じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

千野帽子編「オリンピック」

2021-08-07 11:15:08 | Weblog
★ 2020(+1)年東京オリンピックはいよいよ終盤。感染爆発の中で、何とかやり切ったというところか。終わったら終わったで問題山積だろうが。

★ さてそんな折、千野帽子編「オリンピック」(角川文庫)を足早に読んだ。オリンピックをテーマにしたアンソロジー。

★ 皮切りは三島由紀夫の「東京五輪観戦記」(もちろん1964年の東京五輪)。私はまだ幼かったが、後の記録映画などでその様子を追体験した。三島が書いているような国家をあげての高揚感。確かにあのオリンピックにはあった。敗戦からの復興。高度経済成長。開会式の青空、飛び立つ鳩。色彩豊かに思い出される。

★ 続いて、中野好夫の「明るく朗らかな運動会」。これは東京五輪(1964年)の後に開催されたパラリンピックの「印象記」だ。パラリンピックは1960年のローマ大会が第1回とされている。今年の大会はどうなるのだろうか。

★ 沢木耕太郎「冠(コロナ) 廃墟の光」。ノンフィクションの旗手によるアトランタオリンピック(1996年)のルポだ。この大会で印象深いのは爆破テロで、すでに9・11の伏線があったのだろうか。冠(コロナ)はもちろんコロナウイルスではない。

★ 田中英光「オリンポスの果実」。作者がボート競技に参加した1932年のロサンゼルスオリンピックが描かれている。戦前の「オリムピック」の雰囲気が伝わってくる。

★ 山際淳司「たった一人のオリンピック」。1980年のモスクワオリンピックはソ連のアフガン侵攻により日本を含む西側諸国がボイコットした大会。政治とスポーツは切り離せないようだ。瀬古選手や宗兄弟のマラソン、見たかったなぁ。

★ 筒井康隆さんの「走る男」は先日読んだ。オリンピックが衰退した近未来の物語。小川洋子さんの「ハモニカ兎」は見知らぬスポーツに出会った人々の戸惑いが描かれていた。今年のオリンピックも新種目が増えて、スケートボードやスポーツクライミング、空手など、僅差の判定などよくわからなかったなぁ。

★ 政治とスポーツ、ロサンゼルス大会(1984年)以降は経済とスポーツ。かつてのアマチュアリズムはもはや影を潜め、興行的意味合いが大きくなっているようだ。オリンピックもいろいろあった。そしてこれからも変わり続けるのだろうか。1000年以上も続いたと言われる古代オリンピックは結局、政治的、宗教的原因で廃れてしまったという。継続することがなお一層難しい時代になるかもしれない。

★ 千野帽子さんによる「あとがき」も役に立つ。近代オリンピック創設に尽力したクーベルタン男爵の言葉。「参加することに意義がある」は間違いで「人生で大事なこと、それは勝利ではなく闘いだ。肝要なのは勝ったことではなくて、よく闘ったことなのだ」が正しいという。人生もまた同じか。

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司馬遷「史記」より「四面楚歌」

2021-08-04 20:53:55 | Weblog
★ 感染爆発に歯止めがかからず、政府は中等症(酸素吸入が必要)でも自宅療養の方針を打ち出した。早速、野党のみならず与党からも(衆院選に向けてのポーズかも)批判が噴出。撤回を迫るが、菅総理は方針を取り下げる気はないらしい。

★ 田村厚労大臣は「フェーズが変わった」「平時ではない」をくり返すが、相変わらずの「先手先手」の発言が虚しい。どう見ても「後手後手だ」。最近の政治を見ていて思うのは、政府高官(官房長官や副官房長官)や官邸官僚の暴走だ。自宅療養のサポート体制がないままにどうして、軽々しく「自宅療養」などと言えるのか。家庭内感染はどうするのか。自助、自己責任と見捨てるのか。

