毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
77
昨日は午前中だけで塾を終えることができたので、午後からお千代保稲荷へ参拝してきた。しばらく続いた寒さも少しばかり緩み、日を浴びた車の中は暑さを感じるほどだった。
日曜日に参拝するのは久しぶりだったが、全く大勢の参拝客で参道を歩くのに苦労するほどだった。
なにか祭礼でもあったのか、と思うほどの混みようだった。毎月第一日曜はこれくらい混むようだが、それでもいつもよりも混んでいるような気がしたのは、久しぶりの日曜参拝だったからかもしれない。
昨日は夕方から弟一家が、6日の父の誕生日を祝いにやって来る予定だったので、さほどゆっくりすることもできなかった。だが、行き帰りに結構時間がかかり、家に戻ったら弟一家がもう到着していた。こうした時に役に立つはずの番犬・太郎が、さっそくあーちゃんにまとわりついたのは、遊んでくれる相手を本能的にかぎ分ける能力を見せてくれたようで面白かった。
一か月ぶりに見る甥っ子たちは相変わらずパワフルで、家じゅうを歓声で満たしてくれた。父も子供たちに付き合って元気な様子を見せながらも、有り余るパワーにはさすがについていけないのか、途中から自室に引きこもってしまった。それでも夕食は皆と一緒に食べ、誕生日ケーキに火を灯した時には子供たちと一緒になってろうそくを吹き消してくれた。
さすがに77本のろうそくを用意することはできなかったので、適当にろうそくを並べてみたが、それなりに厳かな雰囲気が醸しでて、「涙が出ちゃうなあ」と父が呟いたのにはぐっときた・・。一年前に喜寿の祝いをしたときと比べれば、ごく内輪の小宴ではあったものの、私たちの祝意が父に伝わったようで嬉しかった。
寒さにも負けず毎日元気で暮らしている父を見るのは当たり前のように思ってしまうが、そんな時が一日も長く続くよう、祈念せずにはいられない。たまたま母の月命日にあたり、墓参りをしてきた日だっただけに、その思いを強くした・・。
日曜日に参拝するのは久しぶりだったが、全く大勢の参拝客で参道を歩くのに苦労するほどだった。
なにか祭礼でもあったのか、と思うほどの混みようだった。毎月第一日曜はこれくらい混むようだが、それでもいつもよりも混んでいるような気がしたのは、久しぶりの日曜参拝だったからかもしれない。
昨日は夕方から弟一家が、6日の父の誕生日を祝いにやって来る予定だったので、さほどゆっくりすることもできなかった。だが、行き帰りに結構時間がかかり、家に戻ったら弟一家がもう到着していた。こうした時に役に立つはずの番犬・太郎が、さっそくあーちゃんにまとわりついたのは、遊んでくれる相手を本能的にかぎ分ける能力を見せてくれたようで面白かった。
一か月ぶりに見る甥っ子たちは相変わらずパワフルで、家じゅうを歓声で満たしてくれた。父も子供たちに付き合って元気な様子を見せながらも、有り余るパワーにはさすがについていけないのか、途中から自室に引きこもってしまった。それでも夕食は皆と一緒に食べ、誕生日ケーキに火を灯した時には子供たちと一緒になってろうそくを吹き消してくれた。
さすがに77本のろうそくを用意することはできなかったので、適当にろうそくを並べてみたが、それなりに厳かな雰囲気が醸しでて、「涙が出ちゃうなあ」と父が呟いたのにはぐっときた・・。一年前に喜寿の祝いをしたときと比べれば、ごく内輪の小宴ではあったものの、私たちの祝意が父に伝わったようで嬉しかった。
寒さにも負けず毎日元気で暮らしている父を見るのは当たり前のように思ってしまうが、そんな時が一日も長く続くよう、祈念せずにはいられない。たまたま母の月命日にあたり、墓参りをしてきた日だっただけに、その思いを強くした・・。
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今年の秘密・・
今年の「秘密のデザート」が何なのかを解明するには、まず対象とされた苺デザートから1品食べるたびにもらえる引換券を3枚集めることが必要だ。そのため、木曜日ごとに行くデニーズで、せっせと苺デザートを食べた。
写真左から、「苺のミルクプリン ミニパルフェ」・「苺とチョコのショートケーキサンデー」・「苺と彩り果実のミルフィーユ」、どれもイチゴがおいしくて、まさに頬っぺが落っこちそうだった。顔なじみの店員さんが、「この店では、まだ秘密のデザートを食べられたお客様はいません。頑張ってください」などと励ましてくれたものだから、ついつい気合が入って、あっという間に引換券3枚を手に入れた・・。
しかし、この券が有効になるのは「次回来店時」という但し書きがあったので、居ても立ってもいられずに、その翌日に行ってしまった。テーブルに座るとすぐにやって来た店員さんが、「秘密のデザートですね」と、こちらから言う前に注文を了解してくれた。まさに阿吽の呼吸!、などと感心しながら待つこと須叟・・、運ばれてきましたよ、今年の「秘密のデザート」が!!
