「総括すべき過去」は広い
2015年3月14日
ドイツのメルケル首相が来日し、安倍首相と会談しました。言うべきことは言い、さすが堂々として、貫禄がありました。首相を称賛する論評があまりに多く、ドイツに詳しくない私も何か言わずにおられなくなりました。激動の国際環境の中で鍛えぬかれている百戦練磨の政治家だけあって、自国に都合の悪い面には触れなかったというのが、わたしの印象です。
今回の首脳会談は、6月にドイツで開く首脳会議(G7サミット)の議長国としての挨拶まわりが目的です。ですから「国際秩序の安定へ協力強化」(日経社説)が本筋であり、それを確認したことが最大の成果です。日本国内では、これではあきたらないのか、過去の総括、慰安婦問題、原発政策など、いわば付録の発言(記者会見、講演)に関心が持たれましたね。しろうと談義を含め、このような外交時評からは卒業しなければなりません。
誤解されないように言っておきますと、メルケル首相の「過去の総括というのは和解のための前提になっている」、「和解は隣国の寛容な振る舞いがあったから可能になった」、「慰安婦問題などはきちっと解決を」はすべて正しく、異論はありません。多くの日本人が関心を持つ課題を率直に指摘しましたね。
「過去」は植民地時代に遡及
本題の世界秩序の安定、紛争解決への努力に戻りますと、イスラム過激派テロの底流には、過去の植民地帝国主義、旧植民地からの移民流入、欧州各国で社会の底辺にあえぐ移民労働者の問題があります。「過去の総括」というなら、当然、植民地経営時代含めた過去に対する反省がなくてはなりません。過激派テロは軍事力行使で封じ込めうるほど、単純な問題ではなく、欧米、特に欧州による植民地時代からの負の遺産が一気に噴出しているという根の深さがあります。
今回の訪日でも論評でよく引き合いに出されたワイツゼッカー大統領演説(1985)は、ドイツの歴史的犯罪に対する謝罪を格調高く述べています。「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる」はあまりにも有名です。大逆殺したユダヤ人、ドイツに占領された国のレジスタンスの犠牲者、侵攻した国における多くの死者に謝罪しています。
ワイツゼッカー演説の限界
ここで言っている「過去」はどこまでを意味するのかが問題です。おそらく第二次世界大戦以降の「過去」でしょう。第一次大戦における罪は敗戦後のヴェルサイユ条約でケリついているという解釈でしょうか。多くの植民地も、敗戦で他の欧州諸国に奪われました。
イスラム過激派テロが激化するにつれ、「中東の国境線は、主として欧州が中東を踏みにじった歴史の産物だ」、「民族の居住地を無視して国境線を引き、民族が引き裂かれた」など、矛盾をはらむ領土分割、植民地経営の時代にさかのぼった論評が目につくようになりました。英仏に最も大きな責任があるにせよ、ドイツもビスマルクの時代に植民地帝国主義宣言をしました。
中東、アフリカを含めれば、イスラム過激派の反乱は、そうした「負の過去」に報復されているといえます。さらに最近は南欧諸国に中東、アフリカの紛争地からの難民が押しかけ、難民対策が限界に達しているそうです。移民問題から難民問題へ、これも「誤った過去」の延長線上にあります。
過激派テロは「過去」からの報復
米国の繁栄は黒人社会に対する差別が前提になってきました。欧州の繁栄は移民社会に対する差別が前提になってきました。その前提が崩壊し始めているのが、現在でしょうね。だから黒人暴動や過激派テロという暴力を容認するのではありません。少なくとも「過去への反省」をいうなら、100年、200年前にさかのぼって「過去」を広げなければなりません。
最後に、メルケル首相は講演でいい発言をしています。「和解は隣国の寛容な振る舞い」によるという下りです。中韓を念頭に置いているとの解説があります。そのことを質問された中国の報道局幹部は「日本の政治家が正しい選択をするよう希望する」と、紋きり型の返事でした。
中韓の対日批判は、外国上のツールに謝罪問題を使っているところに難しさがあります。日本の謝罪を認めてしまうと外交手段、さらに国内統治のツールをひとつ失うのです。一方、日本はきちんと、すでに謝罪しているのに、首相が靖国神社を参拝したり、過去の謝罪談話を修正するようなことを示唆したりしては、中韓に対日批判を蒸し返す機会与えているのです。この点では、ドイツのしたたかさを学ぶべきでしょうね。
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