植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

前田利常公の足跡を訪ねて ⑤小松天満宮

2017-02-19 04:12:47 | 日記


小松市の観光スポットレポート(No.851)

◇前田利常公の足跡を訪ねて ⑤小松天満宮

5)小松天満宮

前田利常公が明暦3年(1667)小松城天守から鬼門の方向に位置する現在地に創建した。京都の北野天満宮ん社殿を模し、規模を縮小して造営したと伝えれられている。

本殿は入母屋造りでえ平入り、千鳥破風付き銅版葺、内部は黒漆塗り、極彩色の精巧な欄間が入れてある。神門は、朱塗りの四脚門。堂々とした建築で、社殿と共通して江戸期の様式を持っている。
また、白山系の妙法山を超えて昇る冬至の日の出が神門を通り本殿に達するように、社殿と神門が配置されている。

加賀藩お抱えの名工・山上善右衛門によって整備され、現在も神門、拝殿、幣殿、本殿は国指定重要文化財になっている。

■写真は鳥居



□芭蕉句碑

芭蕉が山中温泉から小松に立ち戻ったのは、小松天満宮で生駒万子に会うためであった。

しかし翌日、芭蕉の小松天満宮で初めての別当能生順の面談で、能順の句を褒めた芭蕉の言辞に、二人の間に齟齬が生じ、芭蕉がわざわざ山中温泉から立ち戻ってまで望んだ、小松天満宮での連歌の会での句会の奉納がなされなかったらしい。

この句碑は小松天満宮の句ではなく、金沢の源意庵で芭蕉が初めて披露した句が刻まれている。
「あかあかと日は難面(つれなく)も秋の風」

■写真は芭蕉句碑





■写真は神門と梅鉢紋

□十五重石塔

十五重石塔は坪野石で造られ、頭上部に相輪でなく宝珠となっているので仏塔でないと言われている。小松城内分間絵図と現在の国土基本図との比較検討により、小松城の水口はは天満宮の十五重塔の真南に位置しているとわかった。





■写真は十五重石塔







■写真は拝殿

(つづく)