チョコレートケーキに生クリームと苺を添え、苺ソースがかけてある。苺と生クリームは絶品だが、チョコレートケーキが些か苦い。一昨年のクリスマスケーキはデニーズで買ったが、その時のチョコレートケーキも苦かった。それと同じ味がしたから、デニーズのチョコレートケーキは私のようなお子ちゃまにはちょっぴり苦すぎるのかもしれない・・。でも、全体的に見ればとても美味しいデザートであり、せっせと通い詰めただけの価値はあったかな、というのが食べ終わった時の印象だった。
2月中に木曜日はあと3回あるから、普段通りにいけばもう1回は「秘密のデザート」を食べられそうだ。去年は途中で変更されたから、ひょっとしたら今年も変わったりするかもしれない。期待しながら、通ってみよう。
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「水死」
大江健三郎の新刊小説「水死」を読んだ。大江の長編小説を読むのは実に久しぶりだ。2年前に「臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ」を読んで、その感想をこのブログにも載せたが、これは中編小説と呼ぶのがふさわしい長さの小説であり、ハードカバーで400ページを超えるような大江の長編小説を最後に読んだのは、「燃えあがる緑の木三部作」と言われる「揺れ動く(ヴァシレーション)」の途中までであり、その後の作品はすべて書棚に飾ってあるものの、ほとんど読まないままにしてある。それまでの大江の作品はほとんどすべて読んでいたのに、何故そこで止まってしまったのだろう・・。
その答えを何とこの「水死」という小説の中で、大江自身が教えてくれたのには驚いた。それは、P.351で、唐突に登場した桂という男が語っている・・。
――それはその通り。これ(「臈たしアナベル・リイ」)は長江さん(大江と思しき語り手)としての本格小説ではある。文体にしても構造にしてもさ。しかし、この十年、十五年、長江さんのすべての長編がこの調子じゃないの、ウナイコ?基本的には語り手=副主人公が・・・時には主人公である人物すらが・・・みな作家自身に重ねてある。それはやりすぎじゃないの?小説らしい小説と受けとめられるだろうか?一般的にいって、小説らしい小説を読みたい読者を取り込めない。どうしてこのように、世界を狭く限られるんですか?
――それはぼくも認めますよ。もう放棄したけれど、この間までずっと準備してきた小説は、六十年以上前に五十歳で死んだ父親を書こうとしていた。そしてこれは書き上げることができないと観念して、今きみのいったことと同じことを考えた。自分はどうしてこういう隘路に入り込んだか、と・・・。そしてすぐにね、このような書き方でなければ、書くこと自体を持続できなかった、つまり自分を狭く限るほかなかったんだ、と思い当ってね。
――・・・しかし、この書棚だけを見ても、あなたは広い人じゃないですか?
そうだ、大江を読むのを止めてしまったのは、新しい小説のページを開くたびに、同じような登場人物たちが、なんだか四国の山奥の伝説と呼ぶべきものを基にして、物語を展開していく・・、そんなことが繰り返されるのを何度か読むうちに、「またか・・」と先を読む気が萎えてしまったからだった。「もういいか・・」と、投げ出した本に埃がかぶるに任せていたが、それでも新しい小説が出るたびに、半ば義務感からか、ずっと買い続けてきた・・。
だが、「アナベル・リイ」がちょうど読みやすい長さだったのが大江に戻るきっかけにはちょうど良かったようだ。さほど面白かったわけではないが、久しぶりに大江の文章にどっぷりつかることができたのが嬉しくて、この「水死」も書店で見つけたときには、読み通すつもりですぐに買ってしまった。ただ、年末から読み始めたものの、なかなか時間がとれず、ついには大江の75歳の誕生日を過ぎた頃になってやっと読み終えることができたのだが・・。
面白くなかったわけではない。虚実ないまぜになった内容からも、大江健三郎とその家族の近況がうかがえ、また、50年以上にわたる小説家としての足跡を大江自身が振り返りながら書き進めているようで、まさに「最後の仕事」と呼ぶにふさわしい内容となっている。
だが、400ページにもわたって語り続けてきた小説を、なぜ最後のわずか6ページであっという間に終わらせてしまったのだろう。最初に読んだ時は、あまりの唐突さに驚いてしまい、読み終わって呆然としてしまった。「大江が崩壊した・・」、思わずそんな感想さえ持ってしまった。しかし、それは私の読みが浅いからではなかったか、と一日置いて最後の10ページほどをもう一度読み直してみた。すると、最初の時とは違って、文章に何も破綻は見られず、書き急いでいるようにも見えなかった。ならば、私が結末を急ぐあまり慌てて読んでしまったのだろうか。そこでもう一度だけ読み直してみた。う~~ん、どうしてこんな終わり方にしたのだろう・・、結局よくわからなかった。
私としては、もうちょっと紙数を尽くして語ってくれたなら、どんな展開になったとしても、今の結末よりも納得がいったように思う。まさかページ制限があったわけでもないだろうし・・。どうしても納得できないし、残念な気もする・・。
その答えを何とこの「水死」という小説の中で、大江自身が教えてくれたのには驚いた。それは、P.351で、唐突に登場した桂という男が語っている・・。
――それはその通り。これ(「臈たしアナベル・リイ」)は長江さん(大江と思しき語り手)としての本格小説ではある。文体にしても構造にしてもさ。しかし、この十年、十五年、長江さんのすべての長編がこの調子じゃないの、ウナイコ?基本的には語り手=副主人公が・・・時には主人公である人物すらが・・・みな作家自身に重ねてある。それはやりすぎじゃないの?小説らしい小説と受けとめられるだろうか?一般的にいって、小説らしい小説を読みたい読者を取り込めない。どうしてこのように、世界を狭く限られるんですか?
