薫風爽やかな五月も半ば、日々過ごしやすく、身も心も弾みます。
相変わらず、心の隅に気がかりな事が常にあり、例年のようにはまいりませんが。
今我が家の、五月を代表する庭木は、エゴノキ。
玄関ポーチのお隣のお住まいの境界線にあり、早春に花を付ける庭のミモザとともに、我が家のシンボルツリーとなっています。
今、その枝先には、白い清楚な小花がうつむき加減に咲き、風にそよぐさまは、涼しげで、何ともさわやか。
しかし、この木には、今も忘れ得ぬ悲しい思い出があります。
ブログに書くことには少々のためらいがありましたが、この件に関する私の落ち度も認めたうえで、書くことといたしましょう。
二十数年前、今の住まいを建て、外構の工事に取り掛かりました時のこと。
両家の昇り階段の境界線に当たるところに、植栽のスペースがありました。
私は、お隣さんに、お話し合いの上で、何かを植えませんか、と持ちかけたところ、お宅でご自由にして下さい、とのことでした。
私は少々びっくり!どういう方かしら?と今後のお付き合いが不安になりましたが、お言葉に甘え、つつじと、エゴノキを、勝手に選んで植え
させていただきました。
その時の様子から、相手側の土地の植栽のお支払いは請求できる雰囲気ではありませんでしたから、すべて自己負担となりました。
それは、一向に構わないことでしたが・・・・・・
そのエゴノキが、年月の流れとともに、みるみる成長し、見事な樹形となり、若葉と青葉のころの爽やかさは、清楚な白い小花とともに、
私の心を魅了しました。
幹が割と細いこの木は、7~8本を株立ちにして植えますから、雑木林のような姿となり、その場に一層良い雰囲気を醸し出してくれます。
しかしこの木の幹、4本が或る日、ばっさり根元から伐採される運命となりました。
今は、過去の美しい木の姿は見る影もなく、片割れた貧弱な姿ながら、その後も、毎年健気に葉を茂らせ、花も付けてくれます。
ある年の晩秋の頃、植木屋さんから、「お隣の奥さんから頼まれましたから、エゴノキを刈っても宜しいですか?」と尋ねられ、
「もちろん結構です」と快く、一旦は承諾した私でした。
ところが、根こそぎ、数本を、と聞かされた時は、一瞬唖然。
「それは困ります。樹形の美しさが、それでは台無しになってしまいます。」と言って、お断りしてしまったのです。
しかし翌年もまた植木屋さんから、お隣さんの要望だからとお願いされ、やむなく根こそぎ伐採しました。
木の周りは、玄関ポーチの空間で、多少の落ち葉以外、ご迷惑は何一つかけていないところでしたし、つつじとともに、両家の植栽として生かさ
れているとばかり思っていましたから、納得はいかず、大変つらいことでした。
しかし、民法では、お隣の方の要求は正当な事なのです。
ブログを書くにあたり、植え木のトラブルで検索したところ、次のような条文が目に留まりました。
樹木等に対する規定で、「隣地の竹木の枝が境界線を越えるときは、その竹木の所有者に、その枝を切除させることができる。」(同法第233条)
「隣地の竹木の根が境界線を越えるときは、その根を切り取ることができる。」(同法233条2項)
と決められています。
お隣の方が、境界線を越えた木を勝手に切ることはできないようですが、要求されたなら、その木の所有者は従わないといけないようです。
最初の年にお断りした私の行為が、不正となります。
でも、でもですよ。(笑)
株立ち一本のエゴノキの落ち葉だけ・・・・・さほどの迷惑ではないと思うのですけれど。
我家の裏のお宅には大きな柿の木があり、我が家の玄関ポーチの突き当たりの塀越しに枝を広げています。
秋になると、紅葉した葉が、こちらにハラハラ舞い落ち、熟した柿の実も、無残な姿となって、ポーチのタイルの上にあります。
しかし、私は、このお掃除を煩わしいと思ったことは一度もありません。
かえって、秋の風情を楽しませて貰い、この借景を有難く思っています。
価値観は、人それぞれですね~。
優先する物は異なって当然です。
お隣さんの悪口を書いたつもりではありませんから、ご承知下さいませ。
長女の家にも、見事に成長した、美しい樹形のエゴノキがあります。
趣のある、本当に美しい落葉小高木。
木の名称がエゴノキとは、チョット聞こえが悪く、何だか可哀そうですね~
この名称は、果実を口に入れると喉や舌を刺激してえぐい(えごい)ことに由来するようです。
皆様のお庭にも、如何でしょうか。
今日もご訪問有難うございました。
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