出版の質を守れる休刊でよい
2018年9月27日
杉田水脈衆院議員の性的少数者(LGBT)に対する発言をめぐり、批判、そのまた批判と、議論が沸騰し、それに加わった月刊誌「新潮45」に社の内外から批判が起き、佐藤社長は休刊を決めました。私は数年間、傘下の出版社に出向していましたので、佐藤社長の経営判断の面から考えてみました。
結論から言えば、アジビラ(政治的な扇動を目的としたアジテーション・ビラ)のような新聞広告を掲載する右翼系の雑誌を後追いするのは、文芸路線を軸にした新潮社にとっては肌合ざわりが悪い話で、ブランド・イメージを傷つけるだけでした。社長にとっては、赤字を抱えた新潮45を廃刊するいいチャンスがきたという思いでしょう。
出版不況が深刻化し、経営危機に瀕していた老舗の出版社を救済するために、読売新聞が買収し、グループ企業として傘下に収めました。新聞社の出版局は整理し、出版機能はここに集約し、中央公論とだぶりますから、新聞社として発行していた論壇誌は休刊(廃刊)にしました。
論壇誌といえば、世界(岩波)、中央公論(読売)、正論(産経)などですね。論壇誌は経営が苦しい中で、右寄り路線、歴史教科書問題を主軸にした正論が元気、左寄り路線を掲げてきた世界もどうにかやり繰りしていました。その正論も、最近はWiLL(ワック出版),Hanada(飛鳥新社)に部数では大差をつけられていのではないですか。
1万6000部では大赤字か
日本雑誌協会は雑誌の部数を発表しています。中公2万4千部、Voice1万8000部、新潮45は1万6000部です。世界、正論は以前は公表していたのに、部数が激減しているためでしょうか、現在は非開示になっています。中公、世界が出版を継続しているのは、良質な学者、識者に表現の場を与えるためです。参考までに、読み物系の月刊文芸春秋は37万部です。
新潮45はこの部数では、相当な赤字でしょう。新潮社が発表した休刊のお知らせには「ここ数年、部数低迷に直面し、試行錯誤の過程において、編集上の無理が生じ、企画の厳重な吟味や原稿のチェックがおろそかになったことは否めません」、「十分な編集体制を整備しないまま、刊行を続けてきたことを深く反省します」などとあります。
右寄りだった新潮45は、右翼系のWill,Hanadaを後追いすべく、バカ受けする杉田水脈氏関連のLGBT論文を載せてみたのでしょう。編集体制の不備もあり、佐藤社長の声明文にある「今回の特別企画、”そんなにおかしいか杉田水脈の論文”のある部分に関しては、あまりに常軌を逸脱した偏見と認識不足の満ちた表現がみられます」という問題を引き起こしました。
「性的志向と性的嗜好を同列に並べる。LGBTを認めるなら痴漢の触る権利も保障せよとの主張」などの表現は、佐藤社長が「常軌を逸脱」と、困惑するのは当然でしょう。「どうしてあんな低劣な差別に荷担するのか」と怒った芥川賞作家の声も流れています。「逸脱」が売りなのかもしれません。
当然すぎる社長の選択
杉田氏の批判派、擁護派の主張の当否は専門家に任せます。新潮45の休刊の理由の説明がないと、怒る論者もいます。佐藤社長のコメントで十分、分かります。佐藤社長が語っていないのは、「この部数(印刷証明付き部数)では、経営上の重荷になる。とてもやっていけない」ことだろう推察します。つまり、打ち切る機会が巡ってきた。出版経営者として当然すぎる選択です。
判断に誤りがあったとすれば、冒頭に述べましたように、良質な出版物も多い新潮社が後追いするような、不似合いなことをした点にあります。新潮が取り上げるならば、もっと有意義な切り口があったはずだと思います。
それにしても不思議なのは、WillもHanadaも部数を開示していないことです。さらに、複数の全国主要紙に全5(5段、ぶち抜き)広告を毎月、出せるのかです。新聞製作費はかつて1頁1円といわれ、つまり1000万部の発行部数の新聞なら1000万円の、その5段分、つまり3分の1(新聞1頁は15段相当で計算)、約300万円以上の広告費を払う必要があります。
最近は発行部数も減り、広告料金の相場も下落していますから、この半値以下、もっと値引きしていますか。それにしても、各紙の分を合計すると、年間では億単位の金額になる計算です。出版社にいた経験のある者にとっては、信じがたい。どこかに経営的なからくりがあると、想像します。
もともと月刊誌の右傾化は、産経の正論路線が元祖なのに、産経新聞が掲載している正論の広告は今や地味な大きさです。さらに両誌の論文、記事が論壇時評に登場するのを見かけるのは稀です。両誌が寄りかかってきた安倍人気はあと3年、どうするのでしょうか。
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