――それはぼくも認めますよ。もう放棄したけれど、この間までずっと準備してきた小説は、六十年以上前に五十歳で死んだ父親を書こうとしていた。そしてこれは書き上げることができないと観念して、今きみのいったことと同じことを考えた。自分はどうしてこういう隘路に入り込んだか、と・・・。そしてすぐにね、このような書き方でなければ、書くこと自体を持続できなかった、つまり自分を狭く限るほかなかったんだ、と思い当ってね。
――・・・しかし、この書棚だけを見ても、あなたは広い人じゃないですか?
そうだ、大江を読むのを止めてしまったのは、新しい小説のページを開くたびに、同じような登場人物たちが、なんだか四国の山奥の伝説と呼ぶべきものを基にして、物語を展開していく・・、そんなことが繰り返されるのを何度か読むうちに、「またか・・」と先を読む気が萎えてしまったからだった。「もういいか・・」と、投げ出した本に埃がかぶるに任せていたが、それでも新しい小説が出るたびに、半ば義務感からか、ずっと買い続けてきた・・。
だが、「アナベル・リイ」がちょうど読みやすい長さだったのが大江に戻るきっかけにはちょうど良かったようだ。さほど面白かったわけではないが、久しぶりに大江の文章にどっぷりつかることができたのが嬉しくて、この「水死」も書店で見つけたときには、読み通すつもりですぐに買ってしまった。ただ、年末から読み始めたものの、なかなか時間がとれず、ついには大江の75歳の誕生日を過ぎた頃になってやっと読み終えることができたのだが・・。
面白くなかったわけではない。虚実ないまぜになった内容からも、大江健三郎とその家族の近況がうかがえ、また、50年以上にわたる小説家としての足跡を大江自身が振り返りながら書き進めているようで、まさに「最後の仕事」と呼ぶにふさわしい内容となっている。
だが、400ページにもわたって語り続けてきた小説を、なぜ最後のわずか6ページであっという間に終わらせてしまったのだろう。最初に読んだ時は、あまりの唐突さに驚いてしまい、読み終わって呆然としてしまった。「大江が崩壊した・・」、思わずそんな感想さえ持ってしまった。しかし、それは私の読みが浅いからではなかったか、と一日置いて最後の10ページほどをもう一度読み直してみた。すると、最初の時とは違って、文章に何も破綻は見られず、書き急いでいるようにも見えなかった。ならば、私が結末を急ぐあまり慌てて読んでしまったのだろうか。そこでもう一度だけ読み直してみた。う~~ん、どうしてこんな終わり方にしたのだろう・・、結局よくわからなかった。
私としては、もうちょっと紙数を尽くして語ってくれたなら、どんな展開になったとしても、今の結末よりも納得がいったように思う。まさかページ制限があったわけでもないだろうし・・。どうしても納得できないし、残念な気もする・・。
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朝青龍の引退
2010 2/4 15:10
横綱・朝青龍 引退の意向表明
NHKからの速報メールを見たとき私の頭にすぐに浮かんだのは、「で、朝潮はどうなる?」という疑問だった。
朝青龍が引退するのは、己の体面を保つためのギリギリの選択であり、些かなりとも潔さを演出できたのではないかと思う。だが、私にとってそんなことはどうでもいい。ただただ朝潮が長きにわたり青龍の暴走を許してしまったことに対する「親方」としての責任をどうとるのか?それだけが喫緊の問題なのだ。だが、あろうことか朝潮は、記者会見の冒頭で、
「本日をもちまして横綱朝青龍が引退を表明しました」
と報告しただけで、どこか他人事の雰囲気だったという。
「どんな弟子だったか」と質問されても、
「こんな弟子です。このまんま」
などとバカにしたような答えをしたというのを読んで、「だからお前はダメなんだ!!」と怒鳴ってやりたくなった。
朝潮さえ親方としてちゃんとしていたら、朝青龍もこんな形で引退に追い込まれるなんてことはなかっただろう。
「詰襟を着て、当時の若松部屋に入ってきたことを思い出す」とも会見で語ったなら、その初期段階でしっかりと「相撲の何たるか」を、日本の文化と習慣とともに徹底的に教え込んでいたなら、「横綱の品格」などという曖昧模糊なものの欠如を問責されるようなこともなかっただろう。教えられていないものは身に付けようもない・・。
