健康第一とはよく言われますが、無病息災でシニアー世代に至るまで年を重ねた方々は、そんなに多くないのでは。
一病息災で充実した人生を心豊かに過ごしてこられた方々も、大勢いらっしゃるはずです。
長年にわたって辛い病と闘いながらも、常に前向きの人生を明るく過ごしてこられた人達。
私は、そのような方々には、心からの敬意を表し、見習いたいことばかりです。
自分は、異常に疲れやすい体質を叱咤激励しながら送ってきた人生、と言えないでもないけれど・・・・・・
疲労何て、気持ちをしっかり持ってうまく対処すれば、簡単に乗り越えられるもの。
こんなことは愚痴を言うのも恥ずかしい程、些細なことに過ぎないかもしれません。
4~50代の頃から、あるいはもっと若い頃から、私は妹(ブログ名 世界に一つだけの姥花日記)によく言いました。
「這わないと動けないくらい、疲れてしまうの」
と。
すると、妹は、少々呆れた顔をしたものです。
私の疲労感が理解できないようでした。
その頃の妹は、「疲れるといった感覚に陥ったことがない」
とまで言っていましたから、理解できないのは当然です。
私は、豪語としか思えないその表現に驚き、心から羨ましく思ったものです。
60代になった頃から、妹もさすがに疲労を感じるようになってきたようですが。
気力のみで克服してきたような繊細な体を、今更ですが、自律神経失調症によるものだったのかもしれない、と思うこの頃。
医師から、そのような診断を受けたことは一度もない私ですが。
そういえば、中学生の頃だったかしら。
「無力体質」と医師から言われたことがありました。
但し、母も私に非常に似た弱い体質で、気力で人生を頑張り通したような人でした。
ですから、遺伝的要素も多分にあるのかもしれません。
よく母の弱い体を慮って、伯母達が口癖に言っていたことは、「被爆が原因ではないかしら?」と。
私も一歳の乳児の時に、爆心地から三キロの地点で被爆しています。
家屋のガラス戸はすべて砕け散ったとのこと。
その閃光を浴びたことは確かです。
でもそれが原因で、体が虚弱になったなどと思ったことは、一度もありません。
福島の原発事故で、放射線問題が大騒ぎされ、それ以来自分が被爆者であることを多少意識するようになりました。
しかし、過労で数度の入院は繰り返したものの、大病を患うことなく、70歳を迎えるまでつつがなく人生を送れた私です。
もしかして、私は被爆の影響は微々たるものであることを表す生き証人では?
福島市で普通に生活していても、原発事故後の追加被爆線量は、原発事故とは関係なく自然に被爆する年間線量の半分以下だそうです。
それにもかかわらず、風評被害の後遺症に苦しみ、抑うつ傾向が強い方がかなりいらっしゃると知りました。
私が生き証人として、多少でも励ましになれば、こんなに嬉しいことはないのですが。
一度読んだことがある書物ですが、なんだかまた再読したくなって。
夫の書斎にもありますが、手軽に読める文庫本でまた。
名作中の名作ですものね。読み直す値打ちを感じています・
前回に載せた数冊の本の画像の一冊です。
最近は、私の疲労の原因は、「自律神経失調症」という有難い言葉(?)で、一括りにし、納得してしまっている私。
二年に及ぶ息苦しさや異常なのどの渇きに見舞われた時のこと。
お医者通いは、私は余程の事でないとしませんが、さすがに心配になり、やむなく検査のために度々通ったものでした。
しかし、一向に埒が明かず・・・・・・
自身で原因を究明しようと、ネットを再三検索。
そして自律神経失調症の症状に、自分が似ていることに気が付きました。
でも不思議なものです。
原因を自分なりに悟り、納得したときから、急速に、悩み続けた症状が改善していきました。
自律神経失調症何て、病とは言えない類のものかもしれません。
しかし、私にはもう一つ気になる症状があります。
すみません。
今日は連続三日目のお出かけで、忙しく、この続きがこれ以上書けません。
そのためもう一つの私の体の泣き所の説明は明日にさせていただきます。
昨日はポイントのことに触れたせいでしょう。
思いがけないたくさんの応援をいただき、恐縮してしまいました。
お気を使わせて、申し訳なく恥ずかしく思っています。
本当にありがとうございました。
こんな私ですが、今後とも宜しくお願い致します。
ご覧下さいまして有難うございました。
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