身上ですし、悪い意味では、しつこくねちねち、べたべたしていてテレビ向きではないとの印象を受けます。ともかく暴言、失言で懲りている政治家が多いこの世界では、熟慮しながら話をする筆頭でしょう。どうしちゃったのでしょうか。そう思ったひとはわたしばかりではないでしょう。
「特定秘密法案の絶対阻止、を叫ぶ大音響が鳴り響いています。単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてかわりがない」という発言を、石破氏は撤回しました。当然でしょう。もっとも「本来あるべき民主主義の手法とはことなる」とも指摘し、大音量デモが相当、気に障っていたせいか、歯切れはよくありません。謝るなら徹底して謝罪するのが政治的戦術なのにね。
石破発言は二重、三重の意味で、問題です。大音量、絶叫型デモが目にあまると思っていたにせよ、「テロ行為」に等しいといえば、憲法で保障された集会や言論の自由に基づく国民の権利を否定することになります。しかも、こういう時期ですから、こうした発言をすれば反対派に格好の反撃材料を与えることになるくらいのことは、与党幹事長なら分らないはずはないのです。映像や写真で石破氏の表情をうかがいますと、頭を抱え、うなだれ、「しまった。余計なことを言ってしまった」と見て取れます。本人は後悔しているのでしょう。
もっと重大なのは、この法案が防衛、外交、スパイ、テロ防止の4分野に限定し、さらに秘密指定の範囲を安易に広げないように厳格に規定することとし、厳格な運用が最重要のポイントになっているときに、失言がとび出したことです。案の上、「デモをテロと決めつけ、それに関する情報を特定秘密に指定しかねない危ない法案だ」との批判が聞かれます。
石破氏は秘密保護法の運営上、本気で「過激すぎるデモはテロ行為」、「それは秘密指定の範囲にはいる」とは、まさか考えていないでしょう。考えていたとしても、そのようなことは通りません。政治家の発言は、周りの政治的意図によって、拡大解釈され、格好の攻撃的な材料に使われます。デモをテロと呼ぶなんてこのタイミングでなんでいったのでしょうか、本当に不可解です。
麻生副首相の「ナチス憲法」発言、仙石官房長官の「自衛隊は暴力装置」発言、鉢呂経産相の「死の町」発言、橋下大阪市長の「米軍による風俗活用発言といい、政界から失言、暴言が絶えることがありません。失言、暴言には、本音や本質的には正しいことが含まれていることもあります。石破失言も、デモ行動にも一定の秩序を、という常識的には正しい部分も含まれているでしょう。そうだったとしても、政治家は自分が置かれている状況、発言が及ぼす影響などを考えて、意図しない反応に不意討ちを食らうようであってはいけません。
政治家はもっと、プレゼンテーションの方法、スピーチ術、ディベートのやり方について、専門家の指導を受けるべきです。習うより慣れろで政界を遊泳しているからこんなことが続くのでしょう。失言、暴言で政局が止まり、政策の意思決定がおくれ時間を空費するのは残念なことです。失言で有能な人材を使えなくなることも、政治資源の無駄遣いです。
新聞論調をみると、朝日新聞、毎日新聞は激しい石破批判の社説を掲げています。朝日以上に厳しい論調を展開して特徴を出そうと、いつも考えているように見受けられる東京新聞は「廃案とすべき悪法である」と社説を結んでいます。廃案してその後、どうすればよいのかの態度を示さないのが、これらの新聞論調に共通しています。それでは困るのですね。日本の政治的迷走を喜んでいる国はいくつもあるに違いないのに、国内事情しか目にはいってこないのですね。
政治家は言葉じりをつかまれて立ち往生する、それが政界です。メディアがおなじように、もっぱら言葉じりをとらえて、論評を展開するというのは、どうでしょうか。言葉だけ、発言だけに注目するのではなく、本音の部分をしっかり把握し、それが問題だというならいいでしょう。全体の流れの中の、刺激的部分、失言的部分を取り上げる「言葉じり政治」から卒業しなければなりません。
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