今朝は寒かった。この秋一番かな?でも、例年並といっていたので・・多聞今までが暖かすぎたのね。
薄手のコートじゃ寒く感じましたです。
今年の冬も『節電』と叫ばれていますが・・kおばちゃんの場合は『切電』かもしれません。
なんせ、TV見るのはめっきり減ったし、でも見なくてもなんでもない事も発見してしまったしね。
さあ、冬に向けて・・皮下脂肪を貯めましょう・・いえ貯まってます。
○5月5日(木)
kおばちゃんの寄り道の先はFertőrákosという集落の・・はずれだったようです。
このあたりは海水浴・・というか湖水浴に適している場所なのでしょう。
5月上旬でまだ誰も泳ぐ人はいませんでしたけどね。
でも、150メートル先は深みが待っているようです。ご注意を!
水は・・たしかに波が寄せると言う感じではありませんね。だって湖だもんね。
そういえば、昔ハンガリー人の友だちと鎌倉の海岸をドライブしたときに、彼は海をみて感激していたのを思い出しました。多聞・・みたことなかったのかな?波の寄せるさまを・・
kおばちゃんにしては当たり前の風景だと思ったのですが、『海だ!!海だ!!』と叫んでいたのを思い出しました。
あそこにある建物は・・立ち入り禁止なのでわかりませんが・・なんでしょうかね?
駐車場のゲートを入ったところがこのエリアの中心のようで湖に向って右側が公園のような感じでした。
そしてその入り口に近い場所にこのような軽食スタンドが並んでいます。
そして反対側の左側にはこんなミニ列車がとまっており、お客さんが・・
kおばちゃんも時間があったら乗って見たいけど・
そしてさらに左奥に行くには小川のような流れを跨ぎます。
かかっている橋の上から上流・・Fertőrákosの集落の方向・・はこっちです。
で、下流と言うかフェルトゥー湖Fertőの方向はこっちです。
さらに左方向奥に進むと・・このような『葦葺き?』の建物があります。
手前の建物は・・観光線船の発着所のようです。
ものすごく良いお天気・・なれど平日です。運行本数は少ないようです。
そしてさらに左奥の方・・湖にそって同様の葦葺きの家屋が連なっています。
湖に目をやれば・・水平線とはいかないようです。
ズームするとネ・・対岸の建物がみえます。
そして水上家屋でもある葦葺きの家は・・かなり連なってます。
湖の方向から見ルとよくわかりますが・・これらの建物はけっして小さくありません。
一軒一軒はこんな感じですが・・平日だからでしょうか?人影はありません。
なかなか素敵なつくりの建物もあります。
2006年に訪問したお隣の国オーストリアのルストRustの湖畔に立っていた建物に比べても
大きいでしょ?
この村Fertőrákosはドイツ名はKroisbachといってあります。そう、国境に面しています。
こんなにお隣の国と近いのです。下手をすれば・・泳いでわたれてしまいますね。
現在は同じユーロ圏で通行自由ですが、20年前はハンガリーは共産国家です。オーストリアは近くて遠い異国の地でした。
従って、この辺りに別荘を構えられたのは当時は共産党のエリートのみだったようです。つまり亡命を企てない人達ということです。
その当時の建物かどうかは・・知りません。でも、湖畔に立っている建物は・・庶民のものではないようです。
そうそう、この一体は後にベルリンの壁崩壊へと繋がって行く『汎ヨーロッパ・ピクニック Páneurópai piknik』の中心地だったそうです。
1989年8月19日に一斉にこのあたりの国境を越えて1000人程の東ドイツ人が西ドイツへと亡命した行った事件です。
その都市1989年7月にkおばちゃんは始めてハンガリーの地へ足を踏み入れ、一人でバスに乗ってウイーンに向ったのですが、そのとき同乗していた若者が国境前の検閲で降ろされていった姿を今でも思い出します。
あの直ぐ後に、この『汎ヨーロッパ・ピクニック Páneurópai piknik』が起ったんですもの。
そんな感慨を持ちながら・・葦の向こうの自由の国を眺めて見ました。
こちらの水上の別荘地はいったい何方がおもちになっているいのでしょうね?
