goo

国語力テスト

 年末の余興に何か面白いことはないかと考えてみたのだが、何も思い浮かばない。ブログ上で楽しめることといったら、クイズぐらいのものだろうが、何かもうちょっと気の効いたものはないかと頭をひねってみた。えいっと、出てきたのが「国語力テスト」。NHK放送文化研究所が、2002年にHPに「国語常識問題」と「漢字問題」とをそれぞれ毎月20問ずつ出題し、その10か月分をまとめた本が手元にある(NHK出版・生活人新書)。これから、出題してみて常日頃お世話になっている、皆様のご機嫌を伺うことにした。

【国語常識問題】
①(  )に入るのは1~3のどれでしょうか。
「今回も挑戦してくださって(  )ありがとうございます。
 1.まったく  2.すっかり  3.ほんとうに
②「食べる」の尊敬語は次のどれでしょうか。
 1.頂戴する  2.召し上がる  3.いただく
③「言う」の謙譲語は次のどれでしょうか。
 1.申す  2.おっしゃる  3.言われる
④(  )に入るのは1~3のどれでしょうか。
 身銭を(  )
 1.払う  2.切る  3.使う
⑤正しい表現は1~3のどれでしょうか。
 1.風下にもおけぬ  2.口車を合わせる  3.全然よくない
⑥正しい表記は1~3のどれでしょうか。
 1.激鱗にふれる  2.疑心暗鬼になる  3.絶対絶命のピンチ
⑦(  )に入るのは1~3のどれでしょうか。
 物言えば唇寒し(  )の風
 1.秋  2.山  3.木枯らし
⑧(  )に入るのは1~3のどれでしょうか。
 長いものには(  )
 1.トゲがある  2.巻かれろ  3.気をつけろ
⑨「直木賞」の由来となった作家「直木さん」の名前は1~3のどれでしょうか。 1.直木一ニ三  2.直木三十五  3.直木五十六
⑩(  )に入るのは1~3のどれでしょうか。
 「井の中の(  )大海を知らず」
 1.蛙  2.魚  3.家鴨
⑪彼女は「かぶりを振った」
 「かぶり」とは1~3のどれでしょうか。
 1.手  2.頭  3.首
⑫「お手塩」とは1~3のどれでしょうか。
 1.おにぎり  2.小皿  3.醤油
⑬次のなかで「湯桶読み」(上が訓読み、下が音読み)の漢字はどれでしょうか。 1.縁側  2.野宿  3.台所
⑭正しい表記は1~3のどれでしょうか。
 1.有名をはせる  2.優終の美  3.善後策
⑮「イカ」の数え方は1~3のどれでしょう。
 1.足  2.杯  3.踊り
⑯「まいない」の意味は1~3のどれでしょう。
 1.賄賂  2.蝸牛  3.家事
⑰「白波五人男」の白波とは1~3のどれでしょうか。
 1.歌舞伎俳優  2.呉服屋  3.盗賊
⑱長い名前が出てくる落語の演目は1~3のどれでしょうか。
 1.まんじゅうこわい  2.寿限無  3.あくび指南
⑲次の表現で、正しいのは1~3のどれでしょうか。
 1.素人はだし  2.無造作  3.ヘソをかむ
⑳次の表現で、正しいのは1~3のどれでしょうか。
 1.口先三寸  2.孫にも衣装  3.的を射た表現

【漢字問題】
●次の漢字の読み方を答えてください。(送りがなも一緒に書いてください)
①醸す  ②纏う  ③憾み  ④夥しい  ⑤煩う
●(  )に入る漢字だけを書いてください。
⑥失笑を(  )う  ⑦見得を(  )る  ⑧一線を(  )す
⑨快刀乱麻を(  )つ  ⑩窮地に(  )つ
●次の漢字の読み方を答えてください。
⑪贅沢  ⑫颯爽  ⑬華奢  ⑭瀟洒  ⑮絢爛
●次の漢字の読み方を答えてください。(送りがなも一緒に書いてください)
⑯而も  ⑰尤も  ⑱頗る  ⑲悉く  ⑳如何にも

答えは明日発表します。
それより早く知りたい場合は、メールしてきてください。
採点して返信いたします。

アドレス: jukucho19580615@yahoo.co.jp
 
  
コメント ( 32 ) | Trackback ( 0 )

君が教えてくれたこと

 昨夜京都から雪の中戻ってきた妻に話を聞きに自宅へ戻ったところ、スカパーで録画したというTVドラマを見ていた。たずねるつもりだった娘のこともそこそこに、思わずそのTV番組に見入ってしまった。「君が教えてくれたこと」という全12話のドラマだった。9話の途中から見始めたのだが、藤原竜也が出演しているため、彼が出る場面では下手に妻に話しかけたりはできない。そんなときに何を聞いても上の空で、まともな答えなど帰って来ない。で、黙って見ていると、ともさかりえの演じる高機能自閉症の女性が、カウンセリングを受けていた医師役の上川隆也と愛し合うという内容のドラマだということが分かった。藤原竜也はともさかりえの弟役だったが、発声といい、演技といい、まったく他の出演者とは違う領域にいるような感じを受けるほど、素晴らしい演技者であることを再認識した。2000年のドラマだから、当時彼は18歳だった。それでこれだけの演技ができたのだから、妻が今年彼の舞台に走り回ったのも納得できた気がした。妻は、来年の市村正親との舞台も楽しみにしていて、早くもチケットを何枚か手に入れたようだ。まったく抜かりがない。
 私がこのドラマに見入ったのは、藤原竜也のせいだけではない。ともさかりえの役柄が自閉症の女性だというのにとても興味が引かれたからである。実は、我が家のごく近くに自閉症の女性がいて、そういう発達障害を持つ女性がどういった行動をとるかもある程度理解しているので、ドラマの中でどのように描かれていくのかに注目して、思わず見入ってしまった。ともさかの演技は、私の近所の女性をところどころ髣髴とさせるもので、なかなか研究しているなと思った。勿論、日常生活をともにしている家族からみれば違和感を感じる面も多々あっただろうが、私はいい演技だと思った。
 番組のHPを開いてみたら、自閉症についての説明が載っていた。

