植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

鈴木大拙館を訪ねる。①

2016-10-22 04:17:52 | 日記


金沢の観光スポットレポート その568(No.869)

◇鈴木大拙館を訪ねる。①

9月15日「金沢PHPほんとうの時代友の会」年1回の飛び出せ例
会で鈴木大拙館を訪れた。

最初に約30分学芸員の鈴木大拙や館内の説明を聞き、米国での呼び
名D.T.Suzuki(大拙のD、本名貞太郎のT)の生涯、安宅産業創設
者安宅与吉と出光興産創設者出光佐三の大きなバックアップなど、改
めて偉大さを認識しました。

■写真は玄関



□鈴木大拙館

金沢市出身の仏教学者である鈴木大拙への理解を深め、思索の場とす
ることを目的に、金沢市が2011年(平成23年)10月18日に開設した。
施設の設計は金沢市にゆかりの深い日本芸術院会員の谷口吉生。大拙
生誕地の近くに立地し、借景となる本多の森公園との調和や大拙の精
神とされる「静か」「自由」の具現化を図ったとされる。

禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめ
た仏教学者(文学博士)である。著書約100冊の内23冊が、英文で書か
れている。
1949年に文化勲章、日本学士院会員。「大拙」は居士号である。同郷
の西田幾多郎、藤岡作太郎とは石川県立専門学校(後の第四高等学校)
以来の友人であり、鈴木、西田、藤岡の三人は加賀の三太郎と称された。

■写真は学芸員の説明を聞く参加者



□鈴木大拙(すずき だいせつ、文学博士)略歴

本名鈴木貞太郎(ていたろう)
明治3年(1870)11月11日金沢市本多町生まれる。
明治8年(1875)金沢市本多町小学校(現 新竪町小学校)入学
明治21年(1888)第四高等中学校本科(現 金沢大学)入学。
明治24年(1891)上京。翌年、帝国大学文科大学哲学科選科(現東
 京大学)入学。
明治30年(1897)渡米。イリノイ州ラサールのオープン・コート出
 版社編集員として約11年間滞在。翻訳・通訳を続ける。
明治42年(1909)帰国。学習院、東京帝国大学講師、翌年、学習院
 教授となる。
明治44年(1911)ビアトリス・アールスキン・レーンと結婚
大正10年(1921)真宗大谷大学(現 大谷大学)教授となり昭和35
 年(1960)年89歳まで務める。
昭和41年(1966)7月12日95歳で没。

*資料鈴木大拙館ホームページより

■写真は玄関の庭のクスノキ



■写真は内部回廊の大拙額



■写真は内部回廊の大拙パネル



■写真は大拙生誕地

(つづく)