この別荘群はこのような桟橋ではありませんが、木道で繋がっております。
そしてこの木道の下にはライフラインが通っているようです。
さて、そろそろよいお時間です。引き返しましょうね。
薄手のコートじゃ寒く感じましたです。
今年の冬も『節電』と叫ばれていますが・・kおばちゃんの場合は『切電』かもしれません。
なんせ、TV見るのはめっきり減ったし、でも見なくてもなんでもない事も発見してしまったしね。
さあ、冬に向けて・・皮下脂肪を貯めましょう・・いえ貯まってます。
○5月5日(木)
kおばちゃんの寄り道の先はFertőrákosという集落の・・はずれだったようです。
このあたりは海水浴・・というか湖水浴に適している場所なのでしょう。
5月上旬でまだ誰も泳ぐ人はいませんでしたけどね。
でも、150メートル先は深みが待っているようです。ご注意を!
水は・・たしかに波が寄せると言う感じではありませんね。だって湖だもんね。
そういえば、昔ハンガリー人の友だちと鎌倉の海岸をドライブしたときに、彼は海をみて感激していたのを思い出しました。多聞・・みたことなかったのかな?波の寄せるさまを・・
kおばちゃんにしては当たり前の風景だと思ったのですが、『海だ!!海だ!!』と叫んでいたのを思い出しました。
あそこにある建物は・・立ち入り禁止なのでわかりませんが・・なんでしょうかね?
駐車場のゲートを入ったところがこのエリアの中心のようで湖に向って右側が公園のような感じでした。
そしてその入り口に近い場所にこのような軽食スタンドが並んでいます。
そして反対側の左側にはこんなミニ列車がとまっており、お客さんが・・
kおばちゃんも時間があったら乗って見たいけど・
そしてさらに左奥に行くには小川のような流れを跨ぎます。
かかっている橋の上から上流・・Fertőrákosの集落の方向・・はこっちです。
で、下流と言うかフェルトゥー湖Fertőの方向はこっちです。
さらに左方向奥に進むと・・このような『葦葺き?』の建物があります。
手前の建物は・・観光線船の発着所のようです。
ものすごく良いお天気・・なれど平日です。運行本数は少ないようです。
そしてさらに左奥の方・・湖にそって同様の葦葺きの家屋が連なっています。
湖に目をやれば・・水平線とはいかないようです。
ズームするとネ・・対岸の建物がみえます。
そして水上家屋でもある葦葺きの家は・・かなり連なってます。
湖の方向から見ルとよくわかりますが・・これらの建物はけっして小さくありません。
一軒一軒はこんな感じですが・・平日だからでしょうか?人影はありません。
なかなか素敵なつくりの建物もあります。
2006年に訪問したお隣の国オーストリアのルストRustの湖畔に立っていた建物に比べても
大きいでしょ?
この村Fertőrákosはドイツ名はKroisbachといってあります。そう、国境に面しています。
こんなにお隣の国と近いのです。下手をすれば・・泳いでわたれてしまいますね。
現在は同じユーロ圏で通行自由ですが、20年前はハンガリーは共産国家です。オーストリアは近くて遠い異国の地でした。
従って、この辺りに別荘を構えられたのは当時は共産党のエリートのみだったようです。つまり亡命を企てない人達ということです。
その当時の建物かどうかは・・知りません。でも、湖畔に立っている建物は・・庶民のものではないようです。
そうそう、この一体は後にベルリンの壁崩壊へと繋がって行く『汎ヨーロッパ・ピクニック Páneurópai piknik』の中心地だったそうです。
1989年8月19日に一斉にこのあたりの国境を越えて1000人程の東ドイツ人が西ドイツへと亡命した行った事件です。
その都市1989年7月にkおばちゃんは始めてハンガリーの地へ足を踏み入れ、一人でバスに乗ってウイーンに向ったのですが、そのとき同乗していた若者が国境前の検閲で降ろされていった姿を今でも思い出します。
あの直ぐ後に、この『汎ヨーロッパ・ピクニック Páneurópai piknik』が起ったんですもの。
そんな感慨を持ちながら・・葦の向こうの自由の国を眺めて見ました。
こちらの水上の別荘地はいったい何方がおもちになっているいのでしょうね?
この別荘群はこのような桟橋ではありませんが、木道で繋がっております。
そしてこの木道の下にはライフラインが通っているようです。
さて、そろそろよいお時間です。引き返しましょうね。