「3歳までに、人とのやりとりの関係がうまく形成されないような対人関係の相互交渉の質的な障害(社会性の障害)、コミュニケーションの障害やことばの遅れ、こだわり行動、以上、3つの領域での障害がある場合に診断されます。現在、自閉症は脳の何らかの機能不全によって生じる発達障害であると考えられています。自閉症の症状は、他者との関係性やコミュニケーションがうまくとれないこと、特徴的なくりかえし的な行動やこだわり行動などによって特徴づけられます」

 家の近所のその女性は現在37歳、私の弟と同年である。生まれたときから知っているため、私は彼女に何の違和感も持っていない。折り紙を折るのが好きで、私の子供が幼い時にはよく折ったものを持ってきてくれた。近所の人たちも、誰もが会えば「~ちゃん、こんにちは」などと、声をかけるようにしている。彼女も恥ずかしそうにしながらも、返事をしてくれる。
 しかし、彼女には困ったことが1つある。平日はちょっと離れた町で、住み込みの仕事をしているのだが、週末金曜日になると自宅に戻ってくる。すると、その夜から、自室(家族とは別の離れ)で大音量で音楽を流しながらドンドンと足を踏み鳴らして踊りまわる。それだけならどうってことはないが、音楽を切ると今度は外に出て来て、近所の家の玄関口まで走って言って、なんとも表現できぬ奇声を発しながら、玄関を足で何度も蹴る。それが終ると、違う場所に移動してまた大声でわめきまくる。それを2度ほど繰り返した後で、また自室に戻って踊りだす。もうかれこれ20年近くも続けているから、私たちも慣れたと言えなくもないが、それでも日によっては早朝に始めることもあるし、深夜に叫びだすこともある。なんともいえない声だけに、何度聞いても驚いてしまう。以前はそれだけでなく、石を投げて我が家の瓦を割ったことが何度もある。いくらなんでも、と本人をつかまえて注意したら石を投げるのはやめてくれたが、奇声を発することだけはどうしてもやめられないようだ。仕事場でストレスをためてきて自宅に戻るとそれを解消していくのだろうが、時間構わずやるのだけは勘弁して欲しい。
 自閉症そのものは治るというようなものではないようだが、幼児期からの養育や教育が適切になされた場合、その人なりの社会適応は可能らしい。「早朝と深夜だけはやっちゃダメだよと、気長に注意していくことが大切なんだな」と、ドラマを見た後で妻と話した。


コメント ( 15 ) | Trackback ( 0 )

 雪は嫌いだ。嫌いというよりも怖いと言ったほうがいいかもしれない。天気予報で雪が降るなどと聞くと軽いパニックになる。それほど、雪が嫌いだ。何故そんなに雪を忌み嫌うのかといえば、雪が降っても塾は開く。開けば生徒が来る。来るなら車で送迎をしなければならない。雪道に車を走らせるのは嫌だ、怖い。だから雪が嫌いだ。
 冬になればバスは全車タイヤをスタッドレスに換える。スタッドレスに換えさえすれば平気だと私は思っていたのが、3年前に雪が降って凍結した道を走っていたら、曲がり角でタイヤが空回りしてどうしても動けなくなってしまって、電話して助けを求めたことがあった。乗っていた生徒を徒歩で送っていた後で、助けに来た妻と父の力を借りてチェーンを巻いて何とかその場を脱出したのだが、それ以来どうにも雪が降ると悪夢が甦ってきて、心が落ち着かなくなる。寒いのが嫌いなので、スキーとかスケートとかに行ったことがないため、雪道に慣れていないせいもあるのだろうが、とにかく雪道がイヤでしようがない。
 「スタッドレスに換えればスキー場までチェーンなんか巻かなくてもいけますよ」と言う生徒もいるが、とても信じられない。私の運転技術が未熟なのかもしれないが、バスという大きな車ではバランスが上手く取れず、力が伝わりにくいため雪道にはふさわしくないと勝手に解釈している。事実、去年も他の車が平気で上っていける坂を私の運転するバスはタイヤがスリップして、ニッチモサッチモいかなくなってしまった。家が近い生徒はそこで降ろして歩いて帰らせたが、雪ならまだしも凍結してしまってはどうにもならない。スタッドレスタイヤを万能のタイヤと過信してはいけないことは、ここ数年の何度かの立ち往生で身にしみている。
 昨日の日曜は3時前からかなりの勢いで雪が降り始めた。普段なら、夜の送迎のことを思って暗澹たる気持ちになるのだが、昨日は3時までで、しかも送迎しないことになっている授業であるため、いつもとはまったく違って余裕を持って降りしきる雪を眺めることができた。ここ数年は、雪が私の天敵のようなものであったため、こんなにおおらかな気持ちで雪を見ることはなかったが、すっぽりと四囲を覆い尽くす雪を虚心で眺めれば、やはり美しい。私でさえ雪に心がこれだけ動くのだから、詩人の魂を揺さぶらないわけがない。

