宇和島市は美味しいみかんやその他の柑橘の生産地です。
美味しい柑橘の一つにデコポンがあります。
デコポンは枝に繋がっている部分が「ポン」と
盛り上がっているので直ぐに見分けがつきます。
この美味しいデコポンが間もなく収穫の時期に入ります。
今日は美味しい柑橘・デコポンと甘い香りを放つ蝋梅の花を紹介致します。
美味しい「柑橘・デコポン」
庭に咲いている「甘い香りを放つ蝋梅の花」
宇和島市は美味しいみかんやその他の柑橘の生産地です。
美味しい柑橘の一つにデコポンがあります。
デコポンは枝に繋がっている部分が「ポン」と
盛り上がっているので直ぐに見分けがつきます。
この美味しいデコポンが間もなく収穫の時期に入ります。
今日は美味しい柑橘・デコポンと甘い香りを放つ蝋梅の花を紹介致します。
美味しい「柑橘・デコポン」
庭に咲いている「甘い香りを放つ蝋梅の花」
イエスは迫害に直面することになる弟子たちに、全能の神エホバが顧みてくださる保証の言葉で励まし、かつ指示を与えられました。
次にイエスは、弟子たちに対する神エホバの愛ある気遣いを強調する、次の例え話しで彼らを励まされました。「すずめ二羽はわずかな価の硬貨ひとつで売っているではありませんか。それでも、あなた方の父(エホバ9の知ることなくしては、その一羽も地面に落ちません。ところが、あなた方の頭の毛までがすべて数えられているのです。それゆえ、恐れることはありません。あなた方はたくさんのすずめより価値があるのです」。
イエスが宣明するように弟子たちにお命じになった神の王国の音信は、家族を分裂させるものとなります。家族のある者はその音信を受け入れ、他の家族は受け入れないため、分かたれるのです。「私が地上に平和を投ずるために来たと考えてはなりません。平和ではなく、剣を投ずるために来たのです」と、イエスは説明されました。そのため家族のある者にとって、聖書の真理を受け入れるには真の勇気が求められます。「私に対するより父や母に対して愛情を抱く者は私(イエス)にふさわしくありません。また、私に対するより息子や娘に対して愛情を抱く者は私にふさわしくありません」と、イエスは教えられました。
イエスは、弟子たちに対するこれらの指示の最後に、弟子たちを迎える者は、ご自分おも迎えることでもあることを説明し、「弟子であるということでこれら小さな者の一人にほんの一杯の冷たい飲み水を与える者が誰であっても、あなた方に真実に言いますが、その者は自分の(神エホバからの)報いを決して失わないでしょう」と、教えられました(マタイ10:16~42)。
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ポストへの 投かん多し 2日かな 今日の一句
庭植えの「バラ」
門松をホームセンターで売っていました。
私が中学生の頃までは門松が各家庭で飾られていました。
門松をホームセンターで売ってはいますが、各家庭で飾っておられる家は
数少なくなっています。商店の方がわずかに
飾っておられる様子が見られます。
今はご自分で作られる方も少なくなり、
これも時代の変化の表われに違いありません。
今日は門松とビオラを紹介致します。
ホームセンターで売られている「門松」
ホームセンターでポット売りの「ビオラ」
2021年の新春をお迎えの
皆様方に心からお喜びを申し上げます。
本年も宜しくお願い致します。
イエスは弟子たちに神の王国のい便りを組織的に伝道するにあたり、思慮深さが求められることを強調し、迫害に遭う時は逃げるようにご指示をされました。
イエスがこうした指示や励ましを十二使徒たちにお与えになったことは確かですが、イエスはご自分が死んで復活された後、世界的な神の王国の伝道に参加する人々に対しても語っておられました。そのことは、イエスの言葉から分かります。イエスの弟子たちは、使徒たちが宣べ伝えるために遣わされたイスラエル人から憎まれるだけではなく、「全ての人から憎まれる」と、イエスが語られたからです。さらに、イエスが短い伝道旅行に使徒たちを遣わされた時、使徒たちは総督や王たちの前には引き出されなかったからです。また、その時家族によって死に渡された者はいませんでした。
それでイエスは、「人の子(イエス)が到来するまでに」弟子たちが神の王国の良い便りを宣べ伝えて回り尽くすことはない、と言われた時、栄光を受けられた王イエス・キリストがハルマゲドンにおける神エホバの裁きの執行者として到来する前に、弟子たちが設立された神の王国を宣べ伝えて人の住む全地で回り尽くすことはない、ということを預言的に語っておられたのです。
イエスはさらに、伝道に関する指示を与え、「弟子は師(イエス)より上ではなく、奴隷も主人より上ではありません」と、言われました。従って、イエスの弟子たちは、イエスが神の王国を宣べ伝えたために受けたような虐待や迫害を予期しなければなりません。しかしイエスは、「体を殺しても魂を殺すことの出来ない者たちを恐れてはなりません。むしろ、魂も体も共にゲヘナで滅ぼすことのできる方(エホバ)を恐れなさい」と、諭されました。
イエスはこの点で立派な模範を残すことになりました。力を持っていながら、全能者なる神エホバへの忠節を曲げることなく、死に至るまで恐れずに耐え忍ばれたのです。神エホバは、人の「魂」(ここでは生きた魂、つまり命を持つ者としての人の将来の見込みを意味する)を滅ぼすことばかりではなく、永遠の命を享受するよう人間を復活させることさえできるのです。天の父エホバは、人類に対して何と深い愛と同情心を抱いておられるのでしょう。
さらにイエスは、弟子たちに何を教え、迫害に備えをさせるでしょうか。その内容を次回にお伝え致します。
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正月の 街は静かに 夕暮れる 今日の一句
医院の「活け花」