私は、朝青龍が横綱としてとどまるためのウルトラC級の荒技は、朝潮が親方としての監督不行き届きを理由に親方を引退し、朝青龍の身柄を理事長直属のものとし、常に厳しい目で監督してもらう、そんなことくらいしかないだろうな、と荒唐無稽なことを夢想していた。が、同時に、朝潮にそこまでして朝青龍を庇おうという親心などないだろうな、とも思っていた。なにせ、朝青龍問題で世間が騒然としている中、節分にどこかの神社の境内で豆まきをしていた映像がTVで流れたくらいだから・・。まったくもって鈍感な男であると断じてもいいだろう。
朝青龍の不幸は、朝潮を親方に持ったことに尽きる!!。
しかし、朝潮には何のお咎めもないまま、一件落着してしまうのだろうか。それでは、秘書が3人も起訴されながら、己が不起訴となったことで、幹事長続投を当然のこととした小沢一郎と同じ穴のムジナとなってしまう。トカゲのしっぽ切りのように、己の責任にはほっかむりをしていけしゃあしゃあと逃げ延びる、そんなことがまかり通るなら、あまりに世間を舐めているし、傍若無人すぎる。
2010 2/4 17:51
民主党・小沢幹事長を不起訴 政治資金事件で東京地検
こんなニュースはわざわざ速達で届けてくれなくてもよかったのに・・。
横綱・朝青龍 引退の意向表明
NHKからの速報メールを見たとき私の頭にすぐに浮かんだのは、「で、朝潮はどうなる?」という疑問だった。
朝青龍が引退するのは、己の体面を保つためのギリギリの選択であり、些かなりとも潔さを演出できたのではないかと思う。だが、私にとってそんなことはどうでもいい。ただただ朝潮が長きにわたり青龍の暴走を許してしまったことに対する「親方」としての責任をどうとるのか?それだけが喫緊の問題なのだ。だが、あろうことか朝潮は、記者会見の冒頭で、
「本日をもちまして横綱朝青龍が引退を表明しました」
と報告しただけで、どこか他人事の雰囲気だったという。
「どんな弟子だったか」と質問されても、
「こんな弟子です。このまんま」
などとバカにしたような答えをしたというのを読んで、「だからお前はダメなんだ!!」と怒鳴ってやりたくなった。
朝潮さえ親方としてちゃんとしていたら、朝青龍もこんな形で引退に追い込まれるなんてことはなかっただろう。
「詰襟を着て、当時の若松部屋に入ってきたことを思い出す」とも会見で語ったなら、その初期段階でしっかりと「相撲の何たるか」を、日本の文化と習慣とともに徹底的に教え込んでいたなら、「横綱の品格」などという曖昧模糊なものの欠如を問責されるようなこともなかっただろう。教えられていないものは身に付けようもない・・。
私は、朝青龍が横綱としてとどまるためのウルトラC級の荒技は、朝潮が親方としての監督不行き届きを理由に親方を引退し、朝青龍の身柄を理事長直属のものとし、常に厳しい目で監督してもらう、そんなことくらいしかないだろうな、と荒唐無稽なことを夢想していた。が、同時に、朝潮にそこまでして朝青龍を庇おうという親心などないだろうな、とも思っていた。なにせ、朝青龍問題で世間が騒然としている中、節分にどこかの神社の境内で豆まきをしていた映像がTVで流れたくらいだから・・。まったくもって鈍感な男であると断じてもいいだろう。
朝青龍の不幸は、朝潮を親方に持ったことに尽きる!!。
しかし、朝潮には何のお咎めもないまま、一件落着してしまうのだろうか。それでは、秘書が3人も起訴されながら、己が不起訴となったことで、幹事長続投を当然のこととした小沢一郎と同じ穴のムジナとなってしまう。トカゲのしっぽ切りのように、己の責任にはほっかむりをしていけしゃあしゃあと逃げ延びる、そんなことがまかり通るなら、あまりに世間を舐めているし、傍若無人すぎる。
2010 2/4 17:51
民主党・小沢幹事長を不起訴 政治資金事件で東京地検
こんなニュースはわざわざ速達で届けてくれなくてもよかったのに・・。
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恵方巻
一顧 節分と言うより、「恵方巻を食べる日」と言った方がいいような気がするほど、恵方巻が世の中を席巻している。誰が広めたのか知らないが、特定できたらその人はスーパーやコンビニから間違いなく表彰されるだろう。
昨日のスーパーは本当にすごかった。全店挙げて恵方巻を売っていた。
しかし、妻は大量に並んだ太巻き寿司に一顧だにしなかった。なぜなら朝早く伯母から「巻き寿司を作るから買わなくてもいいよ」と電話が入っていたからだ。ここ何年か伯母が作ってくれたものをもらってくるのだが、今年ももらえると知った妻は安堵していた。「伯母さんの太巻きは美味しいから」
昼過ぎに頃合いを見計らって伯母の家に行った。
「いただきに来ました」
そんな挨拶をしながら入って行った伯母の家のテーブルにはぎっしり太巻き寿司が並んでいた。
壮観だ!