    雪の賦  中原中也
雪が降るとこのわたくしには、人生が、
かなしくもうつくしいものに――
憂愁にみちたものに、思へるのであつた。

その雪は、中世の、暗いお城の塀にも降り、
大高源吾(おほたかげんご)の頃にも降つた……

幾多(あまた)々々の孤児の手は、
そのためにかじかんで、
都会の夕べはそのために十分悲しくあつたのだ。

ロシアの田舎の別荘の、
矢来の彼方(かなた)に見る雪は、
うんざりする程(ほど)永遠で、

雪の降る日は高貴の夫人も、
ちつとは愚痴でもあらうと思はれ……

雪が降るとこのわたくしには、人生が
かなしくもうつくしいものに――
憂愁にみちたものに、思へるのであつた。

 何でだろう、最近中原中也の詩が妙に心に浮かぶ。ボヘミアンを気取った写真の面影とともに、彼の詩が口をつく。30で死んだ詩人を47にもなった男が恋しがるのも何か変だが・・・
 
 妻が娘の部屋の大掃除を終えて、京都から帰って来た。京都はさほど雪は降っていなかったそうだ。息子は名古屋から戻ってきて、かなり積もっていたと言っていた。私の家の周りでは積雪が10cmは超えている。明日のことが心配にはなるが、今夜のところは白い世界に心を弾ませていよう。


コメント ( 16 ) | Trackback ( 0 )

ベストヒット’75

 年末になると、今年のヒット曲を集めて年間ベスト10がTV・ラジオで発表される。しかし、今年どんな曲が流行ったのかほとんど知らない私にとって、そんなものには何の興味も持てない。そこで、ちょっとへそ曲がりなことをしてみようと思う。1975年に発表された曲を集めて、私の独断で順位を付けてみる。何故、75年かといえば、たぶん私が一番音楽を聞いていた年だろうし(当時17歳!)、私の中で忘れられない曲ばかりが発表された年であるからだ。従って、順位をつけるなどかなり無謀なことだが、戯れに試してみようと思う。まずは、20位から10位まで。

20位「およげたいやきくん」子門真人
19位「時の過ぎゆくままに」沢田研二
18位「青空ひとりきり」井上陽水
17位「シクラメンのかほり」布施明
16位「卒業写真」荒井由実
15位「時代」中島みゆき
14位「俺たちの旅」中村まさとし
13位「無縁坂」グレープ
12位「ルージュの伝言」荒井由実
11位「愚図」研ナオコ

これだけでも、すごい曲ばかりだ。井上陽水が何故こんな順位なのかと自分でも不思議だが、私の中で「青空ひとりきり」はそんなに特筆すべき曲ではないからかもしれない。「無縁坂」も当時はあまり好きではなかったが、年をとるにつれて心に浮かんでくる曲となった。さだまさしはあまり好きではないが、この曲と「秋桜」は好きな曲である。付け加えれば、この頃のジュリーは実にカッコよかった。
 さて、ベスト10だ。ここからは1曲ずつあげていく。

10位「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」ダウンタウンブギウギバンド
  宇崎竜童の曲は、やはり山口百恵が歌ったものが一番いい。でも、この年には山口百恵に大したヒット曲がなかったので寂しかった。
9位「あの日にかえりたい」荒井由実
  以前も書いたが、ユーミンはやっぱりカリスマだ。特にこの年はすごい。「卒業写真」「あの日にかえりたい」とあわせて3曲目だ。素晴らしい。
8位「昔の名前で出ています」小林旭
  役者としての小林旭は詳しく知らないが、私にとっての小林旭は歌手だ。この曲は当時高校生だった私に何故か男女の悲哀を味合わせてくれた名曲だ。
7位「我が良き友よ」かまやつひろし
  このレコードのB面は「ゴロワーズをすったことがあるかい」とかいう曲で、あほな私はフランスタバコを買って吸ってみたが、苦いだけだった。
6位「なごり雪」イルカ
  伊勢正三の曲をイルカが歌っているが、しょうやんが歌っただけだったらこれほどまでに心に残る曲になっただろうか。やはり、イルカはすごい。
5位「アザミ嬢のララバイ」中島みゆき
  「コッキーポップ」は当時の高校生必聴の番組だったが、中島みゆきはそこで聞いた最高峰だったと今でも思う。中島みゆきの曲ではこれが一番好きだ。
4位「木綿のハンカチーフ」太田裕美
  この曲を聴きながら、もし自分が都会で暮らすようになっても、ふるさとの恋人を忘れるようなことは絶対にしないぞ、と妙に力を込めていたことを思い出す。
3位「想い出まくら」小坂恭子
  小坂恭子の顔はまるで忘れてしまったが、この曲は歌詞を見ずに全て歌える。昔よく行ったカラオケで何度歌ったことか。
2位「いちご白書をもう一度」バンバン
  ユーミンが歌っていたら、たぶんこんな上位にしただろうか。ばんばひろふみが歌ったからこそ、心に沁みる曲になったと思うが。♪二人だけのメモリー、どこかでもう一度♪
1位「22才の別れ」風
  「いちご白書」とどちらにしようか最後まで迷ったが、私には都会的なユーミンよりも何処か田舎臭い「かぐや姫」の方が、根っこのところでは性に合っているのかもしれない。「赤ちょうちん」がどうしようもないくらい好きだし・・・

よく考えてみれば、30年も前の曲だ。懐メロと言ってもいいのかもしれないが、私には、死ぬまで聞き続ける名曲ばかりだ。いささかの輝きも失っていない。こんな素晴らしい曲とともに、今まで生きてこれたことを誇りに思う。


コメント ( 25 ) | Trackback ( 0 )

友へ

 ゴジ健さんがネットの世界から消えてしまわれた。どうして?という思いは拭い去れないが、彼が熟慮の上で出した結論を尊重しないわけには行かない。とは言っても、寂しいし悲しい。何とか翻意を願いたい。今までのような語り合いをゴジ健さんと続けたい。いくら冷静になろうとしても、心が叫ぶ。
 
 ゴジ健さんがゴジトピに参加されたのは、私が投稿を始めて間もない頃だったと思う。
 
>最強の携帯電話じゃ! 2005/ 6/17 10:40 [ No.78737]
ストラップは松井選手もキーホルダー代わりにしているというゲンを担いだコイン、着メロはキルビル、待ち受けはホームランを打ったときの写真。ちなみに、おまけで、ホームランメールが届いたときの着メロは、In The Moodなんだけど、これがまた結構いいんじゃ。

これが、私が覚えている彼の最初の投稿だ。武骨な語り口で、強く印象に残った。その後で、自らのHNを

>名前は 2005/ 6/19 21:50 [ No.79301]
ゴジラの「ゴジ」と高倉健の「健」で「ゴジケン」と申します。
以後よろしくお見知りおきを願います。

と紹介された。それ以来私が彼を高倉健とダブらせてイメージしてきたのは言うまでもない。トピ上で、正直で不器用なキャラを確立され多くの仲間と語り合っておられたが、何故か一部の人たちから彼へのバッシングが始まり、次のように相手に向かって語り掛けられた。

>ピントハズレのおっさんのつぶやき 2005/ 7/ 3 21:41 [ No.82307]
 私は、純粋に松井選手のことが大好きで、応援したいという気持ちにあふれている、普通の中年オヤジです。自宅と仕事場との往復の毎日に、松井選手の一発は、一服の清涼剤であり、大袈裟ではなく、生活の活力でもありました。
 こんな場所があることを、皆さんご存知のある本で知りました。クマノミさんがおっしゃるとおり、ある日、勇気を持って投稿してみました。私の投稿に多少の方々が反応してくれました。それは、私の勘違いだったのかもしれませんが、単純に、とてもうれしく、そして、感動しました。
 あなたのおっしゃる、ユーモア、場の雰囲気に即した投稿とはどういうものなのか、今の私にはわかりません。ご指摘のとおり、つい、トピの本旨にそぐわない投稿をしてしまうこともありますし、松井選手の、バッティング理論を詳しく解説したり、過去のデータに照らして比較する、などということもできません。
 私は、ただ単純に、今、この時にアメリカの地で戦っている松井選手のことを、そしてヤンキースのことを応援する気持ちを、この掲示板の場で共有したいだけなのです。
 認めていただけないでしょうか?

ゴジ健さんと同じ年齢であることを知って、親近感を抱いていた私はこの投稿に対し、黙っていられなくて次のような投稿をした。

 ゴジ健さん、私たちの年齢になると、はっきり言って、他人のことなんてもうどうでもいい気がしませんか。
もう十分働いてきたし、自分の我儘を通したっていい年齢だとは思います。
ただ、子供の年恰好によりまだまだ社会と迎合しなければならない局面に遭遇する場合も少なくありません。
そのジレンマに苛立ちこそすれ、もう大局的に見れば、人生の最終章に差し掛かっていると言ってもいいかもしれません。
少なくとも、私の己に対する認識はそんなものでした。
 そうした折、松井秀喜という若者が、『死ぬ覚悟で』アメリカNYYで活躍の場を求め、読売ジャイアンツを飛び出していきました。
何もあえて火中の栗を拾わずとも、現状に満足しておればいいものを、と多くの人が思ったであろう、彼の行為は、ともすればなんら変化のない日常に紛れ、いつしか男として、闘う本能を忘れた私のような中年の心を激しく震撼せずにはいませんでした。
 爾来、私は彼の心を己の心と同一させるべく、彼の一挙手一投足に己を投影し、彼の『チャンピオンリングを手にする』宿願が実現するまで、どんなことがあろうと応援を続けていこうと覚悟を決め、今日に至っております。
 このトピに集う人々は、たとえ表現方法は異なるとも、すべて松井秀喜を応援する人々であると私は思います。
それが、たとえ間違った認識であれ、松井を応援する気持ちがありさえすれば、誰にでもこのトピに投稿する資格はあるものと、私は自らの、人によれば、下らぬと思われるかも知れぬ投稿を続けています。
 全ては、『松井がチャンピオンリングを手にする日』のために。
 ゴジ健さん、他人にどう思われようが、松井のため、純粋に、毎日『元気玉』を送り続けようではありませんか。
 長文、失礼しました。

これは、ゴジ健さんへのメッセージでもあり、自分自身への励ましでもあった。これに対して、ゴジ健さんが、

>皆さん、おはようございます 2005/ 7/ 4 6:16 [ No.82456]
今朝は、完璧に遅刻してしまいました。
まずは、ライブ応援の皆さんお疲れ様でした。
ヤンクス1対0・・・まさに、こんな勝ち方もできたのかよ!!と、突っ込みたくなる様なスコアじゃ。王投手あっぱれ!
松井選手は6番で4の2。打順については否定的な意見ばかりじゃが、トーリ監督は、先日のバーニーといい、下位打線で得点するための、裏4番に松井選手を指名した、なんて考えるのは、あまりにも贔屓目過ぎるじゃろうか。
さて、昨夜の私の投稿に塾長さんをはじめ皆様にエール(?)を送られ、改めて、この掲示板に投稿を続けていく本当の意味を、自分なりに理解できたような気がしました。
塾長さん、本当にありがとう、心からありがとう。朝から、男泣きじゃ。
>全ては、『松井がチャンピオンリングを手にする日』のために。
ゴジ健の「元気玉」復活じゃぞい!!!

これを読んだ瞬間に私はゴジ健さんと心がつながったと思った。社会とかなりあやふやにしかつながりを持っていない、半分引きこもりのような暮らしを続けている私にとって、学校を通じない初めての同世代の友人ができたと思った。
 それ以来、折に触れ言葉を交わし、私のブログにも毎日コメントを下さるようになった。私のことを友と呼んでくださり、色々と刺激を受けてきた。ここ数ヶ月、彼とともに暮らした毎日は素晴らしく充実したものだった。

 それが、突然こんな形で終わりを告げてしまうなんて・・・
 私の携帯には、ゴジ健さんが送ってくださった、昭和55年の50円玉と5円玉を結んだお手製のストラップがつけてある。これは私たちの友情の証であると大切にしてきたものだが、今ではゴジ健さんと私をつなぐ唯一の思い出になってしまった。
 私は今、このストラップを握り締めながらゴジ健さんに向かって叫ぶ。

    今すぐにでも、戻ってきてください!!!
コメント ( 14 ) | Trackback ( 0 )

「不幸な王子」(下)

      (5)
王子がくしゃみをするようになったのです。
はじめは軽い風邪かな、と誰も気にしなかったのですが、日がたつにつれ、次第に回数が多くなり、とうとう休む間もなくくしゃみをするようになってしまいました。
「ハックション、ハックション、八ァクショーン・・・」
城中に王子のくしゃみの声が響き渡ってきます。
周りの者たちはどうしたらいいのか分からず、国中の医者を呼び集めました。

しかし、どの医者が診てもどこも悪くはありません、皆頭を傾げるだけです。
その間も王子は、休む間もなくくしゃみを続けています。
「ハックション、ハックション、八ァクショーン・・・」

息を継ぐ間もないくらいにくしゃみが止まらないので、とても苦しそうです。
このままでは王子の命が危ないと、王様は国で一番のまじないしを呼びにやらせました。

まじないしはお城にやってきて、王子の様子を一目見るなり、こう言いました。
「王子はひどい病にかかって亡くなった、と国中におふれなさい。
それより手はありません」
「何じゃと、そんなことができるものか」と王様が目をむいて詰め寄りました。
すると、まじないしは説明を始めました。


       (6)
「王子のくしゃみは、国中の者たちが王子の噂をするからです。
昔から、くしゃみをすると誰かが自分の噂をしていると言うでしょう、あれです。
その証拠に皆が寝静まり、噂をしなくなる夜中に王子はくしゃみをしなくなるでしょう?」

「そう言えばそうだ、夜はぐっすり寝ておる。」王は納得しました、周りの者達も。

「もしこのまま、王子が戴冠式に臨まれるなら、式の日までに噂は国中に満ち溢れ、王子のくしゃみは止むことがなくなり、最後には息もできなくなってしまい、苦しみながら亡くなってしまうでしょう。
お願いです、王様。王子をお助けになりたかったら、王子が亡くなったと国中に告げてください。」

「じゃが、そうしたとしても、今度は王子が死んだことで国中の噂が持ちきりになるだろう。
それでは、同じではないか」

「はい、その通りです。
ですから、王子の死亡の発表と同時に新しい王を発表するのです。
この際、そこの大臣にでもやってもらいなさい。
一時は亡くなった王子を悼んで、人々は泣き悲しむかもしれませんが、すぐに新しい王の噂で、王子のことなど忘れてしまうでしょう。民とはそんなものです。
それに、大臣なら安心です。
彼なら王子が戻って来るまで、忠実にこの国を治めてくれるでしょう。」

「なんじゃと、王子が戻ってくるまでとはどういうことじゃ」

「はい、王子がこれほど人の噂に敏感になられたのは、王様が大事にお育てになりすぎたためです。
あまりに温室で育てられたせいで、もともとお優しい心が、ひ弱になってしまわれたのです。
王子は、旅にお出しなさい。
色々な国に行き、様々な人々に出会えば必ずや逞しいお方になられるはずです。
そして国に戻っていただき、王様になっていただけばいいのです」