★ ともかく、菅内閣は四面楚歌。ということで、司馬遷の「史記」から「四面楚歌」を読み直してみた。

★ 秦の始皇帝の死後、各地で反乱が起こった。中でも、楚の項羽と漢の劉邦(沛公)が有力。両者は函谷関で待ち合わせ共に秦の都・咸陽を落とすことになっていたが、先に着いた劉邦が咸陽を落とし、関所を封鎖してしまった。更に、自ら覇権を握ろうとしていた。これに「項羽は大いに怒って」、関を攻め破る。一気に劉邦を討とうするが、仲を取り持つ人がいて、劉邦は和解の席に臨む。これが「鴻門之会」。

★ 劉邦は「鴻門之会」で命に危機に瀕しながら、危うく難を逃れた。それから4年。悪政で民心の離れた項羽軍を劉邦軍が包囲する。兵は少なくなり食糧も尽きようとする項羽軍。夜、劉邦の漢軍から楚の歌が聞こえてくる。楚はもはや漢に占領されたのか。形勢利あらずと悟った項羽は別れの宴席を設ける。

★ そしていよいよ、最後の戦いに臨み、項羽は自ら首をはねて死ぬ。

★ 宿場役人が項羽に、かつて決起した地を目指し一人逃れるよう勧める場面。しかし項羽は笑ってこれを拒む。自ら率いた若者はもはや一人も残っていない。彼らの父兄に面目ない。彼らが仮に何も言わなくとも、私は自分の心に愧じると。

★ どの場面もドラマチックだ。さすが司馬遷だ。
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冲方丁「バイシクル」

2021-08-03 19:34:01 | Weblog
★ 集英社文庫編集部編「短編復活」(集英社文庫)から赤川次郎さんの「回想電車」を読んだ。寒い季節。クリスマスパーティーか忘年会からの帰りであろうか、酔い客でにぎわう電車。主人公の男はその座席に座り、何の気なしに人々を観察していた。

★ そんなとき、男の所に元カノや元同僚や(男が機転を利かせて誘拐事件から助けた)少女が次々とやってきて声をかける。男はその都度、回想に浸りながら、いつしか眠りに入った。実に幸せそうな顔をして。

★ それだけなら、ハッピーエンドなのだが・・・。

★ 続いて、「泣ける!ミステリー 父と子の物語」(宝島社文庫)から、冲方丁さんの「バイシクル」を読んだ。

★ わけあって子どもと頻繁に会えない父親。小学生になった我が子の自転車の練習に付き合うのが、彼の喜びだった。なかなかうまく自転車をコントロールできない息子。それを根気よく見守る父親。ここまでは心温まる父と息子の光景。厳めしい警察官が現れるまでは。

★ 昔「イルカの日」という映画があった。イルカを兵器に使うという内容で、切ないテーマ曲が印象に残っている。イルカでさえ心が震えるのに・・・。

★ ドラマ「シェフは名探偵」は第9話(最終回)。三舟シェフが遂に父親と再会。泣けるねぇ。
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森鷗外「百物語」

2021-08-02 19:17:27 | Weblog
★ エアコンなどなかった時代、人々は趣向を凝らして暑さをしのいでいたようだ。怪談話もその一つ。うまい話者が話すと、背筋がゾクゾクする(今の時代で言うと稲川淳二さんあたりか)。

★ 森鷗外の「百物語」(日本文学秀作選 心に残る物語「浅田次郎編 見上げれば星は天に満ちて」文春文庫所収)を読んだ。

★ 「百物語」は皆さんご存知の通り、100本のろうそくを立て、一人が話をするごとに1本ずつ消していくというもの。そして最後の1本が消えた時、漆黒の闇の中に真の化物が出るという。

★ 鷗外らしい主人公が友人に誘われて「百物語」のイベントに参加する。少々回りくどい行程を経て、会場に到着。いよいよ始まるその時に、主人公は何か嫌気がして立ち去ってしまう。

