今日は昨日以上に涼しくなりました。暑がりの私もさすがにTシャツ一枚では心許なく、一枚羽織れるものを引っ張り出したくらいでした。
そんな陽気の中、今日は
東京・上野公園内にある東京芸術大学大学美術館にやって来ました。以前にも来ましたが、こちらで開催中の
《日本美術をひも解く〜皇室、美の玉手箱》展の後期日程を鑑賞するためです。
前期日程では『唐獅子図屏風』や『蒙古襲来絵詞』といった見応えのある展示物がありましたが、後期日程も素晴らしい作品が目白押しでした。
先ずは会場に入ってすぐのところに展示されている
『菊蒔絵螺鈿棚』を鑑賞しました。明治天皇の肝いりで製作されたこの飾棚は佐渡金山の金を使った金蒔絵や沖縄の夜光貝を使った螺鈿細工などがふんだんにあしらわれ、漆工家・蒔絵師の川野邊一朝(かわのべいっちょう 1831〜1910)や彫金師の海野勝珉(うんのしょうみん 1844〜1915)といった当時の一流の職人たちが心血を注いで9年もの歳月をかけて1903(明治36)年に完成させたものです。
『菊蒔絵螺鈿棚』を鑑賞しました。明治天皇の肝いりで製作されたこの飾棚は佐渡金山の金を使った金蒔絵や沖縄の夜光貝を使った螺鈿細工などがふんだんにあしらわれ、漆工家・蒔絵師の川野邊一朝(かわのべいっちょう 1831〜1910)や彫金師の海野勝珉(うんのしょうみん 1844〜1915)といった当時の一流の職人たちが心血を注いで9年もの歳月をかけて1903(明治36)年に完成させたものです。
360度から鑑賞できるように展示されている飾棚は、菊の花や小鳥の形を立体的に描いた金蒔絵の中に夜光貝を切り抜いて嵌め込まれた螺鈿が観る角度によって赤や翠や蒼や紫といった様々な輝きを放ち、観る者を魅了します。誤解を恐れず大袈裟な言い方をするならば、一日中観ていられる素晴らしい一級工芸品です。
そして後期日程の一番の目玉は、何と言っても伊藤若冲(1716〜1800)の傑作『動植綵絵(どうしょくさいえ)』です。『動植綵絵』は若冲の代表作の一つで、江戸時代中期にあたる宝暦7(1757)年頃から明和3(1766)年頃にかけての時期に制作された30幅からなる日本画で、元々は京都の相国寺に収められていたものが明治になって皇室に献納されたものです。
全部で30幅もの大作掛軸ですが、今回はその中から
『向日葵雄鶏図』をはじめとした10幅が展示されていました。個人的に一番観たかった
『老松白鳳図』が今回は展示されていなかったのが残念でしたが、貴重な国宝ですから仕方ありません。
絵画では他に
円山応挙(1733〜1795)が描いた『牡丹孔雀図』も展示されていました。この絵は応挙44歳の時の作で、アズライトやマラカイトといった鉱物を砕いた岩絵具を用いて写実的に描かれているのが特徴的です。
円山応挙(1733〜1795)が描いた『牡丹孔雀図』も展示されていました。この絵は応挙44歳の時の作で、アズライトやマラカイトといった鉱物を砕いた岩絵具を用いて写実的に描かれているのが特徴的です。
1900年にフランス・パリで開催された万国博覧会に、日本からも多くの美術工芸品が出品されました。今展覧会では、その時に出品された後に皇室に献納された作品も展示されていましたが、特に印象的だったのが
『菊蒔絵螺鈿棚』の制作にも関わった海野勝珉作が1899(明治32)年に完成させた『太平楽置物』です。
太平楽とは舞楽のひとつで、天下泰平を祝って舞われる演目です。舞楽については下の動画を御覧いただきたいと思いますが、
『菊蒔絵螺鈿棚』の制作にも関わった海野勝珉作が1899(明治32)年に完成させた『太平楽置物』です。
太平楽とは舞楽のひとつで、天下泰平を祝って舞われる演目です。舞楽については下の動画を御覧いただきたいと思いますが、
勝珉は舞人の足捌きによって跳ね上がった帯の房や鈴、長くひいた裾の布がたわむ様子までも表現し尽くしていて、その出来栄えには舌を巻きます。
また同じ年に、明治期の日本を代表する七宝家の一人で京都を中心に活躍した並河靖之(1845〜1927)が制作した
『七宝四季花鳥図花瓶』も展示されていました。近代七宝工芸の原点である有線七宝という技法によって山桜や青紅葉が描かれた七宝焼きの花瓶は、『太平楽置物』と共に当時パリ万博に訪れた人々の度肝を抜いたと伝えられている一級品です。
普段はなかなか目にすることのできない貴重な皇室献納の品々を一堂に観ることができるこの展覧会は、9月25日(日)まで開催されています。当日券の販売もありますので、お時間が許せばこの貴重な機会を是非御堪能ください。