「ふむ・・。分かった、可愛い子には旅をさせろということじゃな」

そうして、王は言われたとおりに王子の突然の病死と、代わって大臣が王位につくことを国中に伝えました。
まじないしが言ったとおり、一時は王子の死を悲しんだ者たちもすぐに新王の噂に熱中し始めました。
そして、王子のくしゃみもぴたっと止みました。



数日後、新しい王の戴冠式で国中が喜びに溢れかえる中、王子と数人の近習たちはこっそり城を抜け、旅立ちました。
さて、これが王子の幸せを探す旅になったかどうかは、またの機会に。

コメント ( 12 ) | Trackback ( 0 )

「不幸な王子」(上)

 先ほど、私のヤフーブログを閉鎖した。何で2つもブログを持っていたのか自分でもよく分からないが、始めは倉庫代わりにするつもりだった。しかし、ここ最近の状況ではとても2つも管理する気力がわかないので、思い切って閉鎖した。大した記事はないから惜しくもないが、ただ、何回かに分けて掲載した「不幸の王子」というのは、学生時代に私が妻のために書いた物語を焼きなおしたもので、特別な思い入れがあるものだから、コピーしてきて今日と明日の2回に分けて載せようと思う。


      (1)
昔、昔、ある国にとても立派な王様がいました。
国の人たちのことを愛し、人々のために一生懸命尽くしたので、国の人々も王様を自分たちの父のように慕っておりました。

王様には、年を取ってやっと恵まれた1人の王子がいました。
王様は王子を目に入れても痛くないほど、大事に大事に育てました。
外に出して病気になっては大変だと、決してお城からは出さずに、大事に大事に育てました。

ですから、国の人々は誰も王子を見たことがありませんでした。
ただ、誰よりも聡明で、誰よりも凛々しくも美しいお姿でいらっしゃると、国の人々は信じておりました。
それは、王様が立派な方であったため当たり前だと誰もが信じておりました。


       (2)
 王子は16歳になりました。
お城をあげてお祝いをしているさなか、王様がたおれてしまいました。
長い間、平和で豊かな国を守り続けるために働いてきたのです。
もうそれにずいぶん年を取ってしまいました。
王様は位を王子に譲ることに決めました。

「さあ、王子、これからは私に代わってこの国を治めておくれ」
「分かりました。見事ご期待にこたえて見せます」

王様は何も心配していませんでした。
王子は生まれつき聡明な上に、この時に備え幼い時から王の道を学ばせていたからです。

「頑張ってくれよ」
王様は国の人々に、1ヵ月後に戴冠式を行うことを宣言しました。


       (3)
国の人々は口々に心配しました。
王様に代わって16歳の王子がこの国を治めることなど、果たしてできるのでしょうか。
ある者はこの国の行く末を心配し、ある者は明日のことを心配しました。

「王様がいなくなったらわしらの国どうなるんじゃろう」
「王様があってこそのこの国だ、いったいどうなるんじゃろう」
そんな声が国中に満ち満ちていました。

王様は、こんな時に王子に跡を継がせても上手くいかないと思い、あれこれ頭を悩ましましたが、それにつれて病状もますます悪化してしまいました。

「私はもう長くない」
王様は、近従たちを呼び寄せ、一計を案じました。
「皆で、王子が優秀なことを国中にふれてまいれ」

王の命を受けた者達が一斉に国中に散らばっていきました。


       (4)
3日もすると国中の人々は王子の素晴らしさを讃え始めました。
会ったこともないのに、「まばゆいばかりに美しい方だ」とか、
聞いたこともないのに、「遠い国の言葉をいくつも話せるお方だ」とか、
話したこともないのに、「どんな昔のことでも、どんな難しいことでもご存知のお方だ」と噂し始めました。

王様はその様子を見聞きするにつけ、国の人々の不安が期待へと高まっていく様子に満足しました。
「国中で、もっと王子の評判が高まれば、私も心置きなく王位を譲れる、うれしいぞ」と近習たちと喜び合いました。

戴冠日まであと半月となったときには、国中が新しい王のことしか話さなくなっていました。
2人寄れば必ず王子の話となりました。

しかし、この頃からでした、王子の体に異変が生じ始めたのは・・・
コメント ( 11 ) | Trackback ( 0 )

呪文

 どうにも心が晴れない。今日の天気のように黒い雲が心を覆っていてなんだかやりきれない。こんなときふと口をついて出るのが、
  
  Anywhere out of the world.(この世の外ならどこにでも)

ボードレールの詩の題名であるが、私は中原中也の詩で知った。ずいぶん昔に読んだきりなので、どこにあったか判然とせず、色々探して、未刊詩篇の中にやっと見つけた。しかし、なんともヤケクソ気味の詩で、昔読んだのが本当にこれだったのかと納得がいかない。
  
  頭を、ボーズにしてやらう
  囚人刈りにしてやらう

  ハモニカ吹かう
  植民地向きの、気軽さになってやらう
  
  荷物を忘れて、
  引き越しをしてやらう

  Anywhere out of the world
  池の中に跳び込んでやらう

とまあ、無茶苦茶だ。一方、ボードレールの方は、何処へ放浪しようかと魂と話し合っていてもなかなか返事をしてくれない。リスボンに行こうか、ロッテルダムに行こうか、熱帯のバタビアはどうだと言っても魂は答えない。じゃあ、死の国のような北へ行ってみようかと言うと、とうとう魂が爆発して

