goo

陶器展

 市内の複合施設で、愛知県陶磁器協同組合創立80周年事業として、組合が所管してきた所蔵品を展示する催しが開かれている。新聞でその記事を読んだ私は何故だか行ってみたくなった。柄にもないことを言い出した私に「どうせブログネタにするつもりでしょう」などと言いながらも、妻も付き合ってくれた。私はまったく陶器などと言うものに価値を見出さないで今まで生きてきた男だが、芸術の秋と言うくらいだから、たまにはそうした空気に触れるのもいいじゃないかと出かけてみた。

 

 午前中だったためか入場者も多くなく、ゆっくり鑑賞できた。写真撮影をしてもいいかと係員にたずねたら、「まあ、いいでしょう」と、苦笑しながら許してくれた。陶器が作者名と品名とともに展示棚に並べられているだけで、どういう謂れのある、どんな価値のあるものなのか、何の説明も加えられていなかったが、かえってそうした評価に惑わされずに自分の感じるまま、好き勝手に鑑賞できた。

 

まずは、この展示会の目玉と言うべき加藤唐九郎の作品が最初に目に付いた。唐九郎という人物は現在でも、毀誉褒貶、意見の分かれる怪人物だが、瀬戸焼を代表する一人であることは間違いないだろう。上の写真は若き日の作品のようだが、さらっとしてなんら嫌味のない作品に見える。

 

その横には有田焼の酒井田柿右衛門の若い頃の作品が並べられていた。私が、「なんで九州の陶器がここに飾られているんだろう?」とつぶやいたら、「陶器は九州の有田や伊万里から、こちらに作り方が伝わってきたものだからじゃないの?」と教えてくれた。妻の亡くなった父は古陶器のコレクターとしては有名な人物だったので、少しくらいはその薫陶を受けているのかもしれない、私は「なるほど」と素直に頷いた。

 

さらには、左が石川県の九谷焼、右が京都の清水焼。いずれも絵柄がきれいだ。私はこうした絵柄が好きなのでついつい写真に収めてしまったが、華やかな器は、使う者の心を浮き立たせるような気がする。こんな大皿に持った料理を食べたらさぞや美味しいだろう。

 

左が藤井達吉の黄瀬戸、右が織部、いずれも味わい深い焼きものである。私は昔から、織部の持つ、どことなく洗練されていないような風合いが好きだ。
 などなど、ざっと会場を見てきた私だが、今回一番驚いたのは、加藤民吉という現在の瀬戸焼の礎を作った人の作品が展示されていたことである。

 

これには驚いた。民吉の墓は義父の墓の近くにあって何度も見かけたことがあるが、その作品を見るのは初めてだった。これが見られただけでもう十分だった。

 しかし、展示会をするなら展示品の図録くらい作っておけばいいのに。写真を撮ってきても、どれがどんな作品だったのか思い出すのに一苦労してしまった。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )