植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

加賀藩参勤 北国下街道珍道中 (上田宿~軽井沢宿)-2-②

2018-10-12 04:46:59 | 日記


加賀藩参勤 北国下街道珍道中 (上田宿~軽井沢宿)-2-②(1399)

今回は9月17日(月・祝)~18日(火)13-14日目の長野県上田宿~小諸宿(19.7キロ)9月18日(火)14日目小諸宿~軽井沢宿(22.5キロ)をウオーキングした。*距離は宿間距離

◇上田宿~小諸宿(19.7キロ)









■写真は海野宿白鳥神社

〇田中宿

田中宿は小県群に属して慶長年間に真田氏の指示で海野宿の合宿として郷士小田中家により設立された宿場町です。寛保2年(1742)大洪水で民家119軒が流出して宿場機能が停止、以後、海野宿が本陣、問屋場を田中宿の分と合わせて勤めていた。



■写真は田中宿



■写真は力士雷伝碑



〇小諸城
小諸城は、武田信玄のころ山本勘助らにより現在の縄張りとし、豊臣秀吉天下統一のとき小諸城主となった仙石秀久により完成された城です。城下町より低い位置に城を築いた「穴城」は全国でも珍しい城で「日本百名城」でもある。

■写真は小諸城址懐古園





■写真は小諸城址本丸跡と石垣



■写真は懐古神社



■写真は小諸宿本陣跡



■写真は小諸宿

<コースの記録>
(9:34)上田中央2丁目
(9:45)上田宿本陣問屋跡
(10:00)科野大宮社
(10:51)太鼓岩
(10:54)伊波保(いはほ)神社
(10:57)明治天皇御小休所跡
(11:00)岩下一里塚跡
(11:53)海野宿
(12:06)白鳥神社
(13:05)田中宿
(14:07)力士雷伝碑
(15:53)小諸城址 懐古園
(16:21)小諸宿本陣跡
(16:35)小諸荒町2丁目
 
撮影日:2018.9.17

(つづく)

加賀藩参勤 北国下街道珍道中 (上田宿~軽井沢宿)-2-①

2018-10-11 04:01:41 | 日記


加賀藩参勤 北国下街道珍道中 (上田宿~軽井沢宿)-2 -①(1398)

今回は9月17日(月・祝)~18日(火)13-14日目の長野県上田宿~小諸宿(19.7キロ)9月18日(火)14日目小諸宿~軽井沢宿(22.5キロ)をウオーキングした。*距離は宿間距離

◇上田宿~小諸宿(19.7キロ)

〇参勤交代制度

関ヶ原以降、江戸幕府に自発的な参上がそれぞれの藩で行われていたが、寛永12年(1635)徳川家光によって将軍と大名との主従関係を示すための軍事儀礼として 武家諸法度の寛永令で参勤交代が制度化された。当初は譜代大名に義務はなかったが7年後に全ての大名が参覲交代の対象になった。
大名は、1年おきに江戸と国元を行き来する。江戸を離れる時も、妻子は、江戸に常住する。道中の旅費、江戸の滞在費、国元と江戸藩邸の維持費等の重い財政負担が強いられることになった。

■写真は上田宿本陣問屋跡

〇科野大宮社

科野大宮社は、長野県上田市にある神社。信濃国総社と推定され、旧社格は県社。主祭神:大己貴命 (おおなむちのみこと)、事代主命 (ことしろぬしのみこと)相殿神:健御名方富命 (たけみなかたとみのみこと)



■写真は科野大宮社

〇太鼓岩

上田市の岩下という場所で千曲川に浮かぶ太鼓岩です。



■写真は太鼓岩



■写真は伊波保(いはほ)神社



■写真は明治天皇御小休所跡



〇一里塚

一里塚は、旅行者の目印として大きな街道の側に1里(約3.927キロメートル)毎に設置した塚(土盛り)である。
塚の側に榎などの木を植えたり標識を立てたりしていた。一里塚は中国にも存在する。一里塚が全国的に整備されるようになったのは江戸時代である。慶長9年(1604)2月4日徳川家康が子の徳川秀忠に命じ、金山奉行の大久保長安が総監督となって設置したのが始まりである.