★ 怪談話よりも、鷗外の人間観察が面白い。主催者の飾磨屋(若くして富を得て、その富を道楽に使っている。生気が薄く、何かしら世の中を傍観している青年実業家)とその傍らに控える女性(その世界では有名な芸者。飾磨屋とこの女性はまるで病人と看護婦のようだと主人公は評す)を観察し、分析する。

★ そして飾磨屋が自分と同じ「傍観者」として生きている姿を感じる。

★ 明治44年の作品というから現代人からすると少々わかりにくいところがある。急に外来語が飛び出すところはインテリの悪い癖か。鷗外の「百物語」を現代的に味わいたければ、森見登美彦さんの「新釈 走れメロス」(角川文庫)に収められている「百物語」が参考になる。

★ 京都を舞台に学生の主人公が友人に誘われて、ある劇団主催の「百物語」に参加するというもの。鷗外の飾磨屋は謎の劇団主宰者・鹿島として描かれている。森見風アレンジが面白い。
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中島敦「牛人」

2021-08-01 15:06:09 | Weblog
★ コロナウイルスの新規感染者数(確認された数)が東京で4000人を超えた。全国では1万2000人。数字が大きくなるにつれて、危機感が麻痺していく。政府や知事は危機を訴えるが、その一方で東京ではオリンピックが真っ盛り、大阪では高校野球地方大会の決勝戦に多くの観客が詰めかけている。もはや、「なるようになれ」とやけっぱちの心境か。

★ 緊急事態宣言がまったく無意味になりつつある中、さて、政府はどうメッセージを発するか。「特別」「超」などと屋上屋をつけるのか(それもすぐに化けの皮が剝がれそう)。自民党が好きそうな憲法改正による「緊急事態条項」に走るのか。明治憲法下においても「戒厳令」(緊急勅令に基づく戒厳令相当の対応)は3回に過ぎなかったという。日比谷焼討事件、関東大震災、そして二・二六事件。前二つは暴動抑止で二・二六はクーデター阻止(あるいはクーデターに対するカウンター・クーデターの画策)が目的だった。(大江志乃夫「戒厳令」岩波新書参照)

★ 現行法においても、感染症法第33条や原子力災害対策特別措置法、災害対策基本法で交通の遮断や立ち入りの制限などジワジワと私権が制限されるようになってきたが、全面的な都市封鎖は(幸運にして)ハードルが高い。暴動でも外敵の侵略でもないしねぇ(病原体を「外敵」とするのは飛躍しすぎだし)。

★ 行政官でもないのに、暇に任せてそんなことをあれこれ考えてしまった。

★ さて、今日は中島敦の「牛人」(青空文庫)を読んだ。中国の古典を中島流に再構成したもの。魯の高官の男は乱を避けて一時隣国(斉)に身を寄せることにした。その道行の途中、ある女性と一夜の契りをかわす。男にとってはひと時の享楽にすぎず、その夜のことはすっかり忘れ、斉で妻を得て二子が生まれる。

★ そんなある日、男は金縛りのような体験をする。天井が下がり堪えがたい圧迫を感じる。どういうわけか傍らに牛のような容姿の男が立っていた。彼はこの「牛人」に助けを求め、圧迫から逃れることができた。

★ やがて自国の乱が収まり、高官の男は国に帰る。妻は男と共に行くことを拒み(愛人ができていた)、二人の息子だけが父親の所に。そんな折、一人の女がやってくる。かつて一夜の契りを結んだ娘だ。彼女は1人の息子を伴っていた。高官の子どもだという。その子の容姿がかつて夢に見た「牛人」とそっくりだった。

★ 高官の男、二人の正嫡の子、そして彼らと異母の兄弟。跡継ぎをめぐってドラマが始まる。

★ 以前、NHKの大河ドラマ「太平記」を観た。足利尊氏(高氏)と旅芸人・藤夜叉との間に後の足利直冬が生まれるが、その物語をイメージしながら読んだ。

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