Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

トルコダンスの夕べ?(イスタンブール)

2011-03-18 23:59:55 | トルコ
kおばちゃんは神戸の震災の時、1ヶ月ほどたったときに関西に仕事で出かけました。
その時の印象は、『おおきなリュックをしょった人がいっぱい大阪駅にいる』というなんだか一枚壁を隔てたような、言い方が悪ク申し訳ないのですが、今回の震災ほど実感は湧きませんでした。

今回は自分自身が過去に経験したことのないような揺れを感じたせいもあるのだと思いますが、あのときよりもショックは大きいようです。

さっきの番組でも『あの時よりははるかに被害の規模が大きく、これから先のことも考えるときちんと国がリーダーシップをとって被災者を支えてゆくことをしなければならない』というボランティア団体の代表の方のお話。まさにそのとおりだと思う。

夕方の官房長官の会見の端々に、内閣の人数を増やそうという思惑が感じられた。
これ以上船頭の人数を増やしてどうするの。やるべきことはトップの『決断』。これがまったく感じられないし、パフォーマンスにしか見えないのが悲しい。

企業でもそう。決断しないトップは必要ないと思うkおばちゃんです。

○1月2日(日)

シルケジ駅Sirkeci Garıの駅でkおばちゃんがみつけたもの。
それは、このポスターです。

『メブラーナ・セマーの儀式とトルコダンスの夕べ』ですね。
メブラーナ・セマーの儀式というのは聞いたことがあります。なんでもコンヤ地方のイスラム教のMevlevilikというイスラム神秘主義の一団の儀式とか。
あら、ここイスタンブールでも見学できるんですね。でも、トルコダンスってなんでしょうね?

まあ、いいです。なんでも。とりあえず場所は近そうですから。


19時半から毎日と書いてありますね。ということは今日もやっているということです。
実は今晩もさっき探しそこねたコンサート会場でコンサートがある予定なのは判っているのですが、なんせアジアサイド。最終の船の時間に間に合うか・・不安もあるし、また場所がわかるか・・という問題もあるのでこっちにしましょう。と場所を
忘れないように画像に残しました。

そうそうこのシルケジ駅には博物館もあるようです。


残念ながら閉まっておりましたけどね。

これはトルコ国内の路線図でしょうかね。


これを見ると、トルコ南部、昨年kおばちゃんが訪問したアンタルヤ近辺はまったく路線がありませんね。

さてさて、とりあえずひとまずお宿に戻りましょう。今度は裏道を通って・・


駅裏は食堂が軒を連ねています。でも、さっき鯖サンドを食べたばっかりですから。
ホテルの入口は明かりがついていました。

お宿で一休みしたkおばちゃん。当日券を狙って・・1時間前に会場に向かいました。
多分お一人様だから大丈夫だとは思うのですけどね。

通り沿いにはこんな美味しそうなお菓子屋さんもあります。


美味しそうなお菓子が・・でも一個が大きいのよね。


指をくわえながらの通過です。帰りだったら・・大丈夫なんですけどね。

地図でゆくとこんな裏道になってしまうんですけど・・合ってるのかしら。


ここはちょっとそれっぽい雰囲気の入り口ですね。

中に入って聞いてみます。
入り口脇にデスクがあり男性がおりましたので『当日券がほしいんだけど』と尋ねると2階へ行けとのこと。

仰せに従って向かうとカウンターがあり、そこに女性2人がおりました。


『当日券1枚ありますか?』という問いかけに、『予約で一杯なのよね』とのお返事。ああつれない・・『でも、キャンセル待ちできるから』と番号の札をわたられました。

ロビーは『踊り』の紹介をモニターディスプレイで流したり、あのロクムというお菓子がおいてあったりコーヒーやお茶が自由に飲ンダリできるようです。

kおばちゃんもコーヒーとロクムを頂きました。

まあ、いいや。入り口だけでも雰囲気に浸りながら・・とうろちょろしていたら割と直ぐに呼ばれました。やっぱりお一人さまは簡単です。
これがチケットです。


最初現金で払ったのですが、今後いつ両替えできるかどうかわかりませんのでカード払いに変えました。

どうも、このショーはホテルや代理店で予約を取っているようです。kおばちゃんも知っていればホテルで頼みましたけどね。

そろそろロビーにお客さんが増えていました。


会場の準備が整ったようです。中に入りましょう。

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あれから一週間

2011-03-18 22:31:50 | つぶやき
今日はあの震災から1週間たちました。
あの時、kおばちゃんはお仕事中・・3時から始める行事についての準備中でした。
3時まで時間がない・・と思いながら必死に作業をしていました。

そんな時に起こったのが地震です。最初は下から突き上げるような揺れを感じで・・次第に横揺れが激しくなりまるで船に乗っているようでした。次の瞬間必死に部屋のドアーをあけて抑えていたのです。

机(テーブル)の下に・・という声もありましたが、幸い会議室はキャビネットもなにもありません。障害物は照明くらい。もしビルが倒壊したら机の下にもぐったくらいじゃしょうがないと思いました。

揺れが収まった時、全館退避の館内放送。流れに従って裏の駐車場に避難しました。
一緒にいたのは地方から出てらした方が殆ど。みな、いっせいに携帯を取り出して情報収集にかかろうとするのですが・・当然繋がりません。
そんな中ワンセグの携帯を持ってらっしゃった方から震源と震度の情報を聞きました。
そしてまた・・大き揺れです。

このゆれは屋外で体験しました。近くの20階程のビルの上層部が大きく揺れるのをみて『まるで映画みたいだ』というコトバにまさにその通りと思ったのを覚えています。

その後、kおばちゃんは部屋に戻り、地方からいらしていた方はそれぞれ帰る手立てをおのおので探してばらばらになりました。
お別れする時、もし手立てがなかったらお戻りください・・と声をおかけして、その結果お一人戻ってらっしゃいました。

あの揺れの激しさから交通機関の麻痺は目に見えていたので、徒歩で帰ろうと決めてはいたけれど、帰宅の波に飲み込まれるのはいやなので夜明けをまって帰宅。
回復し始めた交通機関へは『どうせ待つなら飲んでから・・』と繁華街で時間をつぶした酔っ払いが繰り出してきたくらいで、夜中の町はいつもと同じ。ただ、大きなホテルの前で荷物を持って佇む外人さんを見たのが不思議な光景といえば光景でした。

あの時は、津波の画像に圧倒されてただただ『すごい災害が起きた』ということしか感じませんでした。

あれから1週間。事の大きさがわかるとともに、これからの日本の行く末に自分はいったい何が出来るのか・・考えながらも生きている自分がおります。

被災された方々の茨の道は始まったばかりです。

kおばちゃんの所属している団体のインフラ関係のお仕事をされている方からのメールにあった言葉、これを肝に銘じたいと思いました。

『災害はわれわれの責任ではありませんが、
 復旧はわれわれの責任です。』
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