一般に日本人の多くの方は、イエス・キリストは自分たちとは関係のない人、と思っていらっしゃいます。しかしそうではなく、全ての人の永続する幸福が関係しています。そのため、聖書にはみ言葉聖書を日々読み、その教えを黙想し適用する人たちは幸福な人であることが記され、そのことが保証されています。イエスの足跡を調べるとそのことが良く分かります。
イエスはカエサレア・フィリピの地方に入られ、使徒たちを含む群衆を教えられました。そして、彼らに対して驚くべき次の発表をされました。「あなた方に真実に言いますが、ここに立っている者の中には、人の子(イエス)が自分の王国(神の王国)をもって到来するのをまず見るまっでは決して死を味わわない者たちがいます」。
イエスはどういう意味でそう言われたのだろうか、と弟子たちは、不思議に思ったに違いありません。1週間ほど後、イエスはペテロとヤコブとヨハネを伴い、高大な山に上られました。弟子たちは眠そうですから、恐らく夜になっていたのでしょう。イエスが祈りをしておられる時に、彼らの前で変ぼうされ、その顔は太陽のように輝き始め、その衣も光のようにまばゆくなりました。
その時、「モーセとエリヤ」と見られる二人の人が現れ、「エルサレムで起きることになっているイエスの出立について」、イエスに話し始めます。「出立」とは、イエスの死とそれに続く復活のことを指しているようです。それでこの会話は、イエスの苦しみの死が、ペテロの願っていたような避けるべき事柄ではないことを証明しています。
弟子たちは、もうすっかり目が覚め、ぶっくりして見つめ、耳を澄まします。それは幻ですが、あまりにも真に迫っているので、ペテロはその情景に自分も加わるようになり、「主よ、私たちがここにいるのは良いことです。お望みでしたら、私はここに三つの天幕を立てます。一つはあなたのため、一つはモーセのため、一つはエリヤのためです」」と、言いました。
ペテロが話しているうちに、明るい雲が彼らを覆い、雲の中から声がして、「これは私(エホバ)の子、私の愛する者である。私はこの者を是認した。この者に聴き従いなさい」と、言いました。弟子たちはその声を聞いて、うつ伏しました。しかしイエスは、「起き上がりなさい。恐れることはありません」と、言われました。弟子たちが身を起して見ると、イエスのほかは誰もいませんでした。
さて、どうなるでしょうか。次回に引き続きお伝え致します。
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屈み見る 小さきスミレ 清楚なり 今日の一句
リビングの「黄水仙」