 N'importe où! n'importe où! pourvu que ce soit hors de ce monde!
(この世の外であるのなら、どこにでも構わない)

と叫ぶ。「パリの憂鬱」に収められたこの詩が、文字通りボードレールの憂鬱を表わしたものかは分からないが、中原中也のヤケクソとはずいぶん違うような気がする。ボードレールと中原中也を比べるのはどだい無理があるが、どちらも多少の差こそあれ、詩人の心のやるせなさを歌ったものと解釈してはいけないだろうか。
 私の今のやり切れなさを詩人の言葉を借りて表そうなどと倣岸な思いは持っていないが、最近何度も口をついて出てきてしまう。10年ほど前に、塾をやっているのがイヤになったことがあった。集まってくる生徒が何のためにやって来るのか分からないような者ばかりで、ずいぶんイヤになった。自分のやっていることが無意味に思えて仕方なく、毎日が面白くなかった。ともすれば自分の気持ちに流されそうになった私が踏みとどまれたのは、「だったらお前は他に何かやりたいことがあるのか?」と自問したことだった。ずいぶん考えた、自分のやりたいことが他に何かあるのか。結局出た答えは、「何にもない」だった。なら、今の塾をもっと高めるよう頑張るしかないじゃないか、という結論を引き出して、少々強引な手段もとって、自分の望むとおりの塾を作り上げようと決意した。それ以来、仕事に関してぶれることはなくなった。
 しかし生来惰弱な男である私は、ちょっとしたことで簡単にへこんでしまう。妻に言わせれば、「あなたは世の中に出て辛い目に会ったことがないから、自分のやりたいことしかやろうとしないから、ちょっと上手く行かないとすぐに弱音を吐く」のだそうだ。それでも、ここ何年かは大分タフになったと思っていた。以前よりも粘り強くなったし、面倒くさがらずに人に対するようにもなれたと密かに自負していた。ところが、ここ数日の気持ちが晴れないのを考えれば、まだまだ修行が足りないようだ。思わず、「面倒くさい!」と叫びそうになっているようでは、何をかいわんやである。
 
 そうか、分かったぞ、Anywhere out of the world. などと私のような中途半端な男が、したり顔で呟いているからいけないんだ。私なぞ、この世の中で死ぬまでうろうろし続けるしか能のない男だ。それなのに、そんなまやかしで困難から逃げようとしている。なるほど!ここで断ち切らなければいけないんだ!
 よし、二度とこんな呪文は唱えないぞ!
 なんだか、元気が出てきた。
 本当に。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

双子(5)

 このブログを始めて、私の弟の双子の子供たちについて書くのがこれで5回目になる。読み返してみると、ほぼ1ヶ月に1度の割合で我が家にやってきている。今回は11日(日)に私の叔父の1周忌の法要が営まれ、それに参列した弟を母親と一緒に車で迎えにやってきたのである。私は1日中塾で、あいにく参列できなかったため妻が代理で出席した。早いもので、もう1年が経ったのかと思う。私の大好きな叔父だったのに、参列できなかったのは残念であり、叔父に申し訳ないとも思っている。仏壇に線香の1本でも立てに行かなければならないと思ってはいるが、忙しさにかまけてなかなか行けそうにもない。
 私が5時で塾を終え帰宅すると、父・妻・弟が車座になって酒を飲んでいた。全員がかなり酔っている様子はすぐに見て取れたため、私も乗り遅れてはいけないと、早速ビールの缶を開けた。毎日毎日飲み続けていても、ビールという物はなんでこんなにおいしいんだろう。特に最初に開けた一本をグッと一気に飲み干すのは、私にとってまさに至福の時である。「ふーッ」と、1缶飲み終えた時にまさにグッドタイミングで、双子達が到着した。父も妻も、勿論私も会いたくてたまらない者達の登場に頬は緩みっぱなしだ。皆で一斉に「さあっ」と手を差し出すが、双子達がそんな誘いを受けるはずもなく、恒例の大合唱が始まる。もう慣れっこだからなんともないが、やはり姪の方がなかなか泣き止まない。甥は適当に切り上げ、ごそごそし始める。妻が彼の手の届く範囲の物を避難させ、「どうぞご自由に」と言うと、意味が分かったのか、奇声を発しながら歩き回る。体が小さいだけに小回りがきいて、広くもない部屋を存分に動き回る。その様子をじっと見つめていた姪も、それにつられてゆっくりとご機嫌を直して、二人そろって遊び始めるのに30分ほどかかった。これでも大分短くなった方だ。
 妻は11月の時には、大阪に藤原竜也を観に行っていたため、2ヶ月ぶりの対面になり、盛んに「顔が変わった」と言っていた。確かに私の目から見ても、甥の方は来るたびに顔がしっかりしてきている。最初の頃はまるで猿のような顔をしていたのが、やっと人間の子供らしくなってきた。それなりに可愛い顔をしていると思うのは伯父バカなのかもしれないが、姪の方は大きくなったら美人になるぞ、とバカを2乗したくらいのバカさ加減で密かに思っている。夕食にピザのデリバリーを頼んで皆で食べたのだが、双子達の食欲の旺盛なことには驚いた。おししいのか、口元に持っていったものは全て平らげ、もっとくれと要求する。元気に育っている証拠だと、見ていて嬉しくなってくる。しかし、私たちはたまに会ってこうやって喜んでいればいいだけだが、弟夫婦は毎日これを繰り返しているわけだから大変だ。二人とも自分が食べるのをそっちのけにして、子供たちの世話ばかり焼いている。と言っても、本当に嬉しそうな顔をしているから、子供たちが可愛くて仕方ないのだろう。このままいい家族になってくれればいいがと、彼らを見ていて心から思った。

 銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに 
   まされる宝 子に及(し)かめやも    山上憶良

本当に幼な子は可愛い。幼な子でなくとも子供は皆いとおしい。子供を犠牲にする事件が立て続けに起こって、やり場のない悲しみで覆われていた私の心に、双子を見ているうちに、久しぶりに光が差し込んできた。と同時に、彼らが一人で出かけても安心して遊んでいられるような社会を取り戻すことが私たち大人の責務であることも痛感した。子供たちの歓声が狭い部屋の中だけに限られてしまうようなことにだけはしてはいけない。社会が皆で子供たちを育てるという意識を、私たち一人一人が持たなければならない。
 後部座席にセットされたチャイルドシートに座らされて帰っていく甥と姪を見送りながら、もうこんな悲しみを繰り返さないようにするために、私にいったい何ができるだろうかと考えていた・・
コメント ( 48 ) | Trackback ( 0 )

さようなら

 フランス語で「さようなら」を表わす語は、2つある。Au revoir と Adieu である。辞書を引いてみると、Au revoir は「ではまた、さようなら」とある。英悟の See you. に当たる言葉なのだろう。中国語の「再見(サイチェン)」という語が私たちには見ただけで一番よく理解できる訳語だと思う。来生たかおの「夢の途中」という歌の歌詞が Au revoir の意味を上手く表わしている。

   さよならは別れの 言葉じゃなくて
   再び逢うまでの 遠い約束
   現在を嘆いても 胸を痛めても
   ほんの夢の途中

またすぐに会える相手に向かって言う「さようなら」は Au revoir なのだ。それが時間的に遠いものであっても、必ず会えると思う場合に使う言葉なのであろう。Au revoir と互いに挨拶を交わすとき、次に会うことを互いに心に思い描いているはずだ。何かはっきりといえない理由で別れるとしても、必ず再び会うつもりであるならば、Au revoir で別れるはずだ。
 しかし、Adieu の場合は違う。辞書によれば、「長期間あるいは永久に別れる相手に対して言う」とある。永久の別れというのは、読むだけで悲しい言葉だが、死に逝く者がこの世に別れを告げる時には Adieu と言うのであろう。Adieu を分析してみれば、A と Dieu に分けられ、A は「~に対して」、Dieu は「神」のことだから、Adieu というのは神に対する誓いの言葉ということになる。「神に誓ってさようなら」という意味ならば、永遠の別れを告げる言葉だと理解できるだろう。
 Adieu という言葉で私が思い出すのは、京大の生田耕作教授のことだ。先生は発禁本の訴訟など物議を醸す教授として内外に有名な方であったが、学内では誰でもフランス語の単位を取れる有難い先生として有名であった。なにせ、授業に先生が現れない。私も最初の講義だけはと思い出席してみたのだが、いくら待っても先生がやってこない。とうとうそれで授業時間が過ぎてしまったのだが、それに味をしめた私は二度と出席をしなかった。授業がまともに開かれたとも聞いたことがなかったから、ひょっとすると一年間何も講義などなかったのかもしれない。今思えばそんないい加減な人間に我々の税金から給料を与えるなどもってのほかだと思うが、学生から見ればこれほど素晴らしい先生はいなかった。それでも、単位認定のための試験はあったようで、受験したのを覚えている。その時に初めて先生のご尊顔を拝したのだが、長髪で大柄な先生は、私の目からは至極かっこよく見えた。その時教室にいた一人の生徒が、「先生は今年で大学を辞められると聞きましたが、何故ですか」と不遜にもたずねた。すると先生は「もう嫌なんだ」とだけ答えられた。私はそれを聞いて、「ああ、これこそ京大の教授だ」とえらく感動したのを覚えている。私のいた頃の京大は本当に自由で、学生が何をやろうが大学はまったく関知せず、やりたい放題だった。それは教授にも言えたことで、いい加減な教授がたくさんいたように思う。生田教授はその最たるもので、その試験の答案用紙に私は「Adieu, prof. Ikuta」とだけ書いたのだが、ちゃんと単位がもらえた。独立法人となった今ではとても考えられないことだが、古きよき時代の語り草としてはなかなかのものだろう。
 生田教授はその後程なくして亡くなってしまったから、文字通りの Adieu となってしまったが、普段の我々にとって Au revoir と Adieu を区別することは難しい。Au revoir のつもりで言っても Adieu になってしまったことはこの年齢になるといくらでもある。会いたいけれど会えない、そんな友がたくさんいる。逆に、Adieu を告げたつもりなのにいつの間にかまた顔を会わせているものもいる。会いたくないのに何故だか会ってしまう。そんなことはよくある。会いたい人にはいつでも会え、会いたくない人とは二度と会わなくてすむ、そんなことが可能だったら、誰もが楽しく生きていけるだろうが、そんなことがありえないのが人生だ。
 辛くても、何とか頑張っていくしかない。
 

 
コメント ( 13 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ 次ページ »