昨日の昼に盛岡を出発したkaneurikichijiは、今日から遺跡めぐりをしています。
初日は岐阜と長野の県境の神坂峠祭祀遺跡に。
ここは、奈良・平安時代、都からkaneurikichijiの住む岩手までを結んでいた東山道の最大の難所だったところです。
どのくらいかというと、日本の天台宗の開祖、伝教大師・最澄が関東に布教するためにこの峠を越えたとき、あまりに難儀したので峠の両方の麓に広済院(岐阜側)と広拯院という、いわば避難所を作ったほどです。
長野側の阿智村には園原ビジターセンターというガイダンス施設があり、10時過ぎにここに着いて見学した後、2時間半かけて神坂峠までたどり着きました。
帰りはちょっと早くて2時間。
往復20kmぐらい歩いたでしょうか。
長い時間苦労してたどり着いた割には素っ気ない解説版と遺跡の標柱があるだけですが、ここを歴史に名を残す偉人たちが何人も通ったかと思うと感慨深いものでした。
そして何より、昔の峠越えの大変さを体感できたのが、今日の最大の成果といえるでしょう。
園原ビジターセンター。歩いて神坂峠を目指すならここを拠点に。
広拯院があったといわれている場所
神坂峠祭祀遺跡。岐阜側からは車でたどり着けます。
初日は岐阜と長野の県境の神坂峠祭祀遺跡に。
ここは、奈良・平安時代、都からkaneurikichijiの住む岩手までを結んでいた東山道の最大の難所だったところです。
どのくらいかというと、日本の天台宗の開祖、伝教大師・最澄が関東に布教するためにこの峠を越えたとき、あまりに難儀したので峠の両方の麓に広済院(岐阜側)と広拯院という、いわば避難所を作ったほどです。
長野側の阿智村には園原ビジターセンターというガイダンス施設があり、10時過ぎにここに着いて見学した後、2時間半かけて神坂峠までたどり着きました。
帰りはちょっと早くて2時間。
往復20kmぐらい歩いたでしょうか。
長い時間苦労してたどり着いた割には素っ気ない解説版と遺跡の標柱があるだけですが、ここを歴史に名を残す偉人たちが何人も通ったかと思うと感慨深いものでした。
そして何より、昔の峠越えの大変さを体感できたのが、今日の最大の成果といえるでしょう。
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