共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日はベッリーニの祥月命日〜最後のオペラ《清教徒》からグルベローヴァによる『狂乱の場』

2022年09月23日 17時17分17秒 | 音楽
今日は二十四節気のひとつ秋分です。ここ数年の秋分の日はいいお天気に恵まれていたのですが、今年の秋分の日はどんよりした雨模様となりました。

本当なら、今日は相模國一之宮・寒川神社に参詣して、春分と秋分の年2回授与される『御来光守』を頂いてくるつもりでした。しかし、ここ数日の疲れが一気に襲ってきてすこぶる体調が悪いのに加えて、台風15号に発達した熱帯低気圧絡みの気圧の急降下にすっかりあてられてしまったので、今年は諦めて自宅で静養することにしました。

ところで、今日9月23日はベッリーニの祥月命日です。



ヴィンチェンツォ・サルヴァトーレ・カルメーロ・フランチェスコ・ベッリーニ(1801〜1835)はシチリア島のカターニアに生れ、パリ近郊で没した作曲家です。主としてオペラの作曲家として有名で、



1985年から1996年まで発行された5000イタリア・リレ(リラの複数形)紙幣に肖像が採用されていました。

ベッリーニはロッシーニやドニゼッティと共に『ベルカント・オペラ』と称される19世紀前半のイタリアオペラを代表する作曲家です。父親も祖父も音楽家であり、音楽を学ぶ前から作曲を始めたという神童であったといわれています。

合唱指揮者でオルガニストでもあったロサリオ・ベッリーニを父として生まれたベッリーニは3歳で音楽の勉強を開始し、6歳で最初の宗教声楽曲を作曲しました。1819年、貴族の後援者の助力の元でナポリの王立サン・セバスティアーノ音楽院に入学したベッリーニは、音楽院在学中であった1825年に最初のオペラ《アデルソンとサルヴィーニ》を作曲して学校付属の小劇場で初演しました。

これが、当時いくつものオペラハウスの支配人であったドメニコ・バルバイアの目に留まり、直ちにサンカルロ劇場のための新作の作曲を依頼されることとなりました。その結果制作されて1826年に初演された第2作《ビアンカとジェルナンド》は、またしても聴衆たちから好評を得ました。

この成功を受けてバルバイアから名門ミラノ・スカラ座のための新作を依頼されたベッリーニは第3作となる《海賊》でそれに応え、1827年に初演されるとまたも大成功を収めました。この成功によってベッリーニは『ロッシーニの後継者』と目されるようになり、貴族階級の集まるサロンにその一員として迎えられることとなりました。

またベッリーニは、このオペラで初めて台本作家フェリーチェ・ロマーニとコンビを組みました。ベッリーニはロマーニを「私の音楽的霊感の源泉」と呼んで絶大な信頼を寄せ、以降の第10作《テンダのベアトリーチェ》までの7作でロマーニの台本を採用しました。

29歳を迎えた1831年の3月に《夢遊病の女》、12月には《ノルマ》と、ベッリーニの名声を確固たるものにするオペラを立て続けに発表して大好評を博しましたが、1833年に発表した《テンダのベアトリーチェ》が不評だったことから、再起を賭けてパリに移住することとなりました。そして1835年に発表したオペラ《清教徒》が大成功を収めましたが、慢性の腸疾患が悪化したベッリーニは9月23日にパリで33年の短い生涯を閉じました。

そんなベッリーニの祥月命日である今日は、最後のオペラとなった《清教徒》をご紹介しようと思います。

《清教徒(I Puritani)》の原作はイギリスの清教徒革命を題材にした戯曲『議会党派と王党派』で、カルロ・ペーポリが台本を手がけました。初演は1835年1月25日に、パリのイタリア座で行われました。

舞台は清教徒革命の最中の17世紀イングランド。当時のイギリス国内では清教徒革命で国王を処刑したオリバー・クロムウェル(1599〜1658)率いる議会党派(清教徒)と、処刑されたチャールズ1世を支持する王党派とが対立していました。

エルヴィーラ(議会党派の娘)とアルトゥーロ(王党派の騎士)は互いに愛し合い、婚約関係にありました。しかしアルトゥーロは二人の結婚が祝われる中で、議会党派によって幽閉されている亡王チャールズ1世の王妃エンリケッタを救うことを決意します。

アルトゥーロは王妃にエルヴィーラの婚礼衣装のヴェールを被せて姿を隠し、逃亡することに成功します。ところがエルヴィーラはそれを

「アルトゥーロが自分を捨てて、別の女性と駆け落ちしてしまった」

と勘違いし、正気を失ってしまいます。

その後、二人の誤解は解けて再会を喜びあいますが、アルトゥーロが議会党派に捕まって死刑を宣告されてしまったことでエルヴィーラは再び錯乱してしまいます。しかし死刑に処せられる直前に、

「議会党派が王党派に勝利した」

という知らせが入ってきます。

戦いが終わったことで罪人は解放されることとなり、アルトゥーロも解放されます。最後にエルヴィーラとアルトゥーロは無事結ばれ、ハッピーエンドでオペラは終わります。

そんな《清教徒》の中から、今日はエルヴィーラの『狂乱の場』を取り上げたいと思います。

アルトゥーロが別の女性を連れて逃げたと聞いて、恋人に裏切られたと勘違いして廃人のように発狂したエルヴィーラを同情する人々のところに、アルトゥーロを恋敵と憎む議会党派の大佐リッカルドが現れ、

「アルトゥーロが議会で断罪されて死刑の判決を受けた」

と語ります。そこにエルヴィーラが登場して、アルトゥーロに裏切られた気持ちを切々と訴えるのが『あなたの優しい声が(Qui la voce sua soave)』と歌う『狂乱の場』てす。

《清教徒》はベッリーニを代表するオペラであると同時に、歌手にとって演奏の難しいオペラであることでも知られています。中でもコロラトゥーラソプラノのエルヴィーラやテノールのアルトゥーロには、歌手としてかなり高度な技術が求められます。

そんなわけで、今日はベッリーニの最後のオペラ《清教徒》からエルヴィーラの『狂乱の場』をお聴きいただきたいと思います。ベルカント・オペラを得意としたエディタ・グルベローヴァによる、素晴らしい歌唱と演技をお楽しみください。



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