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天に向かって

 昨日の午前中、父のライトバンに乗せて、弁慶の遺体を火葬場に持っていった。父の運転する車に乗るのは久しぶりだった。妻が手続きを済ませて、斎場の裏側にある動物専用の入り口まで車を進めると、職員が待っていてくれた。荷台から弁慶を下し、簡単な作りの台の上に置くと、職員が三本の線香に火をつけて私たち一人一人に渡してくれた。線香を立て、合掌したところで、ごく簡単な儀式は終わった。
「丁重にお見送りさせていただきます」
「よろしくお願いします」
動物は一度に焼いてしまうので、骨はもらえないのだそうだ。それはそれで仕方のないことだが、それを見越して妻は弁慶のひげを何本か切っておいた。
「子供たちに渡すって弁慶と約束したから・・」
子供たちがそれを受け取るかどうかはまた別の話だが、弁慶の体の一部がこの世に残ったことは、素直によかったと思う。
 
 その後お世話になった獣医のところへ報告とお礼のために出かけた。妻が弁慶が死んだことを告げると、
「最期はどんな様子でしたか?」
「眠るように息を引き取りました」
「それはよかったですね・・・」
この獣医には猫のトラも最後までお世話になった。飼い主の意向を尊重しながらも、動物が苦しまない治療をしてくれるので信頼している。
「番犬は必要なので、きっとまた犬を飼うことになると思いますが、その時はよろしくお願いします」

 弁慶の小屋はバスの車庫のすぐ後ろにある。さすがに昨日は弁慶がいないことにまだ慣れていないため、今まで通りバスの乗り降りの時にさっと犬小屋の方に目をやってしまい、その度に「ああ、そうか・・」と溜息をついてしまった・・。
「去る者は日々に疎し、すぐに慣れるさ」
とは思うものの、やはり一朝一夕では無理に決まっている。しばらくは弁慶を亡くした悲哀を事あるごとにかみしめねばならないだろう。

 塾が終って遅い晩ご飯を食べ、少し休憩してから、弁慶に餌をやるために塾舎の方へ降りて行く、これが10年以上続いた私の日課だった。私の足音を聞き付けた空腹の弁慶が盛んに吠えたてる中、「お待たせ!」と言いながら、食器にご飯を盛ってやると、ものすごい勢いで食べ始める。量が少ない時にはドッグフードを足してやると、嬉しそうに尻尾を振ってくれる・・。その様子を見ながら、その時私の心を領している心配事を弁慶に話したりすることもよくあった。
「ダメだよなあ、こんなことじゃあ・・。もっともっと頑張るよ・・。おやすみ、弁慶!!」
そんな愚痴とも自分への励ましともつかない言葉をぶつける相手はもういない・・。
 
 なので、夜、一度家に戻ったら外に出る必要はなくなってしまった。このブログに記事を書くのも少し前から自室のPCを使うようになったので、塾舎の事務室に戻る必要もない。今までよりも少しは時間に余裕ができて、ゆったり眠る前のひと時を過ごすこともできるような気がする。さらには、今までよりも早く布団の中に入れるだろうから、体も休まるはずだ。特に冬休み期間中のハードスケジュールがもうすぐ始まるから、願ってもないことだ、などと無理に強がっても空しいだけだが・・。

 弁慶は私たち家族の心の中ではこれからもずっと生き続けるだろう。優しい弁慶のことだ、きっと天から私たちを見守っていてくれるだろう。今まで犬小屋に向かって呟いていた一言は、天の弁慶に向って呟けばいいのだろうか。ただ、天に唾するようなことにはならぬよう気をつけねばならないが・・。

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