金沢の観光スポットレポート(No.1842)
◇井上靖の四高通学路を歩く!②
今まで四高跡(現四高記念交流館)、W坂、桜畠楼(現寺町3丁目)は何回か取り上げて紹介しているが、今回は「井上靖の四高通学路を歩く」をテーマにつないでみた。井上靖が四高に柔道に熱中しながら疲れて帰る道を約90年前の昭和初期に思いを馳せながら歩きレポートする。
■写真は犀川大橋
■写真は中川除町(なかかわよけまち)
■写真は室生犀星記念碑
■写真は桜橋と桜橋から犀川上流
〇W坂(石伐坂)
石伐坂(W坂)の坂標には、「藩政時代から坂の上に職人町があった。」とある。ここで言う職人とは、「石伐坂」の名の通り石伐職人を指す。この辺りの旧町名である「上石伐町」「下石伐町」の由来には「戸室山から石を伐り出す藩の石伐職人20人の組地があったことによる。」とある。
■写真はW坂(石伐坂)
〇W坂「北の海」碑
北の海ではW坂を「腹がへると、何とも言えずきゅうと胃にこたえて来る坂ですよ」と紹介し、「この辺で足が上がらなくなる」と続きます。
〇『北の海』井上靖作
『北の海』(きたのうみ)は、井上靖の長編小説。1968年12月から1969年11月まで『東京新聞』などに連載された。『しろばんば』『夏草冬濤』に続く自伝小説、私小説3部作の3作目にあたる。
金沢の四高柔道部の夏稽古に参加し、練習する日々を過ごした洪作は、柔道のこと以外何も考えないという環境と、何よりも柔道部の面々が気に入り、受験の決意を固める。夏が終わると、金沢の街と四高柔道部の皆と別れ、受験勉強をしに両親のいる台湾へとひとり向かう。──柔道に明け暮れ、伊豆、金沢、神戸、台湾へと旅する、自由で奔放な青春の日々を鎮魂の思いを込めて描く長編小説。
□アマゾン『北の海 上』ページ
■写真はW坂
■写真は新桜坂緑地から犀川大橋、桜橋
■写真は突き当り右が桜畠楼
〇井上靖の下宿部屋(現櫻畠楼)
下宿先は旧桜畠6番丁(現寺町3丁目)にある木造2階建てで、井上靖が過ごした2階の8畳の床付座敷、小間、勉強部屋2畳、と6畳の4部屋も、当時のままとなっている。
■写真は玄関と階段
■写真は8畳の間
■写真は勉強部屋(2畳)
参考:井上靖の金沢旧制四高時代の下宿
□「市民が見つける金沢再発見の会」ホームページ
□植ちゃんの「金沢石川に恋をしました」桜畠楼 掲載ページ
(つづく)
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