衝撃を伝えないジャーナリズム
2015年9月7日
エーゲ海の浜辺に打ち上げられたシリア難民男児の遺体写真は、間違いなく世界史を記録する迫真の一枚になるでしょう。この写真に特に欧州は衝撃を受け、大統領、首相、欧州連合(EU)を動かし、難民対策は新しい段階を迎えました。メディアの危機といわれる今、第一級の報道写真はどう扱われたのでしょうか。
日本のメディアは何を考えているのでしょうか。一枚の写真が語りかけてくる深刻、重大な意味を理解しようとせず、一般的な編集ルールをあてはめ、その扱いは腰が引けているのです。外電で配信されているのに、全く扱わなかった新聞社もあります。扱っても、波うち際に流れついた男児の顔を意図的に避けたアングルの写真を使ったり、モザイクをかけたりした新聞もあります。
真相を目をそらすかのようなモザイク
テレビは局によって開きがあります。やはりモザイク映像を多用する局もありました。それでも新聞よりはましという印象です。当事者である欧州が衝撃を受けるのは当然としても、米国のウオール・ストリート・ジャーナル(WSJ)紙は写真をきちんと扱っていますね。とにかく日本、特に新聞がジャーナリズム精神という点で、見劣りするのです。
トルコ・ドアン通信のカメラマン撮影による写真をテレビで見まして、息を飲むとはこのことだと思いました。押し寄せる難民で大混乱のヨーロッパ、ひっそりと静まり返ったエーゲ海、まさにその波うち際、3歳というあまりにも幼い難民の男児の遺体、遺体を持ち上げる屈強なトルコの警察官、難民問題を何年も追い続けてきたカメラマンの撮影だそうです。
写真が見当たらない新聞も
衝撃的な写真を翌日、新聞で確認しようとしたところ、読売新聞では見当たりません。見つかったのは、スクープ写真を載せた英国の新聞を自社で写した写真です。何紙かの一面紙面を並べて写し、それも男児の遺体がわざわざ隠れるように重ねているのです。外電による配信がないはずはありません。朝日新聞は、遺体を警官が持ち上げているシーンの外電写真が載っていました。
日本の新聞は、一般的にいって、死体や遺体の写真を紙面では扱わない内規があります。残酷、悲惨、凄惨な写真が読者にショックを与えないようにとの配慮です。戦争の犠牲者、軍事行動の巻き添えを食らった死者、交通事故の被害者、爆発現場の死者などは、週刊紙が掲載することはあっても、新聞は避けます。通常はそれでいいのだと思います。
例外扱いをすべき事態
今回もその内規が頭にあって、自制してしまった新聞社があったのでしょうか。そうであったとするなら、編集方針の誤りです。写真が語りかける重大な意味、波紋の大きさ、痛ましさは、死体や遺体を原則として扱わないという内規をはるかにしのぐのです。例外扱いでいいのです。
中東、アフリカから欧州をめざす難民、移民は今年、すでに35万人を超え、ドイツだけでも難民申請は80万人に達するそうです。男児の遺体写真報道を受け、批判が高まり、急遽、EUは16万人の受け入れ計画を決めました。ギリシャ危機どころではない危機になっています。こういう時にこそ、ジャーナリズムの役割は何なのかを考えるべきでしょう。