神エホバは、ご自分の預言者イザヤを通して、メシアとして遣わされるイエスは、み父エホバから学び偉大な教え手として全き従順を表すことが預言されていました(イザヤ50:5)。遣わされたイエスは預言の通りの言動で私たちに手本を残されました(ペテロ第一2:21)。
イスラエル人の中には、神エホバの遣わされた独り子イエスを退けるだけではなく、迫害までする人たちもいました。次のようにイザヤは記しています。
「「打ちたたく者たちに(遣わされるイエスは)背中を差し出し、ひげを抜く者たちに顔を差し出した。侮辱や唾から顔を覆い隠さなかった」」(イザヤ50:6)。
上の聖句によれば、地上に遣わされるイエスは、反対者たちの手によって、苦痛と屈辱を味わうことになっています。イエスはそのことをご存知です。また、この迫害がどれほどひどいものになるかもご存知でした。それでも、地上での生涯の終わりが近づく時、イエスはは恐れを全く見せません。イエスはみ父エホバのご意志を全うするため、堅い決意を抱いてエルサレムに向かいます。イエスの地上での人間としての命は、エルサレムで終わることになっていました。エルサレムに行く途中、イエスは弟子たちにこう言われました。「さあ、私たちはエルサレムに上って行きます。そして、人の子(イエス)は祭司長と書士たちのもとに引き渡され、彼らはイエスを死罪に定めて諸国の人々に引き渡します。次いで、彼らはイエスを愚弄し、つばをかけ、むち打ち、そして殺します。しかし三日後に私は復活するのです」(マルコ10:33,34)。イエスに残虐な行為を行うのは、当時の宗教指導者たちの祭司長と書士たちです。
西暦33年ニサン14日の夜、イエスは幾人かの弟子たちと共にゲッセマネの園にいます。イエスが祈っておられると、突然暴徒が表れてイエスを拘引しました。しかし、イエスは恐れることなく、使途たちを守り安心させます。そして聖書に記されている預言が成就することを証しされました(マタイ26:36,47,53,54)。イエスは謙遜さを示し、苦しみの杭の上で死に至るまで、み父エホバに従順でした(フイリピ2:5~8)。
イエスの死に関する事柄はすべて預言通りに起りました。イエスは裁判にかけられ、ポンティオピラトの取り調べを受け、むちで打たれました。ローマの兵士たちは葦でイエスの頭をたたいたり、つばを顔にかけたりしました。こうして、イザヤの預言の言葉が成就しました(マルコ14:65;15:19.マタイ26:67,68)。
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鴨たちの 遊ぶ姿の 長閑なり 今日の一句
卓上の「チューリップ」