「昨日から準備して、朝からずっと作っていたから、もう疲れた。来年はとても作れないよ」
などと言いながらも、伯母が嬉しそうな顔をしているから、
「何言ってるの。来年も再来年も作ってもらわなきゃ困るよ」
と私も励ましとも労いともつかない軽口を言ってしまった。本当にいつまでも元気でいてほしい。
「1、2、3・・」
と並べられた太巻きを数えていったら、何と36本もあった!!
これを一人で作ったのか・・、信じられない・・。思わずため息が出てしまったが、寅年生まれの伯母は今年は年女、84才になるというのにこのパワーはいったいどこから来るのだろう?作った太巻きは娘や孫たち、さらには我が家をはじめとした近隣に住む親戚に配るつもりだから、きっと皆が喜ぶ顔が見たい、その一心で作ったのだろう。その思いの深さには自然頭が下がった。などと立派なことを言っても、白米を食べない私では伯母の作った太巻きを口にすることはないのだが・・。
だが、私も恵方巻は食べた。妻が私用に作ってくれた玄米を使った太巻き。
今年の恵方、西南西を向きながら黙々と食べてみた。その際一つの疑問がわいた。果たして恵方を向いて太巻きを食べるだけでご利益があるのだろうか。神社で参拝する時でも、何か願い事を唱えながら手を合わせるものだから、恵方巻を食べる時も願い事を心に浮かべたほういいのではないか・・。そうしたことはどこにも書いてないので、誰か詳しい人が教えてくれるといいのだが・・。
昨日のスーパーは本当にすごかった。全店挙げて恵方巻を売っていた。
しかし、妻は大量に並んだ太巻き寿司に一顧だにしなかった。なぜなら朝早く伯母から「巻き寿司を作るから買わなくてもいいよ」と電話が入っていたからだ。ここ何年か伯母が作ってくれたものをもらってくるのだが、今年ももらえると知った妻は安堵していた。「伯母さんの太巻きは美味しいから」
昼過ぎに頃合いを見計らって伯母の家に行った。
「いただきに来ました」
そんな挨拶をしながら入って行った伯母の家のテーブルにはぎっしり太巻き寿司が並んでいた。
壮観だ!
「昨日から準備して、朝からずっと作っていたから、もう疲れた。来年はとても作れないよ」
などと言いながらも、伯母が嬉しそうな顔をしているから、
「何言ってるの。来年も再来年も作ってもらわなきゃ困るよ」
と私も励ましとも労いともつかない軽口を言ってしまった。本当にいつまでも元気でいてほしい。
「1、2、3・・」
と並べられた太巻きを数えていったら、何と36本もあった!!
これを一人で作ったのか・・、信じられない・・。思わずため息が出てしまったが、寅年生まれの伯母は今年は年女、84才になるというのにこのパワーはいったいどこから来るのだろう?作った太巻きは娘や孫たち、さらには我が家をはじめとした近隣に住む親戚に配るつもりだから、きっと皆が喜ぶ顔が見たい、その一心で作ったのだろう。その思いの深さには自然頭が下がった。などと立派なことを言っても、白米を食べない私では伯母の作った太巻きを口にすることはないのだが・・。
だが、私も恵方巻は食べた。妻が私用に作ってくれた玄米を使った太巻き。
今年の恵方、西南西を向きながら黙々と食べてみた。その際一つの疑問がわいた。果たして恵方を向いて太巻きを食べるだけでご利益があるのだろうか。神社で参拝する時でも、何か願い事を唱えながら手を合わせるものだから、恵方巻を食べる時も願い事を心に浮かべたほういいのではないか・・。そうしたことはどこにも書いてないので、誰か詳しい人が教えてくれるといいのだが・・。
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充電
私のデジカメは電池式であるため、何度も使えるよう充電式の電池を使っている。が、最近いくら充電してもすぐに電池切れのランプがつき、すぐに使えなくなってしまう。充電式の電池にも寿命があるのかな、と当たり前のことに初めて気づいた。充電式の電池ならば充電しさえすれば半永久的に使えるもののように思っていただけに、軽いショックを受けた。ならば、新しい電池をすぐに買いに行けばいいものを、変にケチって使えるだけ使ってやろうと貧乏くさいことを思ってしまい、「すぐに電池が切れる!!」と文句を言いながらも、だましだまし使ってきた。だが、充電したばかりの電池をカメラにセットした瞬間に電池切れのランプがつくようになってはもうお終いだ。いくらなんでもこれ以上は無理だ、と諦めて新しい充電式電池を買いに行った。
パナソニックのエボルタ、充電式で1200回も使えるという!!。それはちょっと大袈裟だろうが、4本もあればかなり長持ちしそうだ。「じゃあ」と、お金を払おうとしたら、店員さんが、「ポイントがたまっていますからポイントで買えますよ」と教えてくれた。それなら、とポイントを使って買ったのだが、こんなことならもっと早く来ればよかった、と己の貧乏性を棚に上げて、虫のいいことを思った・・。
