Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

黄金に輝く大聖堂(クラクフ)

2012-03-22 17:43:20 | ポーランド
夕べはちょっとまたオオボケ。行かなきゃいけないところがあったのだが・・それも通勤経路の途中にあるのだけど・・ぼーーとしていて乗換え忘れてました。

演奏会を聞きに行くことが目的だったのだけど・・駆け込みセーフでございましたよ。

花粉症で集中力欠如といいたいところだけど、脳みそがついていっていないだけというのはわかってますので。

○8月5日(金)

さてさてクラクフKrakówの町に散歩がてらの見物に出かけたkおばちゃん。ようやく第一の目的地にぶちあたりました。

そもそも、このヴィスワ川沿いのクラクフと言う町は10世紀には歴史に登場していたようです。当初はその地理的関係からモラビアの一部として栄えたのでしょうか?
その後、一昨日kおばちゃんの泊まったボツナンからポーランド王国の首都となり、13世紀にモンゴルに荒らされもしたけれど、17世紀初頭にワルシャワに遷都するまではクラクフがとなっていたそうです。

そしてその発展の栄華の中心は中央マーケット広場Rynek Glownyというところ。
そこの片隅にこの聖マリア聖堂教会Kościół Mariackiはありました。
オリジナルは1220年から1221年の間に設立された古い教会。その後1290年から1300年にかけて初期のゴシック形式の教会として献堂。その後ステンドグラス等内装も完備され、完成したようです。

丁度夕べのミサをしているようです。なんちゃってクリスチャンのkおばちゃんは・・さっそくミサに参加させていただきました。神様・・ごめんなさ。


聖壇の何と豪華なことでしょう。
当時から現在のような輝きを目にしていた思うと・・神様にたいする物凄い『憧れ』とか『畏怖の念』などを聖堂に入ること事態で感じたんじゃないかと思います。

そしてこの青色の天井は・・天空の輝きを表すのでしょうか。


絢爛豪華というか豪華絢爛というか・・こんな美しい天井みたことありません。

このサイドも素晴らしく豪華ですね。


それにしても、ポーランドの皆さんは本当に信心深い方が多いのですね。

教会堂を出てくると、わきの小さな広場にこのような小さな噴水がありました。


この場所は1802年まで教会の墓地のあったところのようです。その後に聖マリア広場Plac Mariacki と名づけられ、教会堂の中央にあったファイト・シュトースの祭壇画Ołtarz Wita Stwoszaの中にあった預言者の彫刻のひとつをモデルに作られているそうです。 "studzienka gołębi(鳩の穴?)"という名前のような・・

kおばちゃんは、てっきりモンゴルの襲来の関係?とか思ってました。

こちらの入り口が、中央マーケット広場Rynek Glownyに面しています。


そろそろ夕暮れになっってきた中央マーケット広場Rynek Głównyです。


また馬車にあっちゃいました。


明るいうちにもう少し見物して見ましょう。
コメント
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