■写真は岩下一里塚跡















■写真は海野宿

撮影日:2018.9.17

(つづく)

加賀藩参勤 北国下街道珍道中 (上田宿~軽井沢宿)-1

2018-10-09 04:12:36 | 日記


加賀藩参勤 北国下街道珍道中 (上田宿~軽井沢宿)-1(1397)

今回は9月17日(月・祝)~18日(火)13-14日目の長野県上田宿~小諸宿(19.7キロ)9月18日(火)14日目小諸宿~軽井沢宿(22.5キロ)をウオーキングした。*距離は宿間距離

■写真は上田城址公園二の丸橋



■写真は二の丸橋石垣

〇上田城址公園(長野県上田市)

真田信繁(幸村)の父、真田昌幸によって築城された上田城は第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城として知られています。日本百名城 27番・日本夜景遺産に認定されている。

上田城には、眞田神社・上田市立博物館などの観光スポットが集まり、上田城千本桜まつり・上田真田まつり・上田城けやき並木紅葉まつりなどのイベントが開催されている。

■写真は東虎口櫓門と南櫓



■写真は東虎口櫓門と北櫓



■写真は東虎口櫓門の鏡石







■写真は真田神社



■写真は西櫓



■写真は城址お堀



■写真は上田高校の上田藩主の居館跡の門

撮影日:2018.9.17

(つづく)

金沢の秋 -9 21世紀美術館

2018-10-08 04:15:27 | 日記


金沢の観光スポットレポート その979(No.1396)

◇金沢の秋 -9 21世紀美術館

○21世紀美術館概要

2004年10月9日にオープンしたガラス張りの円形美術館。金沢市の中心に位置しています。「まちに開かれた公園のような美術館」を建築コンセプトとし、誰もがいつでも立ち寄ることができ、様々な出会いの「場」となるような美術館を目指しています。2017年度の入場者数は237万人となっている。













■写真は21世紀美術館



〇変容する家

21世紀美術館を中心に石引エリア、寺町・野町・泉エリアで9月15日~11月4日まで開催されている日本、中国、
韓国の作家による、東アジア文化都市2018金沢「変容する家」。







■写真は21世紀美術館内にある作品







■写真は空きビルを使った作品

□変容する家ホームページ

撮影日:2018.9.13~10.1

(つづく)

金沢の秋 -8 金沢城公園

2018-10-07 04:16:49 | 日記


金沢の観光スポットレポート その978(No.1395)

◇金沢の秋 -8 金沢城公園

〇金沢城公園概要

金沢城の歴史は加賀一向一揆で支配権を握った本願寺が、天文15年(1546)に金沢御堂(尾山御坊)を建てた地に、天正8年(1580)、佐久間盛政が築城を開始、天正11年(1583)、加賀初代藩主前田利家が能登から入城し、本格的に城造りがなされました。慶長7年(1602)に天守閣が落雷による火災により焼失し、その後は江戸幕府への遠慮から再建されませんでした。



金沢城は、金沢市の市街地に位置し、犀川と浅野川に挟まれた小立野台地の先端に立地する平山城である。規模は東西500m、南北760m、面積約30haである。新幹線開業以降入場者も増え、17年度の入場者数は226.3万人で前年比99.9%
と堅調な推移をしている。

■写真は石川門三の丸側のススキ





■写真は三の丸広場







■写真は秋篠宮殿下、妃殿下の植樹の松



■写真は丑寅櫓跡より菱櫓、五十間長屋



■写真は辰巳櫓跡より広阪方面











■写真は玉泉院丸庭園とマユミ

□金沢城公園ホームページ

撮影日:2018.9.3~23

(つづく)


金沢の秋 - 7 兼六園②

2018-10-05 04:38:02 | 日記


金沢の観光スポットレポート その977(No.1394)

◇金沢の秋 - 7 兼六園②



■写真は虎石付近のウメモドキ







■写真は山査子の実



■写真は藤棚の藤の実



■写真は梅林のマユミ



■写真は改装工事中の舟之御亭



■写真は梅林の曲水を清掃中





■写真は時雨亭付近の不明品種



■写真は桂坂料金所手前のヤブツバキの実

撮影日:2018.9.29 - 10.1

(つづく)

金沢の秋 - 7 兼六園①

2018-10-04 04:11:46 | 日記


金沢の観光スポットレポート その976(No.1393)

◇金沢の秋 - 7 兼六園①

○兼六園の概要

加賀百万石の文化を映す、歴史的文化遺産である。水戸偕楽園、岡山後楽園とならぶ日本三名園の一つ、兼六園。

兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれている。
17年度入場者数279.9万人(前年比96.1%)であった。





■写真はことじ灯篭



■写真はすすき



■写真は宝来島







■写真はお月見飾りと眺望(卯辰山、医王山方面)





■写真は千歳橋付近のハギ

撮影日:2018.9.23

(つづく)

加賀市「彼岸花咲く狐山と法皇山古墳を訪ねて」!