しかし、今の私にはすぐに電池切れを起こすものがもう一つある。携帯電話だ。今までと比べれば長い間使って来たものだが、そろそろ電池パックに寿命が近づいているようだ。何年か前に一度電池は新しいものと無料で交換してもらったから、もう今度はそんな便宜は図ってくれないだろう。それならいっそのこと新しい機種に交換しようか、などとすぐに思ってしまうのが私のいけないところだ。昔のように0円で機種変更ができるなんてことは、今はないらしいから、新しい機種に変えるにはかなりの額の出費を覚悟しなければならない。一番最初に「東海デジタルフォン」を買ったとき以外には、携帯にそんなお金をつぎ込んだことのない私なので、なんとか安く機種変更をしたい。そのためにはまずは敵情視察することが肝心だろう、とショッピングセンター内にある携帯電話ショップを覗いてみた。すると・・、
おお!0円だ!!まだまだ0円もあるじゃないか!!でも、「МNP」って何だ?・・・店員さんに聞くのも面倒だったので、その場で検索してみた。
『携帯電話番号ポータビリティ (MNP=Mobile Number Portability) とは、電話番号を変えずに、携帯電話会社を変更できるサービスです。自分が今使っている番号のままで、他社のケータイがご利用できるサービスです。ただ、メールアドレスの変更が必要になり、割引やサービスが引き継げないなどの欠点もあります』
なるほど・・。今の私の携帯はドコモなので、例えばソフトバンクに変わろうとするなら、このサービスが利用できるのか・・。電話会社も契約者を増やすため、あの手この手を考え出すものだな、と感心したが、今の私にはドコモから他社へ乗り換える必要性は全くない。どうせなら家族全員乗り換えるべきだろうが、そんな面倒なことは誰も了承しないだろう。折角だが、この0円は私には無縁のものらしい・・。
近いうちにドコモショップに出かけて、何かいい方法はないか、尋ねてみることにしよう。(ないよな、そんないい話・・)
パナソニックのエボルタ、充電式で1200回も使えるという!!。それはちょっと大袈裟だろうが、4本もあればかなり長持ちしそうだ。「じゃあ」と、お金を払おうとしたら、店員さんが、「ポイントがたまっていますからポイントで買えますよ」と教えてくれた。それなら、とポイントを使って買ったのだが、こんなことならもっと早く来ればよかった、と己の貧乏性を棚に上げて、虫のいいことを思った・・。
しかし、今の私にはすぐに電池切れを起こすものがもう一つある。携帯電話だ。今までと比べれば長い間使って来たものだが、そろそろ電池パックに寿命が近づいているようだ。何年か前に一度電池は新しいものと無料で交換してもらったから、もう今度はそんな便宜は図ってくれないだろう。それならいっそのこと新しい機種に交換しようか、などとすぐに思ってしまうのが私のいけないところだ。昔のように0円で機種変更ができるなんてことは、今はないらしいから、新しい機種に変えるにはかなりの額の出費を覚悟しなければならない。一番最初に「東海デジタルフォン」を買ったとき以外には、携帯にそんなお金をつぎ込んだことのない私なので、なんとか安く機種変更をしたい。そのためにはまずは敵情視察することが肝心だろう、とショッピングセンター内にある携帯電話ショップを覗いてみた。すると・・、
おお!0円だ!!まだまだ0円もあるじゃないか!!でも、「МNP」って何だ?・・・店員さんに聞くのも面倒だったので、その場で検索してみた。
『携帯電話番号ポータビリティ (MNP=Mobile Number Portability) とは、電話番号を変えずに、携帯電話会社を変更できるサービスです。自分が今使っている番号のままで、他社のケータイがご利用できるサービスです。ただ、メールアドレスの変更が必要になり、割引やサービスが引き継げないなどの欠点もあります』
なるほど・・。今の私の携帯はドコモなので、例えばソフトバンクに変わろうとするなら、このサービスが利用できるのか・・。電話会社も契約者を増やすため、あの手この手を考え出すものだな、と感心したが、今の私にはドコモから他社へ乗り換える必要性は全くない。どうせなら家族全員乗り換えるべきだろうが、そんな面倒なことは誰も了承しないだろう。折角だが、この0円は私には無縁のものらしい・・。
近いうちにドコモショップに出かけて、何かいい方法はないか、尋ねてみることにしよう。(ないよな、そんないい話・・)
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貴乃花
2010/2/1 14:20 NHKニュース速報
貴乃花親方 理事に当選 日本相撲協会理事選挙
予想だにしていなかったので、このメールを読んだ時は思わず鳥肌がたった。
「すごい!」
驚いたのは、7票しか集まらないという下馬評に反して、貴乃花が10票も獲得したことだ。すなわち3人もの「造反者」が出たことになる。ガチガチの出来レースと見られていたものの、立会人が記入場所から10メートル以上離れたところで投票を見守ったり、投票用紙は立候補者の名前の上に「〇」をつける方法に改善されたりしたため、協会改革を望む若手評議員らが、思い切って貴乃花に投票できた結果だろう。これまでの理事選と比べかなりクリーンなイメージが打ち出されただけでも、この結果は相撲協会にとっては良かったように思う。
