小松市の観光スポットレポート(No.954)
◇前田利常公の足跡を訪ねて ⑥本折日吉神社
9)本折日吉神社
旧北国街道筋にあたる小松の本折町は、江戸時代の文化5年(1808年)に、本折日吉神社の向かい側に本光寺が移転してから発展した門前町。それから明治維新までの50年間は「出町」と呼ばれて賑わい、明治初年に本折町と改められた。
■写真は一の鳥居
破風付の朱色の鳥居が印象的な山王宮・本折日吉神社は、昔から「山王さん」「日吉さん」と呼ばれ親しまれている。
全国に約二千ある日吉神社・日枝神社・山王神社の総本宮である滋賀県大津市の日吉大社は、猿を神の使いとして崇拝することで知られ、平安京の鬼門に位置することから、鬼門除け・災難除けの社として崇敬されるようになった。
■写真は二の鳥居
寿永2年(1183年)に現在の地に鎮座した本折日吉神社も「開運魔除け」「鬼門除け」の神様として厚い信仰を集めている。
■写真は手水舎
■写真は日吉神使い「神猿」
■写真は拝殿
■写真は稲荷大明神
■写真は弁財天社
元禄2年(1689年)の7月24日、『奥の細道』の道中の松尾芭蕉は、小松に入ると近江屋という旅宿に泊まった。翌25日に出立しようとしたところ小松の人々に引き留められ、本折日吉神社の神官で俳人の藤村伊豆守章重、俳号・鼓蟾(こせん)の館に一泊。同夜芭蕉はじめ曾良、北枝、歓生(かんせい)、塵生(じんせい)ら十人が、有名な山王句会を催した。その時の芭蕉の発句が
「しほらしき 名や小松吹く 萩すゝき」
その後芭蕉は小松を立って山中温泉に行くが、何故かふたたび小松を訪れている。奥の細道の旅で同じ土地に二2度も訪れたのは小松のほかになく、芭蕉と小松の人々との間に特別な関係があったことがうかがわれる。
(資料:まるごと・こまつ・旅ナビホームページより)
■写真は芭蕉留杖の地
■写真は大黒天
住所:石川県小松市本折町1
□本折日吉神社紹介ページ
(つづく)