2018-10-03 04:40:48 | 日記


石川の観光スポットレポート(No.1392)

◇加賀市「彼岸花咲く狐山と法皇山古墳を訪ねて」!

9月22日(土)石川県ウオーキング協会は国指定史跡探訪シリーズ3回目「彼岸花咲く狐山と法皇山古墳を訪ねて」を加賀市JR動橋駅発着にて65の参加者で開催した。

スタートしてしばらくすると新幹線工事現場を横切り、彼岸花の咲き誇る国史跡「狐山古墳」を見学し、動橋小学校近くの動橋川沿いの桜並木に彼岸花が群生している土手を進みここで集合写真をパチリ。「法皇山(ほうおうざん)」横穴古
墳郡展示館と200基もの墳墓群で北陸最大級の横穴群を見学した。
その後、未舗装の山道を進みチハカ古墳群で休憩し、午前11時50分ごろJR動橋駅にゴールした。

■写真は動橋駅の開会式



〇狐山古墳

二子塚町北方の水田の中にあり、5世紀後半に築かした。全長は約56メートルで、加賀市内では唯一、平野部にある前方後円墳です。

昭和7年国指定史跡に指定。昭和7年、動橋川改修工事のための土取りの中に、後円部から凝灰岩製箱式石棺が発見され、上田三平の調査によって棺内から壮年男子の骨と、おびただしい数の副葬品(新獣鏡・銀製帯金具・金銅製丸玉・玉類・甲冑・直刀・剣・矛・鉄鏃など)が出土した。





□KAGA 旅・まちネットページ


住所:加賀市二子塚町チ14番地 狐山古墳

■写真は狐山古墳



〇法皇山古墳

勅使町の南端、横北町の方向から流れてきた動橋川のそばにあり、花山法皇のゆかりの地と伝えられている。横穴古墳自体は、6世紀後半から7世紀末に築かれたもので、この山は凝岩石質の山地であり、横穴はこの自然の石質をうまく利用して造られ、総数は80基にも及ぶ。未調査のものを含めると200基は超えるものと予想されます。大正7年に遺跡調査の確認が行われ、昭和4年に国指定史跡。













■写真は法皇山横穴群展示館





所在地:加賀市勅使町法皇山

□KAGA 旅・まちネットページ

■写真は法皇山横穴

撮影日:2018.9.

(つづく)

銭屋五兵衛記念館

2018-10-01 04:37:58 | 日記


金沢の観光スポットレポート その975(No.1391)

◇銭屋五兵衛記念館

9月20日(木)金沢PHPほんとうの時代友の会は9月飛び出せ例会で銭屋五兵衛記念館を見学した。

〇石川県銭屋五兵衛記念館

銭屋五兵衛は、幕末の頃活躍した海の豪商。一商人から一代で34の支店と200隻余りの船舶を所有し、海の百万石とよばれた。日本だけではなく、鎖国時代にも関わらずロシアまで行き海外貿易も行っていた偉人である。晩年、河北潟の干拓事業を手がけたが、反対派の中傷による無実の罪で、一族は捕らえられ五兵衛は獄死、息子は磔(はりつけ)にされ、財産は全て藩に没収されました。そんな彼の生涯を映像と人形などで紹介するシアターや、彼が使用していた北前船を実物の1/4スケールで再現した模型、当時の商圏マップなどで体験できます。

■写真は全景(HPより)





■写真は屏風レプリカと九谷焼作家北村隆氏の「みちのく丸」



■写真は銭五屋敷の仏壇(高さが足りなく下の部分をカットしている)



■写真は内灘凧揚げの銭五大凧



■写真は4/1スケールの北前船



■写真は銭五シアター



■写真は移築された茶室



■写真は金石今昔コーナーの獅子頭

住所:金沢市金石本町口55
TEL:076-267-7744
入場料:大人=500円、小中高生=350円

□銭屋五兵衛記念館ホームページ

撮影日:2018.9.20

(つづく)