理事選後の記者会見では、
「評議員の親方たちに、選んでいただいて重圧を感じております。武蔵川理事長の下、与えられた職責を全うしていきたいと思います」
と神妙な面持ちで語ったと言われるが、折しも横綱朝青龍の暴行騒動問題で揺れる大相撲の現状を鑑みれば、身も引き締まる思いであるのは当然だとも言えよう。
しかし、朝青龍の傍若無人さが報道されるたびに、またあの朝潮の間抜け面を拝まねばならないのかと思って、暗澹たる気持ちになる。朝青龍が横綱にふさわしい器かどうかなどを云々するよりも、今日の朝青龍を作り上げてしまった親方・朝潮を論難すべきではないだろうか。理事会は朝青龍の問題に関する調査委員会の設置も決定したというが、朝青龍から暴行を受けた被害男性との間で示談が成立したとの同意書を提出するとしていた、朝潮は理事会に姿を現さなかったという。いったい彼は事の重大さを本当に分かっているだろうか。朝青龍が何か問題を起こすたびに相撲協会の対応の手ぬるさがやり玉に挙がり、相撲ファンがどんどん少なくなっていることをどうして憂慮しないのだろう。あまりに感覚が鈍すぎる。朝青龍ともども角界から引退するよう勧告できないものだろうか・・。
再任された武蔵川理事長は「不祥事が続いた。起きてはいけないことが起きて、協会として責任を感じている」と語ったそうだが、親方の指示による弟子暴行致死事件、大麻吸引事件など、負のイメージが払拭されないうちに、またぞろ朝青龍の暴行事件、もう相撲を見る気など失せてしまいそうだ。
そんなときに降って湧いたような貴乃花の理事当選、武蔵川理事長は「新しい風が理事会に入った」と期待しているようだが、それはいささかなりとも相撲を愛する者には共通の思いではないだろうか。
ただ、問題なのは、貴乃花がこれから相撲協会をどう改革していきたいのかが、まだはっきりしていないことだ。初場所中日にNHKの相撲解説としてゲスト出演したのを見ていたが、落ち着いた語り口をしようと意識するあまり、(女子アナだった奥さんからの薫陶なのかな・・)発言内容がイマイチ不明瞭で、残念ながら何が言いたいのかはっきり伝わってこなかった。彼の言葉からは熱意があまり感じられず、どことなく人間味が薄いと思ってしまうのは私だけだろうか・・。
私は元来相撲ファンだが、昨今はあまりに土俵外のトラブルが多すぎる。貴乃花の理事当選が相撲協会の体質改善への引き金となってくれればいいのだが・・。
貴乃花親方 理事に当選 日本相撲協会理事選挙
予想だにしていなかったので、このメールを読んだ時は思わず鳥肌がたった。
「すごい!」
驚いたのは、7票しか集まらないという下馬評に反して、貴乃花が10票も獲得したことだ。すなわち3人もの「造反者」が出たことになる。ガチガチの出来レースと見られていたものの、立会人が記入場所から10メートル以上離れたところで投票を見守ったり、投票用紙は立候補者の名前の上に「〇」をつける方法に改善されたりしたため、協会改革を望む若手評議員らが、思い切って貴乃花に投票できた結果だろう。これまでの理事選と比べかなりクリーンなイメージが打ち出されただけでも、この結果は相撲協会にとっては良かったように思う。
理事選後の記者会見では、
「評議員の親方たちに、選んでいただいて重圧を感じております。武蔵川理事長の下、与えられた職責を全うしていきたいと思います」
と神妙な面持ちで語ったと言われるが、折しも横綱朝青龍の暴行騒動問題で揺れる大相撲の現状を鑑みれば、身も引き締まる思いであるのは当然だとも言えよう。
しかし、朝青龍の傍若無人さが報道されるたびに、またあの朝潮の間抜け面を拝まねばならないのかと思って、暗澹たる気持ちになる。朝青龍が横綱にふさわしい器かどうかなどを云々するよりも、今日の朝青龍を作り上げてしまった親方・朝潮を論難すべきではないだろうか。理事会は朝青龍の問題に関する調査委員会の設置も決定したというが、朝青龍から暴行を受けた被害男性との間で示談が成立したとの同意書を提出するとしていた、朝潮は理事会に姿を現さなかったという。いったい彼は事の重大さを本当に分かっているだろうか。朝青龍が何か問題を起こすたびに相撲協会の対応の手ぬるさがやり玉に挙がり、相撲ファンがどんどん少なくなっていることをどうして憂慮しないのだろう。あまりに感覚が鈍すぎる。朝青龍ともども角界から引退するよう勧告できないものだろうか・・。
再任された武蔵川理事長は「不祥事が続いた。起きてはいけないことが起きて、協会として責任を感じている」と語ったそうだが、親方の指示による弟子暴行致死事件、大麻吸引事件など、負のイメージが払拭されないうちに、またぞろ朝青龍の暴行事件、もう相撲を見る気など失せてしまいそうだ。
そんなときに降って湧いたような貴乃花の理事当選、武蔵川理事長は「新しい風が理事会に入った」と期待しているようだが、それはいささかなりとも相撲を愛する者には共通の思いではないだろうか。
