共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

性格が垣間見える自筆譜〜メンデルスゾーン編

2020年09月07日 18時05分19秒 | 音楽
今日はYahoo天気の警報通り、強い雨が降ったり止んだりする生憎の天気でした。台風10号が通過した九州では何人かの重軽傷者が出たようで、その容態が案じられます。

さて、こんなネタの無い日に拙ブログで登場するものといえば、お馴染みの巨匠の自筆譜シリーズです(爆)。今日はロマン派の雄のひとりであるメンデルスゾーンです。



ヤーコプ・ルートヴィヒ・フェリークス・メンデルスゾーン・バルトルディ(1809〜1847)はユダヤ系の裕福な家庭に生まれ、早くから音楽の才能を開花させました。

今や結婚式の定番曲であるパパパパ〜ン♪パパパパ〜ン♪の『結婚行進曲』が終曲の組曲《真夏の夜の夢》はメンデルスゾーンが17歳の頃、1826年の作品ですが、これは彼がシェイクスピアの戯曲《真夏の夜の夢》を読んだ感想を曲にした、いわば読書感想文ならぬ読書感想曲です。また1829年、メンデルスゾーン20歳の時には、それまで忘れ去られかけていたバッハの《マタイ受難曲》を復活蘇演し、『音楽の父』としてのバッハの再評価に貢献しました。彼が指揮者をつとめたライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は、現在でも演奏活動を続けています。

ただ、後にちゃんとキリスト教に改宗してはいるのですが、ユダヤ系の出自であることを理由に生前だけでなく死後も不当な低評価を受けることがあり、特にヴァーグナーやナチス・ドイツからはかなりの酷評を受けました。そのため彼の自筆譜もあまり丁重に扱われず、かなりのものが散逸してしまっているようです。

そんな中でも残されている自筆譜のひとつがこれです。



これは、かの有名な《ヴァイオリン協奏曲ホ短調》の冒頭部です。几帳面な筆致で書かれたスコアは、このまま演奏出来てしまいそうに綺麗です。

最晩年には肉親の死から精神を病み、わずか38歳という若さで突然死してしまったメンデルスゾーン(一説には脳卒中とも遺伝的要因とも言われています)。しかし、彼の活躍無くしてバッハは現代に残りませんでしたし、彼の活躍無くしてその後のロマン派の音楽は醸成しなかったと言っても過言ではありません。そういった意味では、もっと広くいろいろな作品が聞かれてもいいのではないかと思います。

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