ただ、問題なのは、貴乃花がこれから相撲協会をどう改革していきたいのかが、まだはっきりしていないことだ。初場所中日にNHKの相撲解説としてゲスト出演したのを見ていたが、落ち着いた語り口をしようと意識するあまり、(女子アナだった奥さんからの薫陶なのかな・・)発言内容がイマイチ不明瞭で、残念ながら何が言いたいのかはっきり伝わってこなかった。彼の言葉からは熱意があまり感じられず、どことなく人間味が薄いと思ってしまうのは私だけだろうか・・。
私は元来相撲ファンだが、昨今はあまりに土俵外のトラブルが多すぎる。貴乃花の理事当選が相撲協会の体質改善への引き金となってくれればいいのだが・・。
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日曜日の過ごし方
あっという間に時間が過ぎる。どうしてこんなに時間が過ぎるのが早いんだろう・・。
受験シーズンが始まった今、日曜日なんてあってないようなものだが、それでも3時過ぎからはフリータイムとなる。だからと言ってそんな時間からどこかに出かけるわけにもいかず、グダグダしているとすぐに暗くなり、あとはただただ酔っ払うのみだ。それでいいと言えば言えるのかもしれないが、空しさを感じないわけにはいかない。あと少し頑張ったら、朗報とともに自由な時間が戻ってくる、それだけを楽しみに疲れた体と心に鞭打っているのだが、年々力が衰えているのを感じてしまうのも悲しい・・。
そんな今の私にとって、太郎がいてくれるのが萎えそうな心を支える一助となっているように思う。我が家にやって来たころと比べればかなり大きくなって、家の中だけでは間が持たなくなってしまった太郎は、夜眠る時以外は大半を庭で過ごすようになったが、人懐っこさは相変わらずで、人が近づけば誰にでもまとわりつく。このままでは番犬として役に立たないようにも思うが、体は大きくなったとはいえ、まだまだ幼犬だからしばらくは仕方ないのだろう。
昨日は暗くなった後、妻と二人でしばらく外で遊んでやった。
けっして溺愛しているつもりはないし、一日も早く番犬として役に立つようになって欲しいと思っているが、可愛いものは可愛い。色んな所をごそごそ動き回っているので、白い毛並みが薄汚れてきた。背中の黒いすじは探検家の印だ・・。
弁慶ができた「お手!」と「お座り!」くらいは教えてやろうと、少しずつ訓練を始めたものの、一朝一夕で身につくはずもなく、毎日繰り返し教えていかねばならない。それと、「待て!」も・・。
昨夜は1月の終わりにしては妙に暖かかった。太郎と遊んでいても寒さを感じなかったからついつい長い時間遊んでしまった。日中も曇天の割には暖かだったせいで、太郎もかなりリラックスしてこんなポーズを見せてくれた。(携帯で撮ったので焦点が・・)
子供が手を離れた中年夫婦がペットに愛情を注ぐ、といったお決まりのパターンにはなりたくないと思ってはいるが、それもなかなか難しいようで・・。
だけど、犬は犬だから・・。
受験シーズンが始まった今、日曜日なんてあってないようなものだが、それでも3時過ぎからはフリータイムとなる。だからと言ってそんな時間からどこかに出かけるわけにもいかず、グダグダしているとすぐに暗くなり、あとはただただ酔っ払うのみだ。それでいいと言えば言えるのかもしれないが、空しさを感じないわけにはいかない。あと少し頑張ったら、朗報とともに自由な時間が戻ってくる、それだけを楽しみに疲れた体と心に鞭打っているのだが、年々力が衰えているのを感じてしまうのも悲しい・・。
そんな今の私にとって、太郎がいてくれるのが萎えそうな心を支える一助となっているように思う。我が家にやって来たころと比べればかなり大きくなって、家の中だけでは間が持たなくなってしまった太郎は、夜眠る時以外は大半を庭で過ごすようになったが、人懐っこさは相変わらずで、人が近づけば誰にでもまとわりつく。このままでは番犬として役に立たないようにも思うが、体は大きくなったとはいえ、まだまだ幼犬だからしばらくは仕方ないのだろう。
昨日は暗くなった後、妻と二人でしばらく外で遊んでやった。
けっして溺愛しているつもりはないし、一日も早く番犬として役に立つようになって欲しいと思っているが、可愛いものは可愛い。色んな所をごそごそ動き回っているので、白い毛並みが薄汚れてきた。背中の黒いすじは探検家の印だ・・。
弁慶ができた「お手!」と「お座り!」くらいは教えてやろうと、少しずつ訓練を始めたものの、一朝一夕で身につくはずもなく、毎日繰り返し教えていかねばならない。それと、「待て!」も・・。
昨夜は1月の終わりにしては妙に暖かかった。太郎と遊んでいても寒さを感じなかったからついつい長い時間遊んでしまった。日中も曇天の割には暖かだったせいで、太郎もかなりリラックスしてこんなポーズを見せてくれた。(携帯で撮ったので焦点が・・)
子供が手を離れた中年夫婦がペットに愛情を注ぐ、といったお決まりのパターンにはなりたくないと思ってはいるが、それもなかなか難しいようで・・。
だけど、